一
懺悔 は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和 ぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻 とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。それゆえに語られざる哲学は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない哲学である。なぜならば語られざる哲学の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである。またそれは名誉心を満足させるどころかかえってそれを否定するところに成立するものであるからである。
私のいま企てようとする哲学は、論理的遊戯に慣れた哲学者たちが夢にも企てようとは思わない哲学である。私は自己の才能を試みんがためにこれを書くのではなく、自己の心情の純粋を回復せんがためにこの努力をするのである。そしてこの努力が本当に成功するならば、私はこの一篇を書き終るとともに全く新しい性格の人として見出されるであろう。私は今年二十三である。すべてを ab ovo(始めから)に始めるために過去を食いつくしてしまわなければならない。私は私の半生の生活を回顧してその精算書を作ることを要求されている。そして私の精算書はつぎのようなふしぎな形式をとるであろう。私は自分が何をもっているかまた何をもっていないかを正直に知らなければならない。そしてそれの正当な認識はきっと私の虚栄心を破壊するにちがいない。けれど真に生きることはそこから始るのだ。私の努力が虚 しく終るかあるいはよき実を結ぶか否かは私が本当に正直になりうるか否かによって決ることである。
かつて私は同じような試みに悩ましいいく日かを送ったことがある。最初の試みは失敗して第二の試みがつづいた。第二の試みが失敗して第三の試みがつづいた。その当時私は失敗の原因を一方では私の体験の貧しさと思索の弱さと他方ではこうした仕事に専念することによって私は断片作者になりはしないかとの反省とに帰していた。私はいま私の失敗のさらに重要な原因を正しく見定めることができるように思う。体験の貧しさと思索の弱さとはいかにも失敗の原因には相違ないが、私がその失敗の後に非常な焦躁 と不安とを感じたことをもって見れば私の企ての動機のなかに不純なものが含まれていたことは明らかである。原稿はその最初の十枚にもみたない前にいく度となく裂 かれたり焼かれたりした。私が草稿を作ろうとした動機の有力なものに、その草稿が人々によって読まれ称讃されることがなかったとは誰が保証することができよう。私の失敗は遺憾 なく私のかくされていた虚栄心を暴露した。私は隠謀があばかれたもしくは野心がすっぱ抜かれた人のような心持で、腹立たしいそして不安な憂欝 の中を彷徨 した。私はその頃まだ私の仕事が決して他人を相手とすべきではなく私自身を相手とすべきことを知らなかったのであった。体験の貧しさと思索の弱さとは真の仕事の基礎となってそれを成就させるものでないことはいうまでもないが、それらについての正しき自覚と反省とは真によき仕事への必要な準備であることは疑いもないことである。体験の貧しさと思索の弱さとをしみじみと感ずることは私たちを決して不安と焦躁とに駆りはしないで、かえって静けさと安けさとに導く。不安と焦躁とは傲慢 な心のことであり、静けさと安けさとは謙虚な心のことである。よき魂は謙虚な魂であり、そしてよき魂のみがよき仕事を成し遂げることができる。
私の失敗が本当に私の体験の貧しさと思索の弱さとに本 づいていないことは、それのみならず私のその後の生活が決して改善されなかった事実が確かに証明していることである。自己の貧しさと弱さとの真の自覚は私たちをよき生活への憧憬と精進とに向わせずにはおかないであろう。断片作者になってしまいはしないかとの懸念が、私の失敗の事実上の原因であるにしてもそれが正当な原因であり得ないことは無論である。事実、私には断片作者となりやすい可能性が十分にあり、それに対して周到な警戒が必要なのであるが、私の試みは本質的には事業の問題ではなくして心情の問題である。過去の生活の精算をするというのが主要なことであって、その精算書を作るや否やは畢竟 従属的な、いわば方便上のことである。よき仕事を為 そうというのではなくして、それへの正しき準備をなすのである。あるいは結果を求めるのではなくして、結果への道を拓 くのである。よき魂を作ること、さらにはよき魂となることが私たちに最も大切な仕事であることを知っている人は、過去の生活や思想や感情のまとまらない精算が正しく行われるときには、決して断片作者を作りはしないことを確信するであろう。私はいま以上の二点についてたぶん間違っていない考えを得たように思うから、これから私は大胆にそして正直に私の仕事に向わなければならない。
二
語られる哲学においてと同じように、語られざる哲学において大切なことは、正しき問い方(Fragestellung)をすることと正しき出発点をとることとである。正しき問い方をなさないものは決勝点を見定めておかないで、かってな標的に向って走る選手のようなものである。彼のすべての努力は単に疲労をもたらすばかりであって、とうてい勝利を贏 させはしないだろう。正しき出発点をとらないものは、あたかも誤ったコースに従って走る選手である。彼が一生懸命に走れば走るほど、彼は決勝点から遠ざかりつつあるのである。カントは哲学に正しき問い方を教えたものとして、デカルトは哲学の正しき出発点を見出したものとして殊に称讃されている。語られざる哲学の問題は、一体、いかにして正しく提出され得るであろうか。
私は二つの問題の提出の仕方をもって極めて正当なものとして挙げ得ると思う。第一、いかにしてよき生活は可能であるか。第二、よき生活はいかなるものであるか。すなわち第一はよき生活の必然的制約 conditio sine qua non としての形式の問題であって、第二はよき生活の内容の問題である。まず最初に注意すべきは、私がよき生活というのは単に道徳的な生活のみを主張するのではなく、正しきもしくは美しき生活をも含めて簡単な名をもって呼んだのに過ぎないということである。つぎに何故に生活一般の形式および内容が問題とならないで、特によき生活の形式と内容とがここでは問題となるかを注意しなければならない。生活一般の形式と内容とに関しては、生理学や心理学や社会学が論議するであろう。私の語られざる哲学は生きることではなく、正しく、よく、美しく生きることについて静かに思いを廻 らそうとする。語られざる哲学の学徒は必然的に自然主義者でなくして理想主義者である。さらに注意すべきは、私がいま提出した二つの問題すなわちよき生活はいかにして可能であるか、よき生活はいかなるものであるかとの問題は、畢竟従来の論理学が盛んに論議し来った問題と同一ではないかとの疑問である。この疑問は一応当然の疑問であるように見えるけれども、結局は事物の外観に泥 んでそれの本質を究めようとしない者の言に過ぎない。論議される倫理学は単に論理上斉合的な、いわゆる悟性必然的なよき生活に関する知識をもって満足する。これに反して語られざる哲学にとっては、生活を改造しない知識、現実を支配しない理想は、音ばかりして決して射殺することができない弾丸が猟夫にとって無意味であると同様に無意味である。それは知識よりも生活を重要視する。そしてそれは真理に関する知識はただ生活することによってのみ得られるという信念を棄てようとはしない。私はいまトルストイの『我が懺悔』の一節を引用することが適当であると思う。「私は自分の間違っていたことを知り、いかにしてその間違いができたかを会得した。私が間違いをしていたのは、私の考え方が正しくなかったというよりもむしろ、私が忌わしい生活をしていたからであることを知った。真理が私に隠されていたのは、私の推理が誤っていたというよりも、私が肉の煩悩を満足させようとして、法外な道楽者の生活を送っていたからであることを知った。」語られざる哲学が求める真理は全人格が肯定しまた全人格が喜ばしさに盈 ち溢 れつつ服従する生ける真理である。それは私たちにとって律法ではなくして愛の対象となるような真理である。
