さてこれは外題 を心眼 と申 す心の眼 といふお話でござりますが、物の色を眼 で見ましても、只 赤 のでは紅梅 か木瓜 の花か薔薇 か牡丹 か分 りませんが、ハヽア早咲 の牡丹 であるなと心で受けませんと、五色 も見分 が付 きませんから、心眼 と外題 を致しましたが、大坂町 に梅喜 と申 す針医 がございましたが、療治 の方 は極 下手 で、病人に針 を打ちますと、それがためお腹 が痛くなつたり、頭痛の所へ打ちますと却 て天窓 が痛んだり致しますので、あまり療治 を頼 む者はありません。すると横浜 の懇意 な人が親切に横浜 へ出稼 ぎに来 るが宜 い、然 うやつてゐては何時 までも貧乏してゐる事では成 らん、浜 はまた贔屓強 い処 だからと云 つてくれましたので、当人 も参 る気になりましたが、横浜 へ参 るには手曳 がないからと自分の弟の松之助 といふ者を連 れまして横浜 へまゐりまして、野毛 の宅 へ厄介 になつて居 り、せめて半年か今年一年位 稼 いで帰 つて来 るだらうと、女房 も待つて居 りますと、直 に三日目に帰 つてまゐりました。鼻の尖頭 へ汗をかき、天窓 からポツポと煙 を出し、門口 へ突立 つたなり物も云 ひません。女房「おやお前 お帰 りか。梅「い……今帰 つたよ。女房「おや何 うしたんだね、まア何 うも余 り早いぢやアないか、浜 へ往 つて直 ぐに帰 つて来 たの。梅「直 ぐにたツて居 られねえもの、どうも幾許 居 たくつても居 られません、あまり馬鹿馬鹿 しくつて口惜 しいたツて口惜 しくねえたツて耐 らないもの……。と鼻息 荒 く思ふやうに口もきけん様子。女房「何 うしたんだねえ、まア何 だね。梅「何 うしたつて、フン/\あの松 ン畜生 め……。女房「松 さんが何 うしたんだえ。梅「彼奴 が、己 を置去 りにして先へ帰 りやアがつたが、岩田屋 さんは親切だから此方 へ来 な、浜 は贔屓強 えから何 でも来 ねえと仰 しやるので、他 に手曳 がねえから松 を連 れていくと、六畳 の座敷 を借切 つてゐると、火鉢 はここへ置 くよ、烟草盆 も置 くよ、土瓶 も貸 してやる、水指 もこゝに有 るは、手水場 へは此処 から往 くんだ、こゝへ布巾 も掛 けて置 くよ、この戸棚 に夜具 蒲団 もあるよと何 から何 まで残 らず貸 して下 すつてよ、往 つた当座 だから療治 はないや、退屈 だらうと思つて岩田屋 の御夫婦 が来 て、四方山 の話をして居 ると、松 が傍 で土瓶 をひつくりかへして灰神楽 を上 げたから、気 を附 けろ、粗忽 をするなつて他人 さまの前 だから小言 も云 はうぢやアねえか、すると彼奴 が己 にむかツ腹 ア立 つて、よく小言 をいふ、兄振 つたことを云 ふな、己 が手を曳 いてやらなけりやア何処 へも往 かれめえ、御飯 の世話 から手水場 へ往 くまで己 が附 いてツてやるんだ、月給 を取るんぢやアなし、何 んぞと云 ふと小言 を云 やアがる、兄 もねえもんだ、兄 (狸 )の腹鼓 が聞いて呆 れると吐 しやアがるから、やい此 ン畜生 、手前 は懶惰者 でべん/\と遊んでゐるから、何処 へ奉公 に遣 つたつて置いてくれる者もないから、己 が養 つて置くからには、己 の手を曳 くぐらゐは当然 だ、何 を云 やアがるつて立上 つて戸外 へ出たが、己 も眼 が見えないから追掛 けて出ても仕様 はなし、あんな奴 にまで馬鹿 にされると腹を立つのを、岩田屋 の御夫婦 が心配して、なに松 さんだつて家 へ帰 れば姉 さんに小言 を云 はれるから、帰 つて来 るに違 ひない、なに彼奴 は銭 を持 つてゐる気遣 ひは有 ませんから、停車場 へ往 つたツて切符を買ふ手当 もありませんから、いまに帰 りませうと待つたが、帰 つて来 ねえ、処 で悪い顔もしず、御飯 の世話 から床 の揚下 しまで岩田屋 さん御夫婦 が為 て下 さるんだが、宜 い気 になつて其様 なことがさせられるかさせられねえか考へて見ねえ、とてもそれなりに世話 に成 つてもゐられねえから帰 つて来 たのよ。