沪江

【翻译经验】译界泰斗谈如何成为“同传”

林国本,kyon译 2010-06-11 11:11

本文作者介绍:

林国本,男,中国日语翻译界权威级人物,原为在日华侨第二代,新中国建国后回到祖国,归国后曾经在国家体委工作,1963年8月起一直在《北京周报》任职,在中译日的岗位上实践了30多年,其在职期间,曾经为周恩来等数位和国家领导人担任过翻译。并且连续25年应邀参加了全国人大及党代会翻译工作,党和国家领导人的许多重要讲稿均是由他翻译完成,至1995年退休后仍担任中国网和《北京周报》日文网改稿专家至今。

今中国の若者の間では、いくつかの職業がたいへん人気となっている。さまざまな切り口によって、いろいろな分類の仕方があり、一概には言えないが、テレビのキャスター、国際会議の同時通訳者、ファッションモデル、弁護士公認会計士などがよく若者の間で話題となっており、これらの職業につくことを目標としている人もかなりいる。大学などで若者たちと対話する機会があると、いつも若者たちに囲まれて、「同時通訳者」になるには、どうすればよいのか、と質問される。

在当今的中国年轻人之间,有几个职业相当热门。当然着眼点不同,分类方法也多种多样,不能一概而论,不过电视主播、国际会议的同声传译、时装模特、律师和注册会计师等职业时常出现在年轻人的谈话当中,也有为数不少的人以这些职业为目标。我只要有机会到大学与年轻人交流,每次都会被学生们围着,问我怎样才能成为“同声传译”。

私は特異なケースで、「同時通訳」は私にとっては余技のひとつで、私の本来の目標はジャーナリストか翻訳家になることであった。ところが、ある日、私の親友、畏友に自分の所属する新聞社と日本の新聞社が国際会議をひらくことになったので、一肌脱いで当時通訳を手伝ってくれと言われ、この親友、畏友にはノーといえないそれまでの経緯があったので、引き受けることにした。なんとそれがまぐれ当たりで、いっぺんに人気者となり、それ以後、余技のひとつとして楽しんできたが、本腰をいれたことはなかった。また、親切な人が、「そこまでできるのなら、それまで勤めていたマスコミ機構をやめてフリーランサーになった方が稼ぎが多いのでは」、といってくれたが、私はあくまでもジャーナリズムの世界に踏みとどまることにした。そして余技の同時通訳で知識の幅を広げ、それをジャーナリズムの世界に生かすことにしてきた。

其实我只是个特例,“同声传译”对我来说只是业余爱好之一,我原本的目标是成为记者或翻译家。然而,某日我的好友同时也是我尊敬的人对我说,他上班的报社要跟日本报社举行国际会议,你无论如何也得帮我来做同传,当时我无法拒绝我所尊敬的好友,于是就接受了。我就这么瞎打乱撞的一下成了名人,之后就作为我业余爱好之一一直做了下来,但是却一直没有认真干过。后来,有人关心的劝我“既然能做的像模像样,那干脆辞了一直在干的新闻机构工作,做自由翻译更赚钱哟”,但是我却决定无论如何也要留在新闻界。然后通过业余爱好的同声传译来扩展知识面,并将之运用在新闻界当中。

しかし、フリーランサーになって猛烈に頑張っている人も何人かいる。人生いろいろで、人にはそれぞれ生き方がある。これまた楽しからずやであろう。

不过,也有好几个人成了自由翻译,并努力拼搏的。人生丰富多彩,每个人都有自己的活法。这也是另一番乐趣吧。

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