私は語られざる哲学の正しき出発点について最初の思索を試みようと思う。
三
有名なデカルトはその哲学の出発点に当ってすべてを疑った。単に伝統や証権やが教えるものばかりでなく自己の感官、進んでは自己の理性の指示するところのものをも疑った。De omnibus dubitandum.(あらゆるものを疑ってみなければならない)しかして彼が方法論的懐疑といわるるものの最後に到達した真理は Cogito ergo sum.(われ思う、ゆえにわれ在り)ということであった。この絶対に疑い得ないと信ぜられた真理から出発して彼は因果律を用いて神の存在を証明し、かくして最初には疑われたものを懐疑の中から救い得ることを論証しようとした。語られざる哲学の出発点もまた懐疑であるであろうか。多くの人々にとって自明であるこの事実を、私も一応は是認しなければならない。私たちが現に感じ知り欲しておるありのままの事実を、なんらの疑いもなくそのまま受容し承認する人々に、語られざる哲学のないことは論を俟 たない。現実に対して不満を感じ疑いを懐くところから私たちの哲学も始るのである。懐疑はふつう征服されるものであるが、それが征服されない形でとどまる場合には、私たちはそれを懐疑主義もしくは懐疑説の名で呼んでいる。批判哲学の学徒は懐疑主義の成立が不可能なるゆえんを論じて、懐疑主義は自殺である。懐疑主義が主張されるということは、すでに真理の存在を予想するものであるという。私は批判哲学のこの鋭い批判をも承認しなければならない。語られる哲学における懐疑説は、おそらくこの投ぜられた槍によってひとたまりもなく射殺されるであろう。けれども、語られざる哲学における懐疑説は頭脳の考えたものではなく、心臓の感ずるものであるがゆえに、単なる論理によって征服されるようなものではない。私たちはしばしば頭で反対しながら心臓で信ずる。それは概念上の懐疑主義ではなくして生活上の懐疑主義である。
私が知恵によって目覚まされてから後いくばくもなく私の懐疑が始った。私の意識された知的生活の殆ど最初の日から、私は学校や教師をあまり信用しなかったし、またそれらから教えられる道徳に大した権威をおくこともできなかった。私は悪戯好 きで反抗的な子供であった。教室では傍視 をしたり、隣の生徒に相手になったり、楽書 をしたりばかりしていた。けれども成績の良い子供であるという教師たちの評判が私を妙に臆病にさせた。中学時代になってからは権威に対する懐疑と反抗と自己の力を示したいという虚栄心とから私は体操の教師と衝突し、文芸部の主任に反対し、校長に対してまで反抗した。その頃私は弁論の練習をしながら大政治家になろうという空漠な野心に燃えていたのだった。伝統や証権に対する懐疑が悪いことであるとは私は決して信じない。懐疑が悪いこととして否定されなければならない場合はいつでも、第一にその懐疑が徹底していないとき、第二にその懐疑の動機が正しくないときである。懐疑主義者と自称する世の多くの人々と同様に、私も徹頭徹尾懐疑的でなかった。学校や教師を信じなかった私は書物や雑誌を信じた。そして書籍の中でも偉大なる人々が心血を傾け尽して書いたものを顧みることは、旧思想との妥協者として譏 られる恐れがあったので、私は主として虚栄心のためあるいはパンのために書かれた一夜仕込の断片的な思想を受け容れた。なんでも新しいものは真理であると考えられるような時代が私にもあった。私はいわば犬の智恵をもって人間の智恵を疑ったのである。私は少しでも異なったことをいう人の名をなるべく多く記憶したり、ちょっとでも新しいことを書いた書物の題をなるべくたくさんに暗記して、ただそれだけでいわゆる旧思想が完全に破壊され得ると考えていたらしい。
私の懐疑は私自身の苦しい思索の結果というよりもむしろ私の断片的な知識の蒐集 に本 づいていた。しかしさらに悪いことは、私は私が懐疑主義者であるがゆえに私は他の人たちよりも優秀な人間であると思っていたことであった。私はひとかどの思想家のつもりで他のまじめに学業に励み教訓に忠実な人々を蔑んだ。私たちがそれらの人々を呼んだ名は「古い頭の男」もしくは「意気地のない男」というのであった。けれども懐疑主義はどんな理由からでも他人を攻撃することができないはずではないか。懐疑主義が売物にされることほど不合理なことはない。懐疑主義はそれが正当に解された場合においてさえ語られざる哲学においてのみ許され得る思想である。いまから考えてみればあの時代の私の懐疑は新思想を担 ぎ廻って新しがらんがための懐疑であり、自己の虚栄心に媚 びんがための、あるいは人が自明のことと承認していることをも疑い得る能力が私にあることを示さんがための懐疑であったように思う。
語られざる哲学の正しき懐疑主義者は謙遜であり、まじめでなければならないのであるが、その頃の私の心は傲慢であったし私の生活はふまじめであった。単に疑わんがために疑っていた私の不徹底な懐疑主義は、よく起るように自然主義と結びついてそれを弁護する役目をさえ演じた。語られる権利ももたず、またそれを欲しないはずの懐疑主義はそれが語られ主張され、さらにはそれが他を弁明し擁護するに従ってますます悪くなる。私が悪事をなしたとき私の魂は悲しんだ。けれど誰かが私の悪を詰責しようとしたとき私の傲慢な心は答えた、「一体何が善であり悪であるのか。伝統や因襲やに束縛されている人のほかは誰だって道徳の標準を示し得ないのだ。」何人も正直に考えるときには懐疑主義と自然主義との間になんら必然的な論理的連絡もないことを容易に発見するであろう。ただ自己の情慾に従って生活する自然主義者といわるるものの多くが懐疑説をもって自己の悪しき生活の弁護の具となしやすい事実は、いかに懐疑が徹底的にしかして正しき動機をもって始められ難いかを語っている。真の懐疑は単に古きものや一般的なるもののみでなく新しきもの、特殊的なるものにも向けられ、一切の外的と他律的とを排して純一なる内的と自律的とに向う努力において成立するのである。あるいは単に自己以外のもののみならず自己そのものをさえ疑い否定する努力において初めて見出されるのである。私たちが徹底的な懐疑と呼びうるものは、実にかくのごとき懐疑である。それゆえに徹底的な懐疑とはすべてのものを殺し、従って自己をも殺すことである。かくのごとき懐疑の後に再びすべてのものを生かし、従って自己をも生かすことができるか否かは、実際かくのごとき懐疑に生きた人のみが体得し得ることであろう。疑いを征服する仕方は疑いの対象となるものを悉 く否定してしまうよりほかにはない。懐疑が正当に結びつき得るものは一部分の否定ではなくして全体の否定である。懐疑の完成は使徒パウロが「われもはや生けるにあらず、キリストわれにおいて生けるなり」といったところにおいて見出されるのである。