女房「本当 に困るぢやアないかね、私 も義理 ある間 だから小言 も云 へないが、たつた一人の兄 さんを置去 りにして帰 つて来 るなんて……なに屹度 早晩 にぶらりと帰 つて来 るのが落 だらうが、嚥 腹が立つたらうね。梅「腹が立つたつて立たねえツてえ、詰 らねえ事 を腹ア立てやアがつて、たつた一人の血を分けた兄の己 を置去 りにしやアがつてよ、是 れと云 ふのも己 の眼 が悪いばつかりだ、あゝ口惜 しい、何 うかしてお竹 や切 めて此 の眼 を片方 でも宜 いから明けてくんなよ。女房「明けてくんなと云 つて、私 ア医者 ぢやアなし、そんな無理なことを云 つたツて私 がお前 の眼 を明 る訳 にはいかないが、苦しい時の神頼 みてえ事も有るから、二人で信心 をして、一生懸命になつたら、また良 いお医者 に出会 ふことも有らうから、夫婦で茅場町 の薬師 さまへ信心 をして、三七、二十一日 断食 をして、夜中参 りをしたら宜 からう。と是 から一生懸命に信心 を始めました。すると一心 が通 りましてか、満願 の日に梅喜 は疲れ果てゝ賽銭箱 の傍 へ打倒 れてしまふ中 に、カア/\と黎明 告 る烏 諸共 に白々 と夜 が明け離 れますと、誰 やらん傍 へ来 て頻 りに揺 り起 すものが有ります。×「梅喜 さん/\、こんな処 に寐 て居 ちやアいけないよ、風 え引くよ……。梅「はい/\……(眼 を擦 り此方 を見る)×「おや……お前 眼 が開 いたぜ。梅「へえゝ……成程 ……是 は……あゝ(両手 を合 せ拝 み)有難 う存 じます、南無薬師瑠璃光如来 、お庇陰 を以 ちまして両眼 とも明 かになりまして、誠に有難 う存 じます……成程 ウ是 は手でございますか。×「然 うよ。梅「へえゝ巧 く出来 てゐますね。×「お前 何 うして眼 が明 いたんだ。梅「へえ実 は二十一日 断食 をしました、一心 が届 いたものと見えます。×「ムヽウ、まゝ此位 な目出度 い事はないぜ。梅「へえ誠に有難 う存 じます……あなたは何方 のお方 で。×「フヽヽ何方 だつて、お前 毎日 のやうに宅 へ来 てえるぢやアねえか、大坂町 の近江屋金兵衛 だよ。梅「へえ、是 は何 うも誠にへえゝ……あなたは其様 なお顔でございましたか。近江屋「フヽヽ其様 なお顔と云 ふものもねえもんぢやアねえか、何 にしても眼 の明 いたは共に悦 ばしい、ま結構 な事で。梅「へえ有難 う存 じます、毎度また御贔屓 になりまして……これは何 です、一体 にかう有 るのは……。近江屋「成程 な、眼 のない人が始めて眼 の明 いた時には、何尺 何間 が解 らんで、眼 の前 へ一体 に物 が見 えると云 ふが、妙 なもんだね、是 は薬師 さまのお堂 だよ。梅「へえゝ、お堂 で、是 は……。近江屋「お賽銭箱 。梅「成程 皆 ながお賽銭 を上 げるんで手を突込 んでも取れないやうに…巧 く出来 て居 ますなア…あの向 うに二つ吊下 つて居 ますのは…。近江屋「あれは提灯 よ。梅「家内 などが夜 点 て歩きますのは彼 れでげすか。近江屋「なに、それはもつと小さい丸いので、ぶら提灯 といふのだが、あれは神前 へ奉納 するので、周囲 を朱 で塗 り潰 して、中 へ墨 で「魚 がし」と書いてあるのだ、周囲 は真 ツ赤 中 は真 ツ黒 。