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大型和菓子连锁店宣布停业,和菓子产值下降的五大原因

鱼儿 译 2022-06-10 06:30

5月16日、東京・武蔵村山市に本店を構え、「相国最中(しょうこくもなか)」などの人気商品を抱える創業74年の和菓子メーカー、紀の国屋が廃業した。多摩地区を中心に20店舗を展開していた同社の突然の発表にSNSでは惜しむファンの声があふれている。2021年には「宝まんぢゅう」で知られる仙台の宝万頭本舗も自己破産している。

5月16日,总部设在东京·武藏村山市,拥有“相国最中”等人气商品,有着74年历史的日式点心制造商纪之国屋宣布停业。该企业以多摩地区为中心开设了20家店铺。社交媒体上也充满了粉丝们各种惋惜的声音。2021年,以“宝馒头”而被顾客熟知的仙台宝万头店铺也自行破产。

2社とも、自己破産した直接のきっかけはコロナ禍と見られるが、帝国データバンクによると、紀の国屋は1993年に本店工場を移転新設した際の金融負債を抱えていた。1日2万個売り上げるとしていた相国最中など、自社製造の餡など品質への評価は高かったが、顧客層が高齢化したことや、砂糖などの原材料の価格上昇が重荷になっていたとしている。

两家企业都表示新冠疫情是导致破产的直接原因,但根据帝国数据库显示,纪之国屋在1993年搬迁新設工厂时就背负了债务。虽然每天都会销售出2万多个“相国最中”,顾客们对自制馅料的品质也给予了高度评价,但随着顾客层的老龄化以及砂糖等原材料的价格上涨,企业收支愈发不平衡。

農畜産業振興機構によると、和菓子は生産額のピークは1993年で、その後30年間ずっと右肩下がりである。総務省の家計調査によると、2021年の1世帯当たりの和生菓子の年間支出金額は9920円。2008年の1万2172円と比べると、2252円減少している。洋菓子店はコロナ禍で持ち直したが、和菓子店はなぜ、これほど苦戦しているのだろうか。考えられる要因は5つある。

据农畜产业振兴机构介绍,日式点心的产值在1993年达到高峰,此后的30年间一直在稳步下降。根据总务省的家计调查显示,2021年每个家庭在和式点心上的支出是9920日元,与2008年的1万2172日元相比,减少了2252日元。西饼店已经陆续从新冠疫情影响中恢复过来,但为什么和式点心店却一蹶不振呢。主要原因有5个。

1つは、和菓子を使う場面が限定されがちなことだ。洋菓子は、手土産や誕生日パーティーなどのハレの需要もあれば、日常的なおやつに用いられることもある。コロナ禍では、在宅時間の合間におやつとして食べる人が増えたことが、洋菓子店の需要増につながり、倒産も急減した。一方、和菓子は手土産や旅行の土産など、ハレの日需要が中心だ。

原因一,食用日式点心的场合有一定局限性。西饼可以作为特产也可以作为生日聚会上的吃食,也有很多人将它作为日常零食。疫情期间,居家休息需要吃零食的人增加,直接提高了对于西饼店的需求,这也使西饼店顺利挺过疫情这一关。而另一方面,和式点心大多被看作是手办礼或土特产,一般只会在传统节日期间食用。

コロナ禍の影響で廃業した2社は、手土産需要が減少したことが決定打になっている。特に2020年、2021年は、感染を予防するため帰省を控える傾向が強まり、旅行や出張もしづらかった。手土産が購入目的の中心にある銘菓ほど、ハレの機会の減少は大きな痛手になる。

消费市场对特产的需求下降可以说给上述提到的受新冠疫情影响破产的两家企业以致命一击。特别是2020年和2021年,为避免疫情蔓延,很多人选择不流动不回老家,旅行和出差计划频频搁浅。越是以销售特产为业务主体的品牌糕点企业,其受到的冲击就越大、

2つ目の要因は、都市部を中心に和菓子文化が身近にない人が増えていることだ。若い世代ほどその傾向は顕著で、オールアバウトと、「うなぎパイ」で知られる春華堂が2017年4月、首都圏の10歳以上の男女1299人を対象に行った和菓子に関する調査で、その実態がうかがえる。

原因二,居住在大城市的人对和式点心文化很是陌生。尤其是年轻人。2017年4月,All About与以“鳗鱼派”而名声大噪的春华堂,对东京都10岁以上的1299名少男少女进行了一项有关和式点心的调查,调查结果更加应证了这一论点。

10代で週に数回和菓子を食べる人は約2割で、洋菓子の半分ほどしかいない。10~20代は、価格の高さに加え「かしこまった感じがする」「気軽に食べられない」と和菓子を敬遠している。

接受调查的青少年中,只有2成的人会每周品尝多次和式点心,这个占比仅为西饼的一半。10~20岁的青少年对和式点心敬而远之,除了点心本身价格高昂之外,大家还认为“太过于正式”“讲究太多”。

さらに「ういろう」「落雁」「ねりきり」といった和菓子を50代以上は約半分が認知しているのに対し、10~20代は1~3割しか認知していないことなどが判明している。

另外,50岁以上的民众大约有一半的人都知晓“外郎米粉糕”“落雁”“练切”这些传统糕点,但10~20岁的青少年中只有1到3成的人知道。

子どもの頃、日常的に食べる機会がなかったから、成長しても和菓子にはあまり手を伸ばさない、あるいは好みに合わない人が多いのではないだろうか。

孩童时代没有机会每天都吃到和式点心,等长大后也就想不起来去吃,甚至很多人压根就不喜欢和式点心的口味。

3つ目は嗜好の変化。あんこやようかん、最中が苦手といった人は珍しくない。洋菓子やスナック菓子といった、スーパーやコンビニでも手軽に手に入るライバルスイーツが増え、和菓子を食べる機会は減っている。