自己の否定する心の犀利 を矜ったり、いたずらに他と標異することを好んだり、もしくは自己の不道徳な生活を弁護したりすることが懐疑の正当な動機であることができないのは明白なことである。懐疑は論理をもって戯れることではなくて魂のまじめなる悩みである。懐疑の正しき動機はかようにして、よき生活への意志でなければならない。現実の世界もしくは自己に満足せずしてさらに価値多き世界、もしくは自己に憧憬する心において初めて正しき懐疑は見出されるのである。現実と理想、価値なきもしくは価値少きものと、価値あるもしくは価値多きものとの対立や矛盾を感ずる懐疑、その対立と矛盾とを悲しみ悩む懐疑こそ正しき懐疑である。懐疑はそれ自身消極的、否定的態度であるにしても根本的には積極的、肯定的態度を予想する。絶対に光を見ず、また光の予感をもたずしてただ闇の中に住める人の心には懐疑はない。プラトンがいったような身は肉体の牢獄の中にありながらイデアの世界に還 ろうと憧がれ求めておる人間の魂においてのみ正しき懐疑はある。懐疑に伴う寂しさや悩しさは、それゆえに、意識されたもしくは意識されない生 みの悩みである。私のこの考察はまだ間違っているのではなかろうか。真にまじめなる懐疑はむしろなんらの動機をも含まない懐疑、換言すれば疑わないではいられないから疑うところの懐疑であるのであろう。彼の魂は瞬 きせざる眼をもって見詰めながら闇の唯中を彷徨 する。時に彼の眼が闇の中に光の幻覚を生ずることがあっても彼の魂は欺かれはしない。かくのごときなんらの動機をも含まない、従って殆んど宿命的に感ぜられる懐疑の特質は、それが徹底的であるということである。私はここにおいて真の懐疑とは徹底的な懐疑であるという前に得たと同様な結論に達した。しかして徹底的は全体の否定を意味する。
人々はしばしば次のように語る、懐疑は疲れ、傷つき、病める心のことであって、健康で活動する心の知らないことであると。私は彼らがこの言葉によって何を意味しようとしておるかを認識し、また彼らの意味することが事実であることを承認することを惜 まない。彼らのいう懐疑は、私がここに正しきもしくは真の懐疑とよぶところのものでないことは明らかである。真の懐疑は柔弱ではなくて剛健な心、自分自身をも否定して恐れない心、ヘーゲルの言葉を用いるならば真理の勇気(Der Mut der Wahrheit)をもった心において可能である。それは戦士のような心のことであって、掏摸 のような心のことではない。かようにして懐疑という言葉に伴いやすい種々の不純な意味を退けて、それが含まねばならぬ積極的な方面を特に高調するために、私は反省という言葉を選び反省をもって語られざる哲学のとらねばならない正当な出発点と見做 そうと思う。反省ということに関しては後に再び考察する機会をもつはずである。私は私の過去の内的生活における懐疑の役目について、わずかばかりの回顧をなしておく必要があるように思われる。
四
全体の傾向からいうと私は決して世のいわゆる懐疑的ではない。私を懐疑的から遠ざけた第一のものは、私の友だちが私をよぶにしばしば用いた「エネルギッシュ」ということであった。人並以上の頑健な体格を恵まれ、かつて一度も病気と名づけられるほどの病気をしたことのない私の中には、元気が横溢して絶えざる活動を私に迫った。私は数人前の食事をすることができた。ゲーテは幾人もの友だちに次から次へとつき合って食事したといわれているが、この点では私も決してゲーテに劣らなかった。私はわずかの睡眠で済ますことができた。中学時代の頃私は別に必要に迫られているわけでもないのに、月に一回は徹夜して読書することに決めていたことがあった。私は私の精力を主として散歩と読書とに費した。私は大抵の人には負けずに歩くことができたし、読書の量もふつうの人に劣らなかった。精力はあり、知識慾は人一倍強く、それに虚栄心や野心も盛んであった私は、学問のあらゆる分科にわたって手当り次第に新しきものを求めた。しぜん私は吸収に没頭して消化の方面を顧みなかった。こうした外向的な活動に専念している人に懐疑の起る余裕のあるはずがない。時に疑いを生ずることがあっても、私は私が接するであろう新しき思想、新しき書物によって解決され得るものと漠然と考えて、これを自らに求めて解決しようなどとはしなかった。私は殆んど本能的な活動慾に駆られて私の目の前に現われる何物にでも手を動かした。その頃の私はちょうど執拗な鈍痛を頭に覚える男がそれを鎮めようとして無暗に頭をぶっつけ廻るようなものであった。内省の余裕のない限りない活動には懐疑に伴うような憂鬱は随ったが懐疑そのものは含まれていなかった。私も他の人もこのあくことを知らない活動を包む本能的な憂鬱をみて私を懐疑家であると思い誤っていたらしい。精力の過剰に悩む人の雰囲気を作っている暗くて寂しい陰影は、けれども、病弱なそしてひねくれた心に起りがちな懐疑に伴う淡いけれど鋭い感じのする憂愁でもなければ、またそれは正しき懐疑に随う安けさと静けさとを含んでもいない。
私はいま何が正しくそして何が誤っているかをはっきりと見定めることができるように思う。はたらくということ、そこにはなんらの非難さるべき誤りもない。人生の本質、一般に実在の本質は活動にある。それゆえにあるものが偉大なる力を発揮してはたらけばはたらくほど、そのものの実在性と価値とは大である。まことに眠れる獅子は吠ゆる犬に及ばない。誤りはその活動が正しき方向に向ってまたにおいて行われないというところに存する。誤っているのは活動そのものではなくして理想のない盲目的な活動である。頭で認識するよりも心で確信することがさらに大切であること、自己の良心で判断してみないことは無暗に受容したり排斥したりしないこと、虚栄心や名誉慾やは決して正しき真理に導かずしてただ真理に対する恐れざるしかしてやさしき愛のみがそれをなすこと、これらの点を体認して、外向的よりもむしろ内向的活動がいっそう重んずべきものであることを知っている人にとっては、活動はそれが大であればあるほどよき活動である。かようにして活動が理想の光によって照らされるとき、陰鬱な気持は晴れて快活となり、宿命的な感じは退いて自由創造的となり、悩しき反抗はやさしき抱擁に道を譲るのである。正しき懐疑はすべての否定であるがゆえに、それは絶大なる活動である。自己の魂のすべてをあげての奮闘である。けれどふしぎにもそこには傲 り高ぶる心がなくしてへりくだるやさしき心がある。
第一のものと関連して私を懐疑的から遠ざけたものは私の反抗する心であった。私は剛情で片意地であった。それに悪いことには少しばかりの才能を持合せていたので、私は多くの人に起るように何にでも反対したり反抗したりして自己の才能を示そうとした。私は自分の意志することはなんでも成遂げられると信じていた。そして私は私の注目に値したすべての種類の人になることを次から次へと空想して行った。政治家、弁護士、法律学者、文学者、批評家、創作家、新聞記者、哲学者……。ただ私が初めからなってみようと思わなかったことが二つあった。それは商売人と軍人とである。後に私の反抗は習慣的になってしまって、なんらの動機もなく、またなんらの理由もなしに、ただ無暗と人に反対したり喰ってかかったりした。私はそうしたあとで本当にやるせない寂しさの中に自己の醜悪を感ずるのであったが、習慣から脱することは他から考えられるほど容易なことではなかった。私はあたかも傷ついた野獣のような姿をして、ただなんでもいいから自己を通そうとした。私の友だちは私のこの性質を「押しが強い」と名づけた。反抗は外に向う心であり物をそれに従って正直に理解することではないから、反抗が行われるところに正しき懐疑は存在しないのは明らかである。真の疑いはいつでも自己に反って求めるところから、事物をありのままに認識するところから始るのである。
