沪江

日本人也不知道的日语:とど是什么?

Amane译 2016-11-06 06:30

Facebook、Twitter、tumblr……現代人にとってはなくてはならない存在となっているSNS。知らず知らずに結構な分量の文章を書いていたり、文字数が制限されるTwitterでは慣用句やことわざを多用したりする場合も多いだろう。改めて文章を書いていると気付かされるのは、日本語のむずかしさ。聞きなれた言葉を誤用していたり、よく考えてみると意味がわからない慣用句を当たり前のように使っていたり。そこで今回は、『知ればどや顔 よくわからない日本語』(東郷吉男/有楽出版社)から、あまり知られていない日本語の意味を紹介したい。

Facebook、Twitter、tumblr……对现代人来说,社交网站(SNS)已是不可或缺的存在。我们不知不觉就已写下大量文章,在有字数限制的Twitter上多次使用惯用句或谚语。正式写文章时,我们就会体会到日语的艰深。我们时不时会用错耳熟能详的话语,或是理所当然使用不明所以的惯用句。于是今次,笔者就《为博识自傲 不明所以的日本语》(东乡吉男/有乐出版社)一书,向大家介绍那些不为人知的日语背后的意义。

例えば、「行きついた最後のところ。結局。」という意味の「とどの詰まり」。この「とど」が一体何を指しているのか、ご存じだろうか? アシカ科の海獣トドを思い浮かべる人もいるかもしれないが、この「とど」はボラ科の魚のこと。ボラは出世魚(成長するにつれて呼び名が変わる魚)で、幼魚からキララゴ、スバシリ、イナ、ボラ、そして最後の老魚がトド。これ以上、成長しないことから「とどの詰まり」という言葉が生まれたのだ。

比如说,表达“走到最后。结局”之意的“とどの詰まり”一词。您可知道其中的“とど”究竟指什么吗?也许会有人想到海狗科的海兽——海狮,不过这里的“とど”指的是鲻科鱼类。鲻科鱼为变名鱼(即名称随成长变化的鱼),从鱼苗开始,依次称为キララゴ、スバシリ、イナ、ボラ,以及最后的老鱼トド。这之后便不会再成长,由此诞生了“とどの詰まり”一词。

では「ビタ一文」、一文はご存じのとおり穴あき貨幣1枚という意味だが、「ビタ」とはなんだろうか。これは室町時代以降に私鋳された粗悪な貨幣「鐚銭(びたせん)」のこと。つまり“偽造貨幣すら出さない”、とにかく出さないことを徹底したことを表現しているという。

那么,“ビタ一文”(一文钱,极少的钱)一词中,正如各位所知,一文就是一枚中间有孔洞的硬币,但是“ビタ”又是什么呢。这指的是室町时代之后私铸的劣质货币“劣钱”。换句话说就是“连假币都掏不出来”,总而言之就是一毛不拔之意的极端表现。

いまや死語になりつつある、「かまとと」も語源が実におもしろい。「かま」は蒲鉾の略、「とと」は上方で「魚」を意味する女性の言葉「おとと」のことだという。ある女性が「蒲鉾って、あれおとと(魚)からできているの?」のように言ったことに由来するそうで、「世俗のこと、殊に台所回りのことに疎いのが、良家の女性として慎ましいとする昔風の考えにねざした言葉の名残」だという。いまでは“性的な事柄を知っていながら、知らないように見せること”という意味合いが強いが、時代とともに「女性として慎ましいと思われる条件」が「台所回り」から「性的なこと」に移り変わってきたと思うと、言葉が生き物だということがつくづく感じられる。

现在正在逐渐成为死语的“かまとと”(装清纯)一词的语源也相当有趣。“かま”是鱼糕一词的缩写,“と”则出自关西地区“鱼”一词的女性用语“おとと”。这个词似是源自一位女性的问话“鱼糕是鱼做的吗?”,是“不谙世事,尤其是与锅碗瓢盆相关之事,是大家闺秀当有的举止——这一源于旧式思想的语言余韵”。如今,这个词则更偏向于“深谙风月之事却故作懵懂”一意,一旦想到随着时代变化,“被认为是正经女子的条件”由“锅碗瓢盆”转为“风月之事”,不由让人深觉语言确实具有生命。

誤用として気をつけたいのは、「姑息な」という言葉。「姑息」とは、実は「しばらく息をつくこと」というのがもともとの意味だそう。そこから転じて、「一時しのぎの。間に合わせの。物事の処理に根本的に取り組むのではなく、その場だけを取り繕って済ませようとするさまをいう」というのが正しい意味。「卑怯」という意味は含まれていないのだ。

希望大家注意,不要误用“姑息な”这个词语。“姑息”一词,实际原是“暂且休息一下”的意思,由此引申为“一时忍耐。权宜之计。仅在事发当场敷衍了事,并非从根本解决问题”,这才是正确的含义,并不包含“卑鄙”的意思。

このように、誤用しがちな言葉も語源を把握しておけばミスを防げる。SNSなど、言葉があふれる現代こそ、改めて日本語の面白さに目を向けてみてはいかがだろう。

如此,只要掌握容易误用的词语语源就可以避免错误。在社交网络(SNS)上,在这语言层出不穷的现代,我们更应重新将目光投向日语的有趣之处。

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