《日本書紀》中有一段提及树木的用途。书中写道,素戔嗚尊神(農耕神)从身上拔出一根根毛,将它们变成各种树木,杉树用于制造“浮宝”(船)、扁柏用于建造“瑞宮”(美丽的建筑物)。
堅くて丈夫なカシは農具の柄(え)に、水に強いカヤは風呂桶(おけ)に…と、木はそれぞれの持ち味を生かして仕事をしてきた。これらも神代の昔から伝わる“適材適所”の知恵だろう
坚固耐用的栎树用作农具的把柄,耐水的榧树用作浴桶……树木发挥各自的优势,一直肩负着自己的使命。这些都是从远古神代就传承下来的“物尽其用”的智慧吧。
何年か前のこと、奈良の薬師寺に立ち寄った折、ちょうど夏休みの子供たちに向けた催しが開かれているところで、木材の見本をいくつか並べて用途を説明した展示を見た
几年前,我顺道去了趟奈良的薬師寺,刚好赶上一个为放暑假的孩子们举办的活动,参观了陈列有好几种原木样本,并有其用途说明的展览。
建築や造船、仏像彫刻などのほかでは、クヌギの説明に「カブト虫等」とあったのが印象に残っている。なるほど、小さな生命を育てることも樹木には、浮宝や瑞宮に劣らぬ貴い仕事であるに違いない
记得在枹树的介绍中,它的用途除了建筑、造船和雕刻佛像外,还写着“独角仙等(的栖息地)”。诚然,孕育幼小的生命一定也是树木不亚于制造“浮宝”和建造“瑞宮”的重要使命。
きょうの「みどりの日」、旅の車窓を眺めつつ、あるいは公園のベンチに腰掛けて、木々の緑に目を休める方もあろう。心がささくれ立つことの多い現代人にとって、木はときに物静かな名医でもある
今天是“绿化节”,想必有人一边在旅途中眺望车窗外或坐在公园的板凳上,一边以绿树养眼呢!对动不动就浮躁的现代人来说,树木有时还是平息烦躁的名医。
去年の秋、本紙に「木の葉」という小学4年生の詩が載った。「いつかは落ち葉になる/それをかくごして/葉は緑のとき/思い出をつくるだろう」。子供のまなざしにほんの少し、おとなびた深みを添える。木にはそんな仕事もあるらしい。
去年秋天,本报刊登了一首一名小学4年级学生写的诗歌,题为《树叶》。“知道总有一天会变成落叶/为此/叶子乘着青葱之时/要编织美丽的回忆吧”。是孩子的视角,却又添了些许大人般的深刻。树木似乎也有诗中所写的这种用途啊。