二、三の友だちは私にこういった、「君は不幸に逢わなければよくなれない。君は大きな打撃にぶっつかる必要がある。」私はいまそれらの言葉をもう一度はっきりと思い起して、その意味を自分で適当に解釈しながらしみじみと味ってみる必要がある。それは何より先に謙遜なる心の回復を意味するのでなければならない。しかるに謙虚なる心は小さい自我を通す喜びによってよりもそれを粉砕する悲しみによって得られるのである。険しい道に由 り狭い門をくぐって私たちは天国に入るのである。この世の智恵を滅ぼすとき神の智恵は生れる。まことに天国は心の貧しき人のものである。私はいまさらに新なる感興をもってゲーテの有名なる詩の一句を誦せざるを得ない。
基督 の大いなる言葉について思い廻らそう、「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜんために来れり。それ我が来れるは人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑□ より分たんためなり。」悪に対して剛き心はやがて善に対してやさしき心である。私は他人に対して反抗するまえに自分自身に対して反抗しなければならない。自己を否定し破壊し尽してのちにおいて初めて、他人に対して何を始むべきかを知るであろう。私は剛情な子供が我儘 を押し通そうとしたとき、賢しい母親に妨げられそれがよくないことであることを諭されて自分で会得したとき、一時に母親の膝に泣き挫 れる、その子供の無邪気なそして素直な心をもって大地に涙しながら私の高ぶり反く心を挫 さなければならない。そのとき私の片意地はあたかも地平線に群る入道雲が夕立雨に崩れてゆくように崩れてゆくであろう。
私の活動性と反抗性とが私を懐疑から遠ざけている間に、さらに第三のものが私の心に生れて懐疑を退けようとした。そのものは私が幾分かでもまじめになって哲学を研究するようになってから生れたものであって、現に私の心の中で成長しつつあるものである。永遠なるものの存在、それによっての現実の改造の確信、私はそれを一般にこうした形式で現わすことができるかも知れない。価値意識の存在、それの経験意識の支配の信頼、それはこうした形に書き換えることもできるであろう。自由とは良心が自然的なる思惟活動、感情活動および意志活動を規定し制御してゆくところに存するものであるとするならば、それは自由の可能の確信という言葉によっても現わされ得るであろう。
文化的価値が自然的価値の中に次第に頭角を現わして行く過程を歴史と名づけるならば、一般に歴史的過程の存在の確信、しかしてそれの最後の完成への絶対の信仰こそ私の懐疑を退けた第三のものである。あるいはもっと通俗的な言葉を用いるならば、良心と理想との存在とそれの現実の規定力との確信が私がいわんとする当のものである。一度この確信が私の心に生れて以来、私は未来へのよき希望を失うことができなかった。たとい論理や経験やがいかほど反対しようとも、私のこの一度生れた信仰は決して破壊されないだけの力をもって私の中に宿っておるように思われる。アリストテレスはいった、驚きから哲学は始ると。またデカルトは考えた、哲学の首途は懐疑であると。しかしながら私自身に関していえば、私は前にいったように決して懐疑的傾向に富んだ男ではなかったし、また人々が自明のこととして学問上許容している事柄に不審を懐くほど鋭い思索力ももっていなかった。私を哲学へ導いたものは、実に、永遠なるものに対する憧憬、プラトンがエロスとよんだところのものである。私の魂は永遠なるものの故郷に対するノスタルジヤに悩んでいる。私はたぶん私の思索生活の全体を通じて理想主義者としてとどまるであろう。私は樹から落ちる林檎 を見て驚異を感ずる心よりも、空に輝く星を眺めて畏敬の情を催す心をもって生れた。幸福なことには、私は美しき芸術を感じ、正しき真理に驚き、よき行為を畏れる心を恵まれていた。私の哲学はこの心から出発するであろう。そしてこの心が私をして子供のような無邪気さをもって闇の空にではなく大きな青空に夢み出させた。また私の純粋さはこの夢において保たれて来た。人々はよく私を現実を知らない夢みる人であるといった。私を包む青い憂愁の中にあって唯一つほのかに微笑 む白い花も実にこの心から生れたものであった。私は美しき芸術を味わいよき書物に接したときほど生甲斐を感じたことがない。私の夢と幼き心とに永き命あれ!
しかしながら、私はそれにもかかわらずいま一度考え直してみる必要があると思う。文化への憧憬と確信とははたして正しき懐疑を排斥するであろうか。それは女々 しき病弱な拗 ねた心から出る不具者 の懐疑を駆逐するであろうが、雄々しき剛健な直き心の悩む健全な懐疑とは親しげに握手するのではなかろうか。闇と光とが相容れないように善き心は決して悪き心に道を譲ろうとはしない。直き心とは妥協を知らざる心の謂 である。しかして私たちが生きている現実の世界は、それが正直に考察されるとき誰でもが醜悪や不合理を見出さずにはいられないような世界である。理想を憧がれ求むる心には必ず懐疑が起らねばならないようなのが現実に私たちが経験する世界である。自己の良心に忠実であろうとするすべての人々は、必ず悩まねばならぬ世界に私たちは生存している。それゆえに私の中に生れた理想を憧がれ求むる心が安逸を欲しているとするならば、それはまだ本物でないか、まだ生れたばかりで力が足りないかのいずれかでなければならない。もし前者であるとするならば私は私の中に感ずるよきアーヌング(予感)に従って本物を見出すことに努力しなければならないし、もし後者であるとするならば、私はそれを培い育ててゆくことに骨折らねばならない。いずれにせよ懐疑や否定があり得ないほど現実の世界はよき状態に達していないのは事実である。そしてへりくだる心とは弱き心でなくして必然に強き心である。私はあまりに安逸を求め過ぎている。その門は大きく、その路は広く、これより入る者多きもこれを選ぶ人は悉く滅びに至るであろう。才能もあり智恵や徳もあった多くの人たちでさえ、もっと険しい道を通って来たのに、それらをもっていない私が安全な道に由って完全に至ろうということほど考え難いことがまたとあるであろうか。私は決して苦しみを恐れてはならない。
五
私と哲学との関係は上に述べたことと関連してやはり三段階を経て発展した。よくあるように私も最初は哲学というものは非常に高遠で奇抜なもののように考え、そしてそのような深邃なもの新しいものを知ろうという好奇心と、そのような人が困難とするところのものを自分は理解し得ることを示そうとする虚栄心と、もっと根本的には貪 ってあくことを知らない知識慾とから哲学に向った。およそ哲学と名のつくものは唯その名のためにたいへん偉いもののように思われた時代が私にも最初にやって来た。その頃私はなるべくたくさんの哲学者の名を暗記しようとしたり、またそれらの哲学者の書いた書物の題をできるだけ多く記憶しようとした。私は単に哲学者の名やその書物の題を知りもしくはその書物を買込み、高々それらについての簡単な紹介かあるいはその書物から断片的な章句を知れば、もうそれだけで自分もひとかどの哲学者になったつもりで思いあがっていたらしい。私はそれの正当な解釈も知らず、またそれが全体の哲学体系の中でいかなる位置と意味とを占むべき句であるかも知らないで、いたずらに先行思想家の言句を喋り廻った。スペンサー曰 く、ミル曰く、ショーペンハウエル曰く、カント曰く、などということがたくさんにできれば私は得意であったし、またそんな断片的な知識で人を驚かすに十分であると信じていた。けれど真の哲学は他人相手の仕事ではなくして自己の魂の真摯 なる労作である。私に哲学上の教養があったとするならば、それは“someone said”の哲学に関してであった。しかしながら貨幣の種類をたくさんに示し得る人が必ずしも金持ではない。