梅「へえゝ真 ツ赤 ……真 ツ黒 旨 く名 けましたな、成程 真 ツ赤 らしい色で……彼 れは。近江屋「彼家 は宮松 といふ茶屋 よ。梅「へえゝ……これは甃石 でございませう。近江屋「おや/\よく解 つたね。梅「へえ是 は下駄 を履 いて通 ると、がら/\音がしますから解 りますが、是 は盲人 が歩きいゝやうに何処 へでも敷 いて有 るのでせう。近江屋「なアに社内 ばかりだアね、そろ/\出掛 けようか。梅「へえ有難 う存 じます、只今 杖 を持つてまゐりませう。近「もう杖 も要 らねえから薬師 さまへ納 めて往 きな。梅「へえ誠に有難 う存 じます……へえゝ何 うも日本晴 れがしたやうだてえのは、旦那 さま此事 でございませう、本当に有難 いことで。近「まア芽出度 かつた。梅「旦那 々々 これは何 でげす。近「生薬屋 の看板 だよ。梅「あれは……。近「糸屋 の看板 だ。梅「へえゝ……あれは。近「人が見て笑つてるに、水菓子屋 だ。梅「へえゝ……あ彼処 に在 る円 いものは何 です、かう幾 つも有 るのは。近「あれは密柑 だ。梅「あの色は何 と云 ふんです。近「黄色 いてえのだ。梅「へえゝ……密柑 には異 つたのが有 りますなア、かう細長 いやうな。近「フヽヽあれは乾柿 だ。梅「乾柿 、へえゝ彼 は。近「第一の銀行よ。梅「成程 噂 には聞いて居 りましたが立派 なもんですね……あれは。近「橋だ、鎧橋 といふのだ。梅「へえゝ立派 な物 ですね何 うも……あの向うへ往 きますのは女 ぢやアございませんか。近「然 うよ。梅「へえゝ女 てえものは綺麗 なものですなア、男 が迷 ふな無理もありませんね。近「あれは何処 かの権妻 だか奥 さんだか知れんが、人柄 で別嬪 だのう。梅「へえゝ綺麗 なもんですなア、私共 の家内 は、時々 私 が貴方 の処 へお療治 に参 つて居 ると迎 ひに来 た事もありますが、私 の女房 は今のやうな好 い女 ですか。近「ウフヽヽ、アハヽヽ梅喜 さん腹 ア立 つちやアいけないよ、お前 ん処 のお内儀 さんは失敬 だが余 り器量 が好 くないよ。梅「へえゝ何 んな工合 ですな。近「フヽヽ何 んな工合 だツて……あ彼処 へ味噌漉 を提 げて往 く何処 かの雇 ひ女 が有 るね、彼 よりは最 う少し色が黒 くツて、ずんぐりしてえて好 くないよ。梅「彼 より悪 うございますと、それは恐入 りましたな、私 は美人だと思つてましたが、器量 の善悪 は撫 たツて解 りません……あ……危 えなア、何 んですなア……是 は……。近「人力車 だ。梅「へえゝ眼 の見えない中 は却 つて驚 きませんでした、何 うでも勝手にしねえと云 ふ気 が有 りましたから、眼 が明 いたら何 だか怖 くツて些 とも歩けません。近「それぢやア車 に乗 せよう、然 うして浅草 の観音 さまへ連 れて往 う。と是 から合乗 りで、蔵前通 りから雷神門 の際 で車 を下 り、近「梅喜 さん、是 が仲見世 だよ。梅「へゝえ何処 ウ……。近「なアにさ、ここが観音 の仲見世 だ。梅「何 かゞございませう玩具店 が。近「べた玩具店 だ。梅「どれが……。近「あの種々 なものを玩具 と云 ふのだ。梅「へえゝ……種々 な物 が有 りますな、此間 ね山田 さんの坊 ちやんが持 つていらしつたのを私 が握 つたら、玩具 だと仰 しやいましたが、成程 さま/″\の物 が有 りますよ、此方 も玩具 ……彼方 も玩具 、其 の隣 も玩具 、あゝ玩具 を引張 つて伸 して居 ります。近「フヽヽあれは飴 やだよ。梅「へえゝ成程 、此方 は。近「人形屋 。梅「向 うのは。近「料理茶屋萬梅 といふのだ。梅「あら/\。