原因三,口味的变化。很多人对豆馅、羊羹、最中都接受无能。超市和便利店上架了各式各样的西饼和小零食,消费者的选择多样化,食用和式点心的机会越来越少。

食のトレンドをリサーチしてわかるのは、ほとんどの流行が外国料理に由来すること。そうした食の多様化は都会だけではない。インド料理店やイタリア料理店は全国各地にある。

通过饮食趋势相关调查可以看出,大多人气吃食都源于外国料理。这种饮食多样化不仅仅体现在大都市。印度饭馆和意大利餐厅遍布全国各地。

目新しい外国ルーツの食が溢れているから、相対的に和の食文化の出番が減っていく。

新式的外国美食越来越多,导致和食文化的存在感相对下降。

4つ目は、消費者の世代交代。半世紀ほど前の高度経済成長期に、都市へ移り住んで核家族を作る人が増え、祖父母と孫が一緒におやつを食べる機会があまりない家庭が珍しくなくなった。食文化の世代間継承が行われにくくなったことが、和菓子の衰退に大きな影響を与えているのではないか。

原因四,消费者世代交替。在大约半世纪前,日本进入高度经济成长期,很多年轻人举家搬到城市生活,组成了核心家庭(夫妇与子女组成的小家庭),祖孙两代人坐在一起吃小零食的场景变得不再常见。和食文化无法做到代代相传,这无疑加速了和式点心的衰败。

平成以降はさらに、地元から離れて暮らす人が増えたことや、共働きが多数派になったことなどから、他人の家庭を訪問する機会も減る傾向がある。それはつまり、手土産に地元の名店の和菓子を持参する機会も減ったことを意味する。

平成年代以后,更多的年轻人选择离开家乡去大城市打拼定居,双职工家庭也越来越多,亲朋邻里间互相拜访的次数下降。这就意味着,购买当地名店的和式点心作为手办礼的机会也减少了。

昭和時代は、手土産を通して子供たちが地元や地方の銘菓に触れる機会がたくさんあったが、そうしたモノに触れないまま育つ子供も増えているだろう。そこへ、少子高齢化による人口減少も追い打ちをかけている。

昭和年代,孩子们可以通过手办礼、土特产接触到各地的特色点心,但如今这种机会越来越少。与此同时,少子高龄化导致人口减少,使这种情况越发糟糕。

5つ目は、製造者の世代交代の減少が考えられる。和菓子屋のほとんどが小規模の個人店で、手作りを大切にする店が多い。紀の国屋のように、規模が大きくても、味の要となる餡を手作りするところもある。小豆は高温で熱しながら練らなければ、ツヤのあるおいしい餡にならない。和菓子作りは重労働なのだ。

原因五,和式点心职人的减少。和式点心铺大多都是小规模的私人店,都非常讲究手艺。像纪之国屋这样大规模的企业,决定味道关键的馅料也是纯手工制作的。小红豆必须在高温下一边加热一边捻成酱状,这样才能制作出有光泽且美味的红豆馅。制作和式点心并非一件简单的工作。

上生菓子のように、熟練の技を必要とする手の込んだ和菓子も多い。職人が足りない、後継ぎがいないなどの理由で閉店する和菓子屋もたくさんある。

像上生和菓子这样的点心,就需要职人拥有熟练的技巧。很多和式点心铺就是因为职人不足、后继无人等原因闭店的。

一方で、需要減を克服するため、新たな挑戦をする和菓子メーカー・店が近年増えている。虎屋や青柳総本家など、ようかんやういろうの個包装化を進める和菓子メーカーや、1個単位で販売する和菓子屋がある。

另一方面,为了冲破需求量减少的僵局,近来很多和式点心制造商·店铺开始推陈出新。虎屋和青柳总本家等店,改进了羊羹和外郎米粉糕的独立包装,可以以个为单位进行售卖。

また最近は、和洋折衷スタイル、あるいは映えるビジュアルの和菓子を販売する店が増えている。東京の虎屋はあんペーストなど、洋に振った商品を次々と開発し、若い世代が入りやすい「トラヤあんスタンド」を展開している。

此外,越来越多的和式点心店推出和洋折中风格的点心,或是样式新颖应时的点心。东京的虎屋就陆续推出了豆沙酱等贴近西方饮食习惯的产品,还为迎合年轻一代开设了“TORAYA AN STAND”咖啡甜品店。

京都を代表する手土産の八ツ橋には、チョコレートやイチゴミルクなどを挟んだ粋都(すいーつ)シリーズもある。2011年に東京・長原で開業した「wagashi asobi」は、ドライフルーツを入れたようかんで話題を呼ぶ。

京都代表点心铺“八桥”,推出了掺加巧克力和草莓牛奶的粋都系列。2011年于东京·长原开业的“wagashi asobi”,推出的加了坚果的羊羹一时间成为网红推荐。

イチゴ大福の登場が1980年代。ブルボンがチーズおかきを発売したのも1984年。考えてみれば、味噌汁・ご飯と組み合わせるとんかつも、昭和初期は洋食扱いだったのだ。カレーやラーメンも、今や世界で「日本食」として受け入れられている。製造者さえ変化を恐れなければ、和菓子も新しい装いで進化できる。すると、グローバルに受け入れられる「日本菓子」として大きく成長する時代が到来するかもしれない。

草莓大福上市于上个世纪80年代。BOURBON于1984年开发出起司小饼干。现在想来,与味增汤、米饭相搭配的炸猪排在昭和初期被当作是西方食品。咖喱和拉面已然成为世界认可的“日本料理”。只要店家敢于改变,日式点心也会迎来新的市场。这样的话,“日本点心”红遍全球,产值大幅增长的时代可能就会到来了。

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