青春の日が爛熟して行って憂愁が重い翼を私の心の上に拡げた。捉え難い寂しさは盲 いたる眼で闇の中を当 て途 もなく見廻わそうとし、去り難い悩しさは萎 えたる手でいたずらに虚空を掴 もうとした。日の輝く広野の嬉戯よりも薄暗い小屋の孤独を欲するような頃がやって来た。私は多勢の人の手によって軽く頭を打たれるよりも唯一人の人の手によってしっかりと抱き締められることを求めた。私の活動性がいかに自己を忘れて外なるもの新しきものに向わせようとしても、私は私の裏に感ずる悩しい自我に対して全く無頓著であることができなかった。私は明るいものよりも暗いもの、知識的なものよりも意志的なものにいっそう多くの魅力を感ずるようになった。かようにして自我に執著してすべてのものに反抗する日は来った。明確なるもの、論理的なるもの、概念的なるものに興味を失って、非合理的なるもの意志的なるものに共鳴するようになった私が最初に得たのはショーペンハウエルの哲学であった。彼の書物から来る美しいけれど悩しい旋律 は私の心を奪い去るに十分適していた。生の無価値にして厭 うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、インド思想と共通な涅槃 を説きながら、その基調においては悩しき青春の爛熟期の哲学である。私は幾夜彼の書の上に涙したことであろう。しかしながら私の自我は押し通されることを要求し、私の活動性は奮闘的であることを迫り、私の意志は反抗的であることを欲していたから、否定的、静退的を説くショーペンハウエルの哲学とは私は別れて行かねばならない運命をもっていた。私はいつとはなしにニイチエに移って行った。文学の方ではその頃イブセンを好んで読んでいたように思う。私はツァラツストラを説きブランドを叫び、超人をいい第三帝国を語った。いまから考えてみれば、私はその時分それらの事柄の正当な意味を捉えていなかったのであるが、私の全体の気持としっくり合うように思われたために、私はそれをかってに解釈して振り廻していたのだった。
当然来るべきはずの第三の時期はきわめて徐々としてではあるが確実にやって来た。けれどそれは、第二の段階に直接に連続しはしないで三ヵ年間に亘った永い切断の後にやって来た。高等学校へはいったとき、私はいよいよこれから正式に哲学の学徒として旅立つのだという嬉しさから、これまで親しんで来たものに強 いて絶縁しようとした。ニイチエやショーペンハウエルやは退けられて心理学や論理学の書物が傍に積まれた。文学や芸術の本は哲学史や哲学概論の書物によって置換えられた。その時分私の興味の中心従って読書の中心を占めていたのは心理学であって、あるときなどはまじめに心理学者になろうかなどと考えたことさえあった。心理学に対する私の興味はそれから後いまに至るまで続いて来ているのであって、高等学校を卒業する間際まで私が心理学を専攻するものだと思っていた人さえあったくらいである。
けれども曲げられたものはいつかは反撥して来るであろう。無理に絶縁されていた文学に対する私の愛は機会を得て猛然として甦 って来た。そしてその機会を作ったものは実に哲学における私自身の能力についての懐疑であった。私は疑った、「おまえの能力ははたして哲学に匹敵し得るか。おまえの粗雑な頭脳は? おまえの綿密でない思索力は? それよりもおまえの中に燃えていておまえが押え切れない情熱は?」実際私の情熱は私が冷静を装おうとすればするほど裏切る力を増してゆくように感ぜられて、私を限りなく苦しいものにした。そしてその頃私は哲学者の最大の条件は冷静ということにあると考えていたようであった。哲学者となろうとする私が自分の中に燃え上る情熱を偽 ることができない強さをもって感じたときの寂しさは、ちょうど若い尼僧がこれまで完全に征服してしまったと思っていた情熱を日も夜も感ぜずにはいられなくなったときの寂しさに似ていたであろう。そして私は論理的思索力についても全く自信を失っていた。
かようにして哲学の方面において自己の力を少しも信頼することができないようになった私は、再び文学の方へ懐しげに帰ってゆこうとした。私は文芸批評家になろうかとも、あるいは創作家になろうかとまでも思った。しかし哲学に対する顧慮は、私の文学に対する愛をふしぎに臆病にさせた。哲学書から離れて臆病になっていた私は、文学書に触れたりペンをとったりすることをまるで悪事でもするように恐れていた。来る日も来る日も私は二つの愛の中に彷徨して悩しい時を送らねばならなかった。私の心は巷の刺戟を恐れるほど弱くなっていた。弱い心は静かな自然の抱擁を求めるほか道を知らなかった。私が武蔵野を訪 うことはその頃からいよいよ繁くなって来た。自然はすべての不平と煩悶とを葬るにまことに適しき墓である。草原に寝転んで青い大空を仰ぐとき、雑木林に彳 [#ルビの「たたず」は底本では「ただず」]んで小鳥の歌に聞き入るとき、私の憂いたる心もいつとはなしに微笑んでいた。
一方では自然にうちこむことによって私の心は次第に安静を得て来、他方では学校の学科の関係上倫理学や心理学や論理学やを勉強せねばならなかったが、それらのことは私にいま一度哲学的学科に対する興味を蘇らせる機会を与えることができた。初めは必要に迫られてやったことも後には自発的にやるようになり、また学問そのものに対する純粋な知的興味を私が感ずるようになったのもその頃からであったと思う。私が最も愛読した書物は西田先生の『善の研究』であったが、私はそこにおいてかつて感じたことのない全人格的な満足を見出すことができて踊躍 歓喜した。もしこれが哲学であるならば、そしてこれが本当の哲学であるべきであるならば、それは私が要求せずにはいられない哲学であり、また情熱を高めこそすれ決して否定しないところの哲学であると私は信ぜざるを得なかった。それと前後して私が接する幸福な機会をもつことができたスピノザ哲学は、私の心に自然が与えると同じような、けれどもっと純化され透明にされた安静を与えた。以上のすべてのことによっての私の哲学的生活の第三の段階への準備に最後の完成を与え、またある意味では第三の段階そのものに属していたともいうことができるのは、私のカント哲学との接触であった。自己の衷なる理性、もしくは真の自己そのものの自覚、しかしてそれより生れる人格の品位に対する畏敬、これらのことを正しく私に教えることを得たことが、私をなにより先にカント哲学の学徒たらしめた。カント哲学は、哲学は自己を顧みない論理的遊戯であり、情熱を否定する概念的知識であるところにそれの本質を有すると考えた私の無智な誤解を一掃した。なぜならば、理性とは真の自己そのものであり、無限にして永遠なるものを憧がれ求める情熱の源となるようなものであるから。かようにして哲学的生活の第三の段階、すなわち真に正しき形而上学的要求に本 づいた哲学的生活は、自己の本源に還るところ、永遠なるものに対する愛を感ずるところにおいて初めて成立する。これらの事柄に関しては、しかし、これから後幾度となく考うべき機会をもつに相違ない。私はたぶん正当に、第一の段階を個性前の段階、第二の段階を心理的個性の段階、第三の段階を哲学的個性の段階と名づけ得るであろう。
六
私は私の過去の哲学的生活の簡単で殆んど形式的な回顧においてさえあまりに情熱的であったように思う。私の情熱が私をふしぎに寂しく悲しいものにする。私は外に向うべき眼をもって自己の内を見ているようだ。少くとも自分自身を説服しようという無邪気ならぬ心組から何物をも求めようという成心のなかるべき懺悔の心を失いつつあった。懺悔は内に翻された眼によって、そしてその眼は恐らく湿っているであろうが、しみじみと自己を眺めることである。それは他に対しては固 より自己に対してでさえ何物をも教えようとはしない絶対に謙虚なる心である。世のいわゆる哲学が集められ貯えられたる智恵に基礎をもつことを誇りげに語ろうとするとき、懺悔は自己が無智において成立する哲学であることをつつましやかに黙しつつ承認する。
けれど私はこの場合哲学がいかなるものであるべきか、厳密にいえば少くとも私の心が要求しまた私がそれを与える人でありたいと欲する哲学が、いかなるものであるべきかについて、二、三の考察を試みておくことが適当であると思う。
一般に哲学へのあり得べき正しき道として三つのものが指摘し得られる。第一は自己の深き体験から出て来、またそれに向う反省から哲学へ至る道である。私たちがふつう不注意と無感覚との中に投げ棄てている日常の瑣末 な出来事をさえも自己の魂の奥底へまで持来して感じ、人生において大切なことは「何を」経験するかに存せずして、それを「いかに」経験するかに存するということを真に知れる人はまことに哲学的に恵まれた人である。彼は多き経験とともに深き経験を欲し、しかして深き経験とは彼にとっては必然的に反省的なる経験である。彼の体験は自ら反省にまで発展し、彼の反省は必然に体験にまで還って来る。哲学への第二の道は哲学史の徹底的な研究の道を通してである。事物の外観に迷わされずしてそれの根柢へはいって行ってそれの精神を体験し得る人、哲学史上の偉大なる人たちは、起伏する波の頂点であると考えてそれの基底をなす潮流の中へ自らを沈めようとする人、そしてそれらの体験と沈潜とから得来ったものを自己の形式において生かそうとする人は、哲学に対しては選ばれたる人である。彼の胸には思想史上の天才に対する尊敬と愛とが波打っているが、しかもそれらの天才において何が永遠なるもので何が一時的なるものであるかを本能的な確かさをもって感ずることができ、しかして彼の頭脳は感得されたものに新しき統一を要求する。彼の魂は単なる客観に没頭して自己を忘れるためにはあまりに力強いのである。最後に特殊科学の究竟 的な研究は哲学への第三の道として私たちの前に開けている。一般の人ばかりでなく専門家たちが自明の真理として許容し前提する事柄をもう一度根本的に疑ってみる大胆と勇気とがある人、個々の知識に満足せずしてそれの根柢を究めようとする人は、哲学のよき学徒たる資格を十分に具えた人である。彼は子供のような無邪気さと聡明さとをもって問い、強迫観念病者のような執拗とともに明るい直観をもって研究し洞察する。彼は大地の堆 い堆積や限なき永劫 よりも一瞬の間にせよ闇黒の深さを破って輝く星の光を愛することを知っている。太初 にあり、神と偕 にあり、そしてすなわち神であるロゴスこそ彼がすべてのものを棄ててまでも求め出そうとするところのものである。しからばこれらの三つの道に共通なるものは何であるか。私は哲学に対して起りやすい二つの疑問に答え、また哲学について伴いがちな二つの誤解を正すことによって、この問題は適切に解決されるのではないかと考える。人々はいう、一体哲学などというものがあり得るか、あるとしてもそれは要するに空中楼閣に過ぎないのではないかと。いかにもそのとおりである。その体験が反省的な根強さも深さももっていない人、哲学史の知識を自己の博学を矜る具に供したり社交場裡の話柄に用いたりして得意気に満足しておる人、ないしは特殊科学の知識を単に実用に役立てる利口な人やもしくはどこまでも専門学者としてとどまろうという人、それらの人々にとっては実際哲学がないのが事実であり、またそれが空中楼閣に過ぎないかのごとく見えるのが当然である。哲学は知られるものでもなければまた教えられるものでもない。哲学はただ実際にフィロゾフィーレン(哲学思索)する人、事実哲学に生き哲学を生きた人にとってのみ存在する。厳密な論理を辿る学問でありながら他の特殊科学と異なる特質、もしそれに含まれやすい誤解を除いて考えるならば、哲学があらゆる学問の王であるゆえんは、実にこの点に存するのである。さらに他の人々は気遣わしげに問う、哲学が論ずるような普遍的なもの、論理的なものはわれわれの人生には没交渉でありなんらの影響をも与えないものではないかと。これもまた疑われるとおりである、もし彼が現実についての反省されない粗雑な観察や認識に満足してそれの根柢を究めようとしないとき、事実経験され感受されるもの以上に超越しようとする要求をもたないとき、彼にとっては論理的、普遍的を取扱う哲学は、むしろ有害なものであるか、高々無聊なる時間をやる閑事業であるかに過ぎないであろう。しかしながらこれに反して自分自らフィロゾフィーレンする人、すなわち論理的なるもの、普遍的なるものに関して苦しく力強き思索に実際生きた人にとってはこれらの疑問ほど無意味なものはない。彼らにとってはかかる論理的なるもの普遍的なるものこそ人生を生きるために、いやしくも人生を正しく深く美しく生きるためにはなくてはならぬものである。イデーに生きまたイデーを生かそうとする生活、イデーの力に対する希望と信頼、そこに哲学的生活の本質はあり、そしてかかる哲学的生活からのみ真の哲学は誕生する。真理の勇気と精神の力の信仰とは、へーゲルがいったように哲学の第一の条件である。
以上の二つの疑問に答える共通な一つの答、すなわち自らフィロゾフィーレンせよということは、以下の、前にあげた疑問に対応もしくは対立する二つの誤解を防ぐためにも十分であるであろう。私がここにいう二つの誤解の第一のものは、哲学をたいへんに高遠で深邃 なことと考えて、かような哲学をちょっとでも齧 ることを非常に偉大なことと心得て思いあがる人々に属するものである。人々が幽玄とし迂闊とする哲学を知っておくことは自己を他の人々から標異せしめ、自己の虚栄心を満足させるために最もつごうのいいことだと彼らは考える。あるいは彼らは哲学の秀れた点は主として人々が高遠とし深邃として遠ざけるちょうどその点にあると思惟する。けれども哲学の貴い点はそれが自己の外に尋ね求められるものでなく、かえって自己の内に還り見出される点にある。語られる哲学の根柢は語られざる哲学にある。そして語られざる哲学は必然的に虚しくへりくだる心の純粋において成立するのである。Les grands pens□es vient de coeur.(偉大な思想は心情から生まれる。 ヴォヴナルグ『省察』八七)真の生ける真理を与うる哲学は語る口に見出されずして語らざる魂において成長する。哲学に関する第二の誤解はこれとあたかも反対した側面からすなわちそれがあまりに人生の実際と接近して感傷的もしくは病的になって、われわれの論理的要求から遠ざかっておるという批難においてぶっつかるものである。この考えを懐く人たちの想像する哲学者は、蒼白な顰 め面をした、人生や自然におけるよきもの美しきものに無頓著な、すべての現実的に対して懐疑的もしくは厭離的になった人である。彼はやたらに涙を流す人かあるいは一滴の涙さえ涸 れ尽してしまった人かである。
しかしながら私の考えるところでは、哲学者にはいかにも感情が必要であるが、それは純化され透明にされない情緒ではなくして、永遠なる理想や価値や理念やに対する感激である。情緒と感激とは根本的に性質の異なったものであろうが、道徳を本能の一種と見做 す心理学的立場から、それらが同一根柢にまで還元されることを許すならば、感激とは永遠なるものに関係する限りの情緒である。情緒はそれに伴う不安と焦躁とからわれわれを限りなき盲目的な運動にまで駆るに反して、感激はそれに随う安静 と平穏とからわれわれを光に照らされた、限りある従って完全な活動にまで赴 かせる。それゆえに情緒の運動が自ら外部的、身体的であるに反して、感激の活動は必然的に内部的、精神的である。前者は濁れる涙を猛烈に外に注ごうとするに反して後者は輝ける涙をもって自己の魂を洗い浄めようとする。しかのみならず私が永遠なるものとよぶところのものに純粋に概念的にして論理的なる真理が含まれていることを思い、またかくのごとき純粋に知識的にして思弁的なものに対してもはなはだ高き程度の感激があり得ることを認め、もっと根本的には情緒と感激との正当な区別を誤らない人は、哲学が一方では私たちの感情的要求を決して排斥するものでなく、他方では私たちの論理的要求を否定するものでないという二つのことが必ずしも矛盾しないことを容易に発見し得るであろう。哲学はいつでもフィロゾフィーレンする人にのみあり、またフィロゾフィーレンする人によってのみ正しく理解され得るものである。
私がいま与えた解決にして誤っていないならば、私は真の哲学者の資格として次の二点を挙げても間違ってはいないであろう。第一、論理的思索力の鋭さと強さ。第二、永遠なるものに対する情熱の清さと深さ。このことと関係して私が哲学者と呼ばれておる人間を三つの型に分つとしても必ずしも虚妄として退けられないであろうと思う。すなわち頭のよい哲学者、魂の秀れた哲学者、および真に偉大なる哲学者がそれである。第一の型の人々を一体哲学者と呼んでいいのかどうか私は知らない。なぜなら彼らは真の哲学者の資格として私があげた第一の条件としての論理的思索力の鋭さと深さについて、単に鋭さを示すのみであって深さをもっていないからである。学校の秀才といわれるものの特質を担ったいわゆる講壇的哲学者には頭があっても魂がない。そして深さは、それが論理的、概念的に関係しておる場合においてさえ、いつでも魂に本 づいておるからである。彼らは声高く教えようとする、彼らは堆 き文献を作ろうとする。論理の巧妙と引証の該博と討究の周到とは彼らが得意気に人に誇示するところである。しかし惜しいことには彼らにはそれらの秀れたるものを統一して生かしまた深める魂が欠けている。いわば彼らには積極的がない。彼らは人の驚きを買うことができても人の愛を得て人を感激せしめることができない。ファウストがワグネルを喩 したそのままの言葉がちょうど適当であるのが彼らの哲学である。
私のいま企てようとする哲学は、論理的遊戯に慣れた哲学者たちが夢にも企てようとは思わない哲学である。私は自己の才能を試みんがためにこれを書くのではなく、自己の心情の純粋を回復せんがためにこの努力をするのである。そしてこの努力が本当に成功するならば、私はこの一篇を書き終るとともに全く新しい性格の人として見出されるであろう。私は今年二十三である。すべてを ab ovo(始めから)に始めるために過去を食いつくしてしまわなければならない。私は私の半生の生活を回顧してその精算書を作ることを要求されている。そして私の精算書はつぎのようなふしぎな形式をとるであろう。私は自分が何をもっているかまた何をもっていないかを正直に知らなければならない。そしてそれの正当な認識はきっと私の虚栄心を破壊するにちがいない。けれど真に生きることはそこから始るのだ。私の努力が
かつて私は同じような試みに悩ましいいく日かを送ったことがある。最初の試みは失敗して第二の試みがつづいた。第二の試みが失敗して第三の試みがつづいた。その当時私は失敗の原因を一方では私の体験の貧しさと思索の弱さと他方ではこうした仕事に専念することによって私は断片作者になりはしないかとの反省とに帰していた。私はいま私の失敗のさらに重要な原因を正しく見定めることができるように思う。体験の貧しさと思索の弱さとはいかにも失敗の原因には相違ないが、私がその失敗の後に非常な
私の失敗が本当に私の体験の貧しさと思索の弱さとに
二
語られる哲学においてと同じように、語られざる哲学において大切なことは、正しき問い方(Fragestellung)をすることと正しき出発点をとることとである。正しき問い方をなさないものは決勝点を見定めておかないで、かってな標的に向って走る選手のようなものである。彼のすべての努力は単に疲労をもたらすばかりであって、とうてい勝利を
私は二つの問題の提出の仕方をもって極めて正当なものとして挙げ得ると思う。第一、いかにしてよき生活は可能であるか。第二、よき生活はいかなるものであるか。すなわち第一はよき生活の必然的制約 conditio sine qua non としての形式の問題であって、第二はよき生活の内容の問題である。まず最初に注意すべきは、私がよき生活というのは単に道徳的な生活のみを主張するのではなく、正しきもしくは美しき生活をも含めて簡単な名をもって呼んだのに過ぎないということである。つぎに何故に生活一般の形式および内容が問題とならないで、特によき生活の形式と内容とがここでは問題となるかを注意しなければならない。生活一般の形式と内容とに関しては、生理学や心理学や社会学が論議するであろう。私の語られざる哲学は生きることではなく、正しく、よく、美しく生きることについて静かに思いを
私は語られざる哲学の正しき出発点について最初の思索を試みようと思う。
三
有名なデカルトはその哲学の出発点に当ってすべてを疑った。単に伝統や証権やが教えるものばかりでなく自己の感官、進んでは自己の理性の指示するところのものをも疑った。De omnibus dubitandum.(あらゆるものを疑ってみなければならない)しかして彼が方法論的懐疑といわるるものの最後に到達した真理は Cogito ergo sum.(われ思う、ゆえにわれ在り)ということであった。この絶対に疑い得ないと信ぜられた真理から出発して彼は因果律を用いて神の存在を証明し、かくして最初には疑われたものを懐疑の中から救い得ることを論証しようとした。語られざる哲学の出発点もまた懐疑であるであろうか。多くの人々にとって自明であるこの事実を、私も一応は是認しなければならない。私たちが現に感じ知り欲しておるありのままの事実を、なんらの疑いもなくそのまま受容し承認する人々に、語られざる哲学のないことは論を
私が知恵によって目覚まされてから後いくばくもなく私の懐疑が始った。私の意識された知的生活の殆ど最初の日から、私は学校や教師をあまり信用しなかったし、またそれらから教えられる道徳に大した権威をおくこともできなかった。私は
私の懐疑は私自身の苦しい思索の結果というよりもむしろ私の断片的な知識の
語られざる哲学の正しき懐疑主義者は謙遜であり、まじめでなければならないのであるが、その頃の私の心は傲慢であったし私の生活はふまじめであった。単に疑わんがために疑っていた私の不徹底な懐疑主義は、よく起るように自然主義と結びついてそれを弁護する役目をさえ演じた。語られる権利ももたず、またそれを欲しないはずの懐疑主義はそれが語られ主張され、さらにはそれが他を弁明し擁護するに従ってますます悪くなる。私が悪事をなしたとき私の魂は悲しんだ。けれど誰かが私の悪を詰責しようとしたとき私の傲慢な心は答えた、「一体何が善であり悪であるのか。伝統や因襲やに束縛されている人のほかは誰だって道徳の標準を示し得ないのだ。」何人も正直に考えるときには懐疑主義と自然主義との間になんら必然的な論理的連絡もないことを容易に発見するであろう。ただ自己の情慾に従って生活する自然主義者といわるるものの多くが懐疑説をもって自己の悪しき生活の弁護の具となしやすい事実は、いかに懐疑が徹底的にしかして正しき動機をもって始められ難いかを語っている。真の懐疑は単に古きものや一般的なるもののみでなく新しきもの、特殊的なるものにも向けられ、一切の外的と他律的とを排して純一なる内的と自律的とに向う努力において成立するのである。あるいは単に自己以外のもののみならず自己そのものをさえ疑い否定する努力において初めて見出されるのである。私たちが徹底的な懐疑と呼びうるものは、実にかくのごとき懐疑である。それゆえに徹底的な懐疑とはすべてのものを殺し、従って自己をも殺すことである。かくのごとき懐疑の後に再びすべてのものを生かし、従って自己をも生かすことができるか否かは、実際かくのごとき懐疑に生きた人のみが体得し得ることであろう。疑いを征服する仕方は疑いの対象となるものを
自己の否定する心の
人々はしばしば次のように語る、懐疑は疲れ、傷つき、病める心のことであって、健康で活動する心の知らないことであると。私は彼らがこの言葉によって何を意味しようとしておるかを認識し、また彼らの意味することが事実であることを承認することを
四
全体の傾向からいうと私は決して世のいわゆる懐疑的ではない。私を懐疑的から遠ざけた第一のものは、私の友だちが私をよぶにしばしば用いた「エネルギッシュ」ということであった。人並以上の頑健な体格を恵まれ、かつて一度も病気と名づけられるほどの病気をしたことのない私の中には、元気が横溢して絶えざる活動を私に迫った。私は数人前の食事をすることができた。ゲーテは幾人もの友だちに次から次へとつき合って食事したといわれているが、この点では私も決してゲーテに劣らなかった。私はわずかの睡眠で済ますことができた。中学時代の頃私は別に必要に迫られているわけでもないのに、月に一回は徹夜して読書することに決めていたことがあった。私は私の精力を主として散歩と読書とに費した。私は大抵の人には負けずに歩くことができたし、読書の量もふつうの人に劣らなかった。精力はあり、知識慾は人一倍強く、それに虚栄心や野心も盛んであった私は、学問のあらゆる分科にわたって手当り次第に新しきものを求めた。しぜん私は吸収に没頭して消化の方面を顧みなかった。こうした外向的な活動に専念している人に懐疑の起る余裕のあるはずがない。時に疑いを生ずることがあっても、私は私が接するであろう新しき思想、新しき書物によって解決され得るものと漠然と考えて、これを自らに求めて解決しようなどとはしなかった。私は殆んど本能的な活動慾に駆られて私の目の前に現われる何物にでも手を動かした。その頃の私はちょうど執拗な鈍痛を頭に覚える男がそれを鎮めようとして無暗に頭をぶっつけ廻るようなものであった。内省の余裕のない限りない活動には懐疑に伴うような憂鬱は随ったが懐疑そのものは含まれていなかった。私も他の人もこのあくことを知らない活動を包む本能的な憂鬱をみて私を懐疑家であると思い誤っていたらしい。精力の過剰に悩む人の雰囲気を作っている暗くて寂しい陰影は、けれども、病弱なそしてひねくれた心に起りがちな懐疑に伴う淡いけれど鋭い感じのする憂愁でもなければ、またそれは正しき懐疑に随う安けさと静けさとを含んでもいない。
私はいま何が正しくそして何が誤っているかをはっきりと見定めることができるように思う。はたらくということ、そこにはなんらの非難さるべき誤りもない。人生の本質、一般に実在の本質は活動にある。それゆえにあるものが偉大なる力を発揮してはたらけばはたらくほど、そのものの実在性と価値とは大である。まことに眠れる獅子は吠ゆる犬に及ばない。誤りはその活動が正しき方向に向ってまたにおいて行われないというところに存する。誤っているのは活動そのものではなくして理想のない盲目的な活動である。頭で認識するよりも心で確信することがさらに大切であること、自己の良心で判断してみないことは無暗に受容したり排斥したりしないこと、虚栄心や名誉慾やは決して正しき真理に導かずしてただ真理に対する恐れざるしかしてやさしき愛のみがそれをなすこと、これらの点を体認して、外向的よりもむしろ内向的活動がいっそう重んずべきものであることを知っている人にとっては、活動はそれが大であればあるほどよき活動である。かようにして活動が理想の光によって照らされるとき、陰鬱な気持は晴れて快活となり、宿命的な感じは退いて自由創造的となり、悩しき反抗はやさしき抱擁に道を譲るのである。正しき懐疑はすべての否定であるがゆえに、それは絶大なる活動である。自己の魂のすべてをあげての奮闘である。けれどふしぎにもそこには
第一のものと関連して私を懐疑的から遠ざけたものは私の反抗する心であった。私は剛情で片意地であった。それに悪いことには少しばかりの才能を持合せていたので、私は多くの人に起るように何にでも反対したり反抗したりして自己の才能を示そうとした。私は自分の意志することはなんでも成遂げられると信じていた。そして私は私の注目に値したすべての種類の人になることを次から次へと空想して行った。政治家、弁護士、法律学者、文学者、批評家、創作家、新聞記者、哲学者……。ただ私が初めからなってみようと思わなかったことが二つあった。それは商売人と軍人とである。後に私の反抗は習慣的になってしまって、なんらの動機もなく、またなんらの理由もなしに、ただ無暗と人に反対したり喰ってかかったりした。私はそうしたあとで本当にやるせない寂しさの中に自己の醜悪を感ずるのであったが、習慣から脱することは他から考えられるほど容易なことではなかった。私はあたかも傷ついた野獣のような姿をして、ただなんでもいいから自己を通そうとした。私の友だちは私のこの性質を「押しが強い」と名づけた。反抗は外に向う心であり物をそれに従って正直に理解することではないから、反抗が行われるところに正しき懐疑は存在しないのは明らかである。真の疑いはいつでも自己に反って求めるところから、事物をありのままに認識するところから始るのである。
二、三の友だちは私にこういった、「君は不幸に逢わなければよくなれない。君は大きな打撃にぶっつかる必要がある。」私はいまそれらの言葉をもう一度はっきりと思い起して、その意味を自分で適当に解釈しながらしみじみと味ってみる必要がある。それは何より先に謙遜なる心の回復を意味するのでなければならない。しかるに謙虚なる心は小さい自我を通す喜びによってよりもそれを粉砕する悲しみによって得られるのである。険しい道に
Wer nie sein Brot mit Tr□nen ass,
Wer nie die kummervollen N□chte
Auf seinem Bette weinend sass,
Der kennt euch nicht,ihr himmlischen M□chte!
(涙ながらにパンを味わったことのない者、
悩みにみちた夜な夜なを
ベッドに坐って泣きあかしたことのない者は、
おんみらを知らない、おんみら天の力よ!)
Wer nie die kummervollen N□chte
Auf seinem Bette weinend sass,
Der kennt euch nicht,ihr himmlischen M□chte!
(涙ながらにパンを味わったことのない者、
悩みにみちた夜な夜なