沪江

精彩日文晨读II 52、脸的前与后

2011-07-21 10:43
选自《精彩日文晨读II-触动心底的幸福》
顔のうらおもて 街の雑踏の中で、親しい人の後姿を見つけて呼びかけることがある。人違いすることはほとんどない。前に回って顔を確かめることをしなくても、間違うことはない。 これは私が顔かたちを作る職業の彫刻家だから、というのではない。おそらく誰でも、後ろから見ただけで、その人を見分けることができる。 何故こんなことができるのだろうか。 人は相手の顔を見ているとき、前面の顔だけを見ているのではないのだ。 頭部全体のその一部として顔をみているのだからであろう。その時、意識に残るのは顔の中の目や鼻や口だけなのだが、実は、相手の頭部全体を感じているのだ。 頭部を一つの塊として感じとっているのだから、顔の裏側の後頭部も全部含めて対応しているのだ。 意識する、しないは別として、頭部全体を相手にしているわけだ。 だから顔には本当は裏も表もなく、頭部なのだ。だから後頭部も顔の一部と考えるべきだ。 顔とは、どこからどこまでが顔なのか。髪の生えぎわから下なのか。それはいけない。頭髪が後退してしまっている人もいるから。顎から上が顔なのかというとそうもいかない。咽喉から首に繋がって境界線は全くない。 私は肖像彫刻を頼まれることがある。肖像彫刻を作っている時、不思議なことに気が付いた。 彫刻だから、後頭部も作る。何遍も失敗して、気がついたことは、後頭部をしっかり作らないと、その人に似てできない、ということだった。 つまり十人十色、一人一人後頭部にも、その人だけの特徴がある、ということだ。後頭部を始めに決定的に作らなければ決して肖像にならないことが分かった。
脸的前与后 在挤满行人的大街上,看到熟悉的背影,我会从后面叫他。几乎没有认错人的时候。都不用刻意转到前面确认,因为肯定不会认错。 这当然不是因为我是搞头部雕刻的。大概无论谁,都能通过背影,认出熟人吧。 这是为什么呢? 因为,人们在认识一个人的时候,看的不光是他的脸。 脸,只是作为头部的一个部分而存在的。只不过是因为我们只是意识到对方脸部的眼睛,鼻子和嘴罢了。其实,我们看到的是对方的头部的整体。 因为头部作为一个整体而存在,所以,我们在看的时候,不但会看到他的前部,还会看到他的后部。 不管你注意没注意到,我们都是这样把头部作为一个整体来认识的。 所以从这个意义上讲,“脸”是不分前后的,因为头部是个整体。因此,后头部也必须作为“脸”的一部分来看待。 那么,所谓的“脸”,从哪到哪算是“脸”呢。从前额发线往下吗?我看不行。因为有很多人发线是很高的。那么是从下巴往上吗?也不行。因为从咽喉往上,一直连着脖子,哪里是下巴,并没有明显的分界线。 有一次,我受托做一个头部肖像。做的过程中,我意识到了一个问题。 因为是雕像,所以头后部也要做。经过几次失败,我终于意识到,如果头的后部做得不像的话,整个头像都不会像那个人。 正是所谓的人与人各不相同,每个人都不一样。每个人的头部都有他独有的特征。我最后明白了一个道理,如果刚开始不把头后部搞定的话,整个头像就无法完工。
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