近「見 ともねえなア、大きな声 であらあらと云 ひなさんな。梅「あれは。近「絵草紙 だよ。梅「へえゝ綺麗 なもんですな、撫 て見ちやア解 りませんが、此間 池田 さんのお嬢 さまが、是 は絵 だと仰 しやいましたが解 りませんでした。梅「おゝ突当 りやがつて、気 を附 けろい、盲人 に突当 る奴 が有 るかい。近「眼 が明 いて居 るぢやアないか。梅「ヘヽヽ今日 明 きましたんで、不断 云 ひ慣 けて居 るもんですから。と云 ひながら両手 を合 せ、梅「南無大慈大悲 の観世音菩薩 ……いやア巨 きなもんですな、人が盲目 だと思つて欺 すんです、浅草 の観音 さまは一寸 八分 だつて、虚言 ばツかり、巨 きなもんですな。近「そりやア仁王門 だ、是 から観音 さまのお堂 だ。梅「道理 で巨 きいと思ひました……あゝ……危 い。と驚 いて飛下 る。近「フヽヽ何 だい、見 ともない、鳩 がゐるんだ。梅「へえゝ豆をやるのは是 ですか……鳩 がお辞儀 をして居 ますよ。近「なに豆を喰 つてゐるんだ。梅「異 つたのが居 りますね、頭 の赤 い。近「あれは鶏鳥 だ……ま此方 へお出 で、こゝがお堂 だ。梅「へえゝ成程 、十八間 四面 とは聞いてゐましたが、立派 なもんですな。近「さ此 の段々 を昇 るんだ。梅「へえ何 だか何 うも滅茶 でげすな……おゝ/\大層 絵双紙 が献 つてゐますな。近「額 だアな、此方 へお出 で、こゝで抹香 を供 るんだ、是 がお堂 だよ。梅「へえゝ是 が観音 さまで……これは何 で。近「お賽銭箱 だ。梅「成程 先刻 も薬師 さまで見ましたが、薬師 さまより観音 さまの方 が工面 が宜 いと見えてお賽銭箱 が大きい……南無大慈大悲 の観世音菩薩 、今日 図 らず両眼 明 かに相成 りましてございます、誠に有難 き仕合 に存 じます……。近「梅喜 さん、此方 へお出 でよ。梅「へえ……こゝに大層 人が立つてゐますな。近「なに彼 りやア此方 の人が映 るんだ、向うに大きな姿見 が立つてゐるのさ。梅「此方 の人が向うへ……(前後 を見返 り)え成程 近江屋 さん貴方 が向うに立つてゐますな、成程 能 く似 てゐますこと。近「似 てゐる筈 よ、鏡 へ映 るんだから、並んで見えるだらう。梅「私 は何方 で。近「何方 だツて二人並んで居 るだらう。梅「へえ……。首を動かし見て、「成程 此方 で首を振 るやうに向うでも振 り、舌 を出せば彼方 でも出しますな。近「止 しねえ、見 ともねえから。梅「ムヽウ私 は随分 好 い男 ですな。近「ウン……。梅「私 は此 の位 な器量 を持 つてゐながら、家内 は鎧橋 で味噌漉 を提 げて往 つた下婢 より悪いとは、ちよいと欝 ぎますなア。近「其様 なことを云 つたつて為 やうがない、さアこゝは奥山 だ。梅「へえ……。ときよろ/\してゐる中に、近江屋 の旦那 を見失 つてしまひました。梅「金兵衛 さアん……近江屋 さアん……。と大きな声 を出して山中 呶鳴 り歩きます中 に、田圃 の出口 の掛茶屋 に腰を掛 けて居 ました女 は芳町辺 の芸妓 と見えて、お参 りに来 たのだから余 り好 い装 では有 りません、南部 の藍 の萬筋 の小袖 に、黒縮緬 の羽織 、唐繻子 の帯 を〆 め、小さい絹張 の蝙蝠傘 を傍 に置き、後丸 ののめりに本天 の鼻緒 のすがつた駒下駄 を履 いた小粋 な婦人 が、女「ちよいと梅喜 さん、ちよいと。梅「へえへえ何処 ウ……(彼方 此方 を見廻 す)女「何 だよう、私 が先刻 から見てゐると、お前 がこゝを往 つたり来 たりしてえるが、眼 が開 いて居 るから能 く似 た人が有 ると思 つてゐたら、矢張 梅喜 さんなんだよ、ま何 うしたえ。