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一言不合就不伦?不伦剧盛行的原因

Memoars译 2017-02-05 06:30

ワイドショーや週刊誌では、有名人の不倫をスクープしたゴシップ記事が盛況だが、テレビドラマも不倫を題材にした作品が増えている。

目前,日本的综合电视节目和周刊杂志中,将名人的不伦事件作为头条报道的景象已成盛况,以不伦为题材的电视剧作品也在增多。

一口に不倫モノと言っても作品の傾向はバラバラで、不倫そのものを中心に置いているものもあれば、物語の隠し味として使っているものも多い。例えば、1991年に放送され大ヒットした『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)のヒロインだった赤名リカ(鈴木保奈美)は、主人公の男性と恋愛する前は上司と不倫関係にあった。先進的な女性(もしくは、先進的な人間と思いこみたい女性)ほど、同世代の男が子どもに見えて、大人の男性と恋愛関係になるというイメージがあるのかもしれない。これが学園ドラマだと教師と付き合う女子生徒の恋愛となる。

总的来说,就算被认定为是讲述不伦故事的作品,作品的倾向还是各有不同,有直接以不伦为中心的作品,将不伦作为故事佐料的作品也有不少。比如,1991年播出后大受欢迎的《东京爱情故事》(富士电视台系)的女主角·赤名莉香(铃木保奈美 饰),她与男主人公恋爱前就曾与上司有过不伦关系。前卫的女性(或者说是想被看做是前卫人类的女性),她们给人留下的印象可能就是:觉得与她们同辈的男人还是孩子,会与成熟的男性产生恋爱关系。如果是校园剧的话,就会被写成与老师交往的女学生的恋爱(故事)。

その意味で、大人の女性の仕事と恋愛を描こうとすると、不倫というモチーフがどうしても入り込んでしまうという側面があるのかもしれない。

从这种意义上来说,如果描绘成熟女性的工作和恋爱,就会不知不觉地陷入以“不伦”为主题,这样的一面也许是存在的。

不倫は最大のタブーなのか?

“不伦”是最大的禁忌吗?

今日に至る不倫モノの定型を作ったと言える80年代の『金曜日の妻たちへ』(TBS系)を筆頭に、不倫を題材にしたドラマは昔から存在しているが、近年で一番の話題作と言えば『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジテレビ系)だろう。

以放在今天可谓是塑造出“不伦剧定型作”的80年代日剧作品《给星期五的妻子们》(TBS系)为首,不伦题材的日剧从以前就存在着,近年最热门的(不伦)话题作应该是《昼颜~工作日下午3点的恋人们~》(富士电视台系)吧。

上戸彩が演じるスーパーのパートタイムで働く主婦が、斉藤工が演じる教師と許されざる恋に落ちていく本作は、大人のドラマとして話題になり「昼顔」という言葉は、2014年の新語·流行語大賞にもノミネートされている。吉瀬美智子が演じる複数の男性と不倫をする奔放な主婦も印象的で、同時に彼女が不倫をせざる負えない背景として、家族の息苦しさに押しつぶされそうになっている姿がしっかりと描かれていた。脚本の井上由美子とチーフ演出の西谷弘の相性もぴったりで、他の作品とは違うハードボイルドな不倫モノとなっていた。

《昼颜》描绘了上户彩饰演的在超市兼职的主妇,与斋藤工饰演的教师陷入了不被允许的恋爱,作为成人日剧而成为话题,让“昼颜”一词在2014年新语·流行语大奖中也成为了候补词汇。吉濑美智子饰演的奔放主妇与多位男性产生不伦关系,这一角色也让人印象深刻,而作为让她陷入不伦的背景,那种被家庭压得喘不过气来的模样也被很好地刻画出来。担任本剧编剧的井上由美子与主导演·西谷弘配合也非常默契,因而让本剧成为与其他作品不同的辛辣不伦作品。

もっとも、同じ時期に柴門ふみの漫画を原作とした『同窓生~人は、三度、恋をする~』(TBS系)という不倫モノが放送されていたので、『昼顔』が不倫ドラマブームの出発点というのは厳密には違うのだろう。2010年に大石静が脚本を書き、長谷川博己の出世作となった『セカンドバージン』(NHK)を筆頭に、不倫を題材にした作品は定期的に作られており、潜在的な需要はずっとあるのだと言える。

不过,原本与《昼颜》于同一时期播出的作品中,还有改编自柴门文漫画的《同窗生~人生谈三次恋爱~》(TBS系)这样的不伦作品,因此将《昼颜》作为不伦剧热潮的出发点,严格来说应该不太对吧。以2010年由大石静执笔剧本、令长谷川博己成名的作品《第二处女》(NHK系)为首,此后以不伦为题材的作品就在定期被制作推出,应该说观众对这类作品的潜在需求是一直都存在的。

では、なぜ不倫を題材としたドラマが作られ続けているのだろうか。

那么,为什么日剧一直制作推出以不伦为题材的作品呢?

劇中の不倫の描かれ方で共通しているのは、人に知られてはならない秘めた恋だからこそドラマチックな物語として描かれていることだ。恋愛ドラマは恋人同士の間に障害があるほど、盛り上がる。逆に言うと障害がないドラマは基本的に盛り上がらないのだが、自由恋愛が当たり前の時代において、障害を作るのは難しい。そんな中、未だ万人にとってタブーとされているのが不倫である。

这些电视剧中描绘不伦的方式有着共通之处,那就是因为不伦是不能为人所知的秘密恋爱,所以可以作为戏剧性的故事来描绘。就像恋爱剧中恋人之间存在着障碍那般,不伦剧也非常精彩。反过来说,没有障碍的电视剧基本上无法出彩,而在“自由恋爱是理所当然”的时代下,(在电视剧中)创造障碍则更加困难。在这样的情况下,对于众人而言算得上是禁忌的就是“不伦”。

これもまた大石静が書いたドラマなのだが、美容整形を題材にした『クレオパトラな女たち』(日本テレビ系)という作品は、美容整形を中心とした様々なタブーを打ち破っていく豪快な作品だったのだが、最後の最後で主人公が不倫をすることになった時に、とたんに古い倫理観が全面に打ち出された古風な物語に様変わりしてしまったのが妙に印象的だった。あのドラマを見た時、どれだけ経済的に自立した強気で自由な女性を描いていても、不倫の重たさは、むしろ昔より強まっているのではないかと感じた。

说到这里,就要提及大石静执笔剧本的日剧、以美容整形为题材的《埃及艳后般的女人们》(日本电视台系)这一作品。该作品是以整容为中心、不断打破了各种禁忌的有力作品,但最后的最后却让主人公走上不伦之路,正是当人们的传统伦理观被全面刷新时,作品又转变为旧式故事,这很不可思议地给人留下了深刻印象。看那部作品时,你会发现就算是被描绘成经济上自立、坚强且自由的女性,面对不伦的沉重感反而似乎有种比以前更加强有力的感觉。

また、ほとんどが女性向けの作品だというのも、大きな特徴だろう。商品として見た不倫モノの利点は、不倫=エロティックという名目で効率良く濡れ場を出せるということだ。近作の大きな特徴としては、性的な欲望を向けられるのが若い男性俳優だと言うこともあるだろう。

此外,几乎所有面向女性的作品,可以说都有这样一个巨大的特征:从商品的角度来看,不伦剧的好处是可以将不伦等同于“情色”,以此为名目推出功效很好的情爱场面。而近年来这类作品巨大特征,可以说就是让年轻男性演员呈现出性欲望吧。

つまり、エロティックなイケメンドラマとして需要されているのだが、これは、冷静に考えればある程度当然のことだろう。

也就是说,“情色系的帅哥电视剧”这类作品正被渴求着。冷静想想,从某种程度来说这也是种必然吧。

男性向けのエロティックなコンテンツは女性アイドルのグラビアから熟女向けのアダルトビデオまで、あらゆる性的な欲望は、少し手を伸ばせば簡単に手に入る仕組みになっている。それに比べると女性向けエロティック作品の市場は、ここ10年ぐらいで大きく広がったものの、まだまだ数としては少なく、だからこそ、そういった欲望は物語の形を借りて描かれる。

面向男性的情色系作品,从女性偶像的写真集到熟女系AV作品应有尽有,在这些作品中,所有的性欲望只要稍有需求就能很简单地弄出作品去欣赏。与此相比,面向女性的情色作品市场尽管近10年有了极大拓展,但相较而言(作品)数量还是很少,正因如此,这种欲望便借以故事的形式被描绘出来。

かつて、AKB48の人気アイドルで、今は女優として活躍する前田敦子が主演を務めた『毒島ゆり子のせきらら日記』にしても、男性ファンの欲望に応えるというよりは性的な場面では男性に対して強者であろうとして複数の男性と恋愛をしていたヒロインが、妻子持ちの男に引っかかってしまう滑稽だが哀しい姿が描かれており、女性視聴者の共感を呼ぼうとする作りとなっていた。

过去作为AKB48人气偶像、现在以女演员身份而活跃的前田敦子,其主演的《毒岛百合子的赤裸裸日记》比起满足男性粉丝的欲望,更偏向于描绘身为强者而与多位男性展开恋爱的女主角,最终被已经娶妻的男子所吸引而产生滑稽却又悲哀的模样,由此将该剧创作为引起女性观众共鸣的作品。

ワイドショーにおける不倫の描かれ方

综合电视节目中的不伦描绘方式

それにしても、現実の芸能人のゴシップ記事の反応と、ドラマで描かれる不倫を見比べていると、両者の物語構造が真逆であることに改めて驚かされる。

尽管如此,对现实生活中艺人的绯闻报道产生的反应,以及与在电视剧中所描绘的不伦相比,可以发现两者的故事构造是完全相反的,这一点再次让人感到惊讶。

↑↑2016年,Becky与“极度卑劣少女”主唱·川谷绘音的不伦恋闹得沸沸扬扬

週刊誌の不倫報道のほとんどは、“浮気された奥さん”の立場から語られる。そこでは不倫をした夫と夫をかどわかした女性は家庭にトラブルを持ち込む悪役である。

周刊杂志所爆出的不伦报道,大体上都是从“遭遇不伦伤害的太太”的立场上来表述。而做出不伦行为的丈夫以及诱拐丈夫的女性,则被当做是为家庭带来纠纷的坏人角色。

もちろん、それぞれの家族の事情は別々だ。しかし、そこで描かれる不倫劇の多くは奥さんと子どもを被害者とみることが一番の前提にあり、それをひっくり返すことは難しい。そして、奥さんと子どもが可愛そうという善意が反転して、家族を傷付けた不倫の当事者に社会的制裁を加えたいという欲望に火がつけられる。

当然,各家的情况有所不同。但是日剧中所描绘的不伦故事,基本上都是把“将太太和孩子当做被害者”作为首要前提,而将这一点颠倒过来(当做故事主体)是很难的。此外,将“太太和孩子很可怜”这样的善意观点换个说法,可以说不伦剧点燃了人们希望对那些对家庭造成伤害的“不伦当事人”加以社会制裁这样的欲望。

その意味で、近年のワイドショーにおける不倫報道の盛り上がりは、円満に見えた家族が、ボロボロに崩壊していく様をエンターテイメント的に楽しんでいる側面が大きい。そこで攻撃対象とされているのは芸能人や政治家、文化人といったセレブリティであり、火をつけられるのは、彼らを引きずり下ろしたいという大衆の嫉妬心だ。

从这种意义上来说,近年综合电视节目所带来的不伦报道的热闹景象中,人们期待以娱乐的方式看到看似圆满的家庭(因为不伦而)被崩坏得破烂不堪的样子,这一方面(的需求)很大。在这一情况中,被作为攻击对象的是艺人、政治家、文化人等名流人士,而引爆这种现象的正是人们想要把这些名流“拉低”的大众嫉妒心。

非正規雇用の男女が増える中で、ふつうの恋愛や結婚ですらも難しいものとなりつつある。そんな世の中で、不倫ができる男とは、それ相応の社会的地位や経済的成功があるというのが暗黙の前提だ。そんな男と不倫をする女性は、金と社会的地位が目当ての若い女というケースが多く、本人にそんな気がないにしても、そう世間には見えてしまう。

在身为非正规雇佣(员工)的男女逐渐增加的情况下,就连普通的恋爱结婚也在渐渐变难。在这样的社会中,能够发生不伦的男人相应地拥有一定的社会地位以及事业成功,这是一种默认的前提。而与这样的男人不伦的女性中,贪图男性金钱及社会地位的年轻女性的例子居多,就算本人(发生不伦时)并没有那样的想法,但在世人眼里就是会被这么看。

おそらく、不倫そのものに対する風当たり以上に、貧しく無名の時代から支えてきた奥さんを捨てて、若い女に乗り換えようとする男と、そんな出来上がった男を若さと美貌でつまみ食いをしようと目論む女に対する「うまいことやりやがって」という反発と羨望が大きいのではないかと思う。

恐怕应该说,不仅仅是对于不伦这种行为有着社会非难,抛弃从贫穷且无名的时代便开始支持着自己的妻子,换年轻女子(当情人)的男人,以及计划着用自己的年轻貌美来“拿下”这种男人的女人,对于这类男女产生“尽干这种好事”的反对与羡慕的声音也很大吧。

繰り返しになるが、安定した経済力と社会的地位がなければ不倫はおろか、恋愛や結婚ですら今の日本では簡単ではないのだ。だから不倫は、結婚できた人間のみが味わえる最高の贅沢だと言える。もちろん、それはあくまで記事になった時に浮かび上がる客観的な現実であり、当事者には、簡単に語ることができないそれぞれの事情があるのだろう。

再强调一次,如果没有稳定的经济力和社会地位就不会产生不伦,更何况恋爱和结婚这种事在当今的日本也并不简单。所以可以说,不伦其实应该是结了婚的人才能够享受的最高级的奢侈。当然,这仅仅是引发报道后所想到的客观现实,对当事人而言,这是无法简单言说的事,毕竟各有各的情况吧。

アンチホームドラマとしての不倫モノ

作为“反家庭电视剧”而存在的不伦作品

「これを不倫だと思いますか?それとも純愛だと思いますか――?」とは、去年放送の『せいせいするほど、愛してる』(TBS系)のキャッチフレーズだが、どれだけ世間から見たら、間違ったことに見えても、当事者にはそうせざる負えない切実な理由があるのだろう。

“你认为这是不伦吗?还是认为它是纯爱呢……?”,这是去年播出的日剧《毫不保留的爱》(TBS系)的宣传语,就算大家看着觉得(剧中的行为)是错误的,但是从(剧中的)当事人的角度而言,这是有着不得已而为之的可怜理由吧。

そのため、大抵の不倫モノのドラマでは、不倫をせざる負えない理由が設定されている。それは、夫婦の間がセックスレスだったり、どちらかが原因で不妊に悩んでおり、そのことが原因となって姑から嫌味を言われたり。

因此,大抵上不伦题材的作品,都会设定出“不得不伦”的理由来。这其中的理由可能是夫妻之间的“无性生活”问题,亦可能是因为某些原因而产生不孕的烦恼,由此而被婆婆所挖苦。

 

また、よくあるのは夫婦のどちらかが(大抵は夫)が先に浮気をしているというケースだ。そういった不幸が積もり積もって主人公が抑圧的な日常を送っていたある日、偶然出会った魅力的な異性にひかれていってしまう。という物語構造になっている。

此外,经常出现的例子是夫妇中的某一方(大多是丈夫)先出轨。主人公不断积累着前面所述的那些不幸,过着压抑的日常生活,而在某日偶然遇见充满魅力的异性便被其吸引,故事的构造就是这样。

それが一番わかりやすく出ていたのが、主婦の孤独を描いた『昼顔』だったと言えよう。本作には、そもそも家族は本当にすばらしいのか?という問いかけすらも含まれていた。

最能够让人体会到这一点的例子,应该就是描绘出主妇孤独的《昼颜》吧。在这部作品中,还包括了“原本(组成)家庭就真的很好吗?”这样的疑问。

一見円満に見える家庭にもさまざまな問題があり、そこから抜け出す唯一の希望として不倫は描かれているのだ。だから不倫相手は、ドラマでは息苦しい家族から救い出してくれる究極の恋愛相手となり、逆に現実では、家族を破壊しようとする悪となる。その意味で不倫ドラマは家庭を否定するアンチホームドラマだと言える。 

乍一眼看上去很圆满的家庭,其实也充满着各种各样的问题,而从中解脱出来的唯一希望就是“不伦”,作品中就是这样来描绘的。所以,在电视剧中,不伦恋的对象成为将主人公从苦闷的家庭中拯救出来的终极恋爱对象;反观现实世界,这样的不伦对象则是破坏家庭的坏人。从这种意义上来说,不伦剧可谓是否定家庭的“反家庭电视剧”。

主婦層をターゲットとするワイドショーにおいて、家族を否定することは最大のタブーだ。しかし、誰よりもそんな家族のしがらみウンザリにしているのも主婦である。そんな彼女たちの欲望は、現実には不倫をした人間に対する社会的制裁の残酷ショーとして発露されるが、フィクションでは、今の現実から解放してくれるメロドラマとして描かれる。家族の抑圧がある限り、不倫モノが廃れることは今後もないだろう。

通过以主妇层为目标的综合电视节目(报道不伦事件),以此对家庭进行否定,这就是最大的禁忌。然而,比谁都厌倦这种家庭“障碍”的也正是主妇。这样的主妇们的欲望,放在现实中是作为对不伦之人给予社会性制裁的残酷秀而被披露出来,作为虚构作品的话,则可当做让她们从当下现实中解脱出来的爱情剧来进行描绘。只要家庭压抑依旧存在,不伦剧今后也不会衰落吧。

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