2008年12月07日付 评论家加藤周一去逝
翻译:lsunflower
整理:baiheps
▼亡くなった評論家の加藤周一さんは、67年前のあす、日米が開戦したとき東大の医学生だった。半生を回想した『羊の歌』(岩波新書)で、〈周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた〉と心境をつづっている。
六十七年前的明天,日美开战。已经离开人世的评论家加藤周一先生那时还是东大医学院的学生。他在回顾自己半生的作品《羊之歌》(岩波新书)中这样描述了当时的心境:“我感到周围的世界骤然变为一番从未见过的景象。”
▼それは、住み慣れた世界と自分とをつなぐ糸が突然切れたような思いだった、という。高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう。帰って母親に先行きを聞かれ、「勝ち目はないですね」と吐き捨てるように答えたそうだ。
他说:那是一种如同把自己与住惯了的世界相联系的线突然斩断了的感觉。论调不高,大概也是因为想象到了战争的下场吧。据说回到家里母亲问他前景如何时,他咬牙切齿地说:“没有胜算。”
▼そして迎えた8月15日には、〈もし生きるよろこびがあるとすれば、これからそれを知るだろう〉と思った。医者として東京大空襲の悲惨を目の当たりにし、人間として戦争の不条理を考え続けた。厳しい怒りに、そのリベラルは根ざしていた。
而后迎来的8月15日那天,他想,“如果没有感受过活着是多么幸福,接下来你就会知道了吧。”作为医生,他亲睹了东京大突袭的惨状;作为人,他又不断思索着战争的不合理。自由主义,在这满腔的愤慨中扎下了根。
▼4年前、作家の大江健三郎さんらと呼びかけてつくった「九条の会」も、深い怒りの根から咲いた花だ。花は種子を飛ばし、平和憲法を守ろうという草の根グループを全国に広げている。
四年前,他与作家大江健三郎等人一起呼吁创立的“九条会”,也是那深沉的愤慨之根所开出的花朵。花的种子被风吹散,呼吁捍卫和平宪法的草根团体发展到了全国。
▼長く本紙に連載した「夕陽(せきよう)妄語」は7月が絶筆になった。最後の回に、何事も逆(さか)さまに眺めるクセのある、話し好きな「さかさじいさん」なる隣人を登場させている。
7月份,长期在本报连载的《夕阳妄语》成了他的绝笔。最后一回中,邻居“颠倒老头”登场了。这是一个有着凡事颠倒来看的癖好而又爱讲话的老头。
▼むろん、ご本人の分身だろう。国民が下にいて、雇われた役人や政治家が上で威張る国は、民主主義を逆さに吊(つる)したもの。もう一度逆さにするほかない、などと「じいさん」は言うのである。夕陽とは老境のたとえでもある。妄語どころではない多くの宿題を今の世に残して、「知の人」は旅立って行った。
不用说,这是作者本人的写照吧。国民在下,受雇的官员和政治家高高在上的国家是把民主主义颠倒了。唯有再一次颠倒过来……这些都是“老头”的话语。而夕阳又隐喻着风烛残年。睿智的老人踏上死亡之旅,把绝非妄语的诸多课题留待现今的世界去解决。
解说:
加藤 周一(かとうしゅういち、1919年9月19日 - 2008年12月5日)は評論家である。
学生時代から文学に関心を寄せ在学中に中村真一郎·福永武彦らと「マチネ·ポエティク」を結成し、その一員として韻律を持った日本語詩を発表、他に文学に関する評論、小説を執筆。新定型詩運動を進める。
終戦直後、日米「原子爆弾影響合同調査団」の一員として被爆の実態調査のために広島に赴き原爆の被害を実際に見聞している。
1979年より「朝日新聞」夕刊に「山中人間話」を連載、1984年に「夕陽妄語」と改題して死去直前まで連載していた。
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