梅「へえ、今日 眼 が開 きました。女「眼 が開 いたえ……だから馬鹿 には出来 ないものだよ、本当 に神 さまの御利益 だよ、併 しまア見違 へるやうな好 い男 になつたよ。梅「へえ、あなたは何処 のお方 で。女「いやだよ、大概 声 でも知れさうなもんだアね、小春 だよ。梅「え……小春姐 さんで、成程 ……美 しいもんですなア。小春「いやだよ、大概 におし。梅「へゝゝお初 にお目 に懸 りました。小春「何 だね、お初 ウなんて。梅「いえ、お顔を見るのはお初 ウで。小春「お前 は眼 が開 いてちよいと子柄 を上 げたよ、本当 にまア見違 いちまつたよ、一人で来 たのかい、なに近江屋 の旦那 を、ムヽ失 れて、然 うかい、ぢやア何処 かで御飯 を食 べたいが、惣 ざい料理 もごた/\するし、重 りする処 も忌 だし、あゝ釣堀 の師匠 の処 へ往 かうぢやアないか。梅「へえゝ釣堀 さまとは。小「何 だね釣堀 だね。梅「有難 い……私 は二十一日 御飯 を食 べないので、腹 の空 つたのが通 り過 ぎた位 なので、小「ぢやア合乗 りで往 かう。と是 から釣堀 へまゐりますと、男女 の二人連 ゆゑ先方 でも気 を利 かして小間 へ通 して、蜆 のお汁 、お芋 の□転 がしで一猪口 出ました。小「さ、お喫 べよ、お前 の目 が開 いて芽出度 いからお祝 ひだよ、私 がお酌 をして上 げよう……お猪口 は其処 に有 らアね。梅「へえゝ是 がお猪口 ……ウンナ……手には持慣 けて居 ますが、巧 く出来 てるもんですな、ヘヽヽ、是 はお徳利 、成程 此 ン中 からお酒 が出るんで、面白 いもんですな。小「何 だよ、猪口 の中へ指を突 つ込 んでサ、もう眼 が開 いて居 るから、お酒 の覆 れる気遣 ひはないは。梅「へゝゝ不断 やりつけてるもんですから……(一口 飲 んで猪口 を下に置き)有難 う存 じます、どうも……。小「冷 ない中 にお吸 ひよ、お椀 を。梅「へえ是 がお椀 で……お箸 は……これですか、成程 巧 く出来 て居 ますな……ズル/\ズル/\(汁を吸ふ音)ウン結構 でございます……が、どうもカ堅 くつて……。小「ホヽいやだよ此人 は、蜆 の貝 ごと食 べてさ……あれさお刺身 をおかつこみでないよ。梅「へえ……あゝ好 い心持 になつた。と漸々 盞 がまはつて参 るに従 つて、二人とも眼 の縁 ほんのり桜色 となりました。小「梅喜 さん、本当 にお前 男振 を上 げたよ。梅「へえ私 は随分 好 い男 で、先刻 鏡 でよく見ましたが。小「お前 に去年 私 が寸白 で引 いてゐる時分 、宅 へ療治 に来 たに、梅喜 さんの療治 は下手 だが、何処 か親切 で彼様 な実 の有 る人はないツて、宅 の小梅 が大変 お前 に岡惚 れをしてゐたよ、あれで眼 が有 つたら何 うだらうと云 つたが、眼 が開 いたから誰 でも惚 れるよ、私 は本当に岡惚 れをしたワ。梅「えへゝゝゝ冗談 云 つちやアいけません、盲人 にからかつちやア困ります。小「盲目 だつて眼 が開 いたぢやアないか、冗談 なしに月々 一度 位 づゝ遊んでおくれな、え梅喜 さん。梅「あなた、そりやア本当でげすかい。小「本当にも嘘 にも女 の口から此様 なことを云 ひ出すからにやア一生懸命だよ。梅「え……本当なれば私 ア嬶 を追ひ出しちまひます、へえ鎧橋 の味噌漉提 げより醜 いてえひどい顔で、直 ぐにさらけだしちまひます、あなたと三日 でも宜 いから一緒 に成 り度 いね。と云 つて居 りますと、突然 後 の襖 をがらりと開 けて這入 つて来 た婦人 が怒 りの声 にて、婦人「何 だとえ。梅「え……何処 の人 だえ。婦人「何処 の人 だつて、お前 の女房 のお竹 だよ。梅「お竹 え……是 はどうも……。竹「何 だとえ、今 聞 いてゐれば、彼奴 の顔は此 んなだとか彼 んなだとかでいけないから、さらけだしてしまひ、小春姐 さんと夫婦 に成 らうと宜 く云 つたな、お前 其様 なことが云 はれた義理 かえ、岩田屋 の旦那 に連 れられて浜 へ往 つて、松 さんと喧嘩 アして帰 つて来 た時に何 とお云 ひだえ、あゝ口惜 しい、真実 の兄弟 にまで置去 りにされるのも己 の眼 が悪いばかりだ、お竹 や何卒 一方 でも宜 いから明 けてくれ、どうかエ然 して薄くも見えるやうにして呉 れと云 ふから、私 も医者 ぢやアなし、お前 の眼 を明 けやうはないが、夫程 に思ふなら定 めし口惜 しかつたらう、何 うかして薄 くとも見えるやうにして上 げたいと思つて、茅場町 の薬師 さまへ願掛 けをして、私 は手探 りでも御飯 ぐらゐは炊 けますから、私 の眼 を潰 しても梅喜 さんの眼 を明 けて下 さるやう、御利益 を偏 へに願ひますと無理な願掛 けをして、寿命 を三年 縮 めたので、お前 の眼 が開 いたのは二十一日目 の満願 ぢやアないか、私 は今朝 眼 が覚 めてふと見 ると、四辺 が見えないんだよ、はてな……私 の眼 が潰 れたか知らん、私 が見えなければきつと梅喜 さんの眼 が開 いたらう、それとも無理な願掛 けを為 たから私 へ罰 が中 つて眼 が潰 れたのかと思つて、おど/\してゐる所 へ、近江屋 の旦那 が帰 つて来 て、梅喜 の眼 が開 いたから浅草 へ連 れて往 つたが、奥山 で見失 つたけれども、眼 が開 いたから別 に負傷 はないから安心して居 なと云 はれた時には、私 は本当に飛立 つ程 に嬉 しく、自分の眼 が潰 れた事も思はないでサ、早くお前 に遇 つて此事 を聞かしたいと思つたから、お前 の空杖 を突 いて方々 探 して歩くと、彼処 の茶店 で稍 く釣堀 へ往 つたといふ事が解 つたから、こゝへ来 てもお前 の女房 とは云 はない。只 梅喜 さんに遇 ひたうございます。何卒 遇 はしておくんなさいまし、私 は女按摩 でお療治 にまゐりましたと云 つたら、按摩 さんなら茲 においで、今お酒 が始まつて居 るからと云 ふので、私 は次 の間 に居 るとも知らず、お前 は眼 が開 いたと思つて宜 くのめのめと増長 して私 を出すと云 つたね。梅喜 は天窓 を両手 で押 へ、梅「はあア誠に面目次第 もない、お前 が次 の間 に居 やうとは知らず、誠に済 まない……。女房 は暫 く泣伏 し涙を拭 ひつゝ、竹「どうも本当に呆 れちまつたね、私 は死にます……何 を押 へるんだ、放 しておくれ。と止める手先 を振切 つて戸外 へ出る途端 に、感が悪いから池の中へずぶり陥 りました。梅「おゝ……お竹 や/\。竹「何 だよ、しつかりお為 よ、梅喜 さん/\、お起 きよ。と揺 り起 され、欠伸 をしながら手先 を掻 き、梅「ハアー……おや燈火 を消したかえ。竹「何 を云 ふんだね、しつかりおしよ、お前 何 か夢でも見たのかえ、額 へ汗をかいてゝさ。梅「へえゝ……お前 は誰 だえ。竹「ホヽヽ何 だよ、お竹 だアね。梅「こゝは釣堀 かい。竹「何 だね、宅 に寐 て居 るんだよ、お前 寐耄 けたね、何 うか夢でも見たんだよ。梅「あ……夢かア、おや/\盲人 てえものは妙 な者 だなア、寐 てゐる中 には種々 のものが見えたが、眼 が醒 めたら何 も見えない。……心眼 と云 ふお話でございます。
(拠酒井昇造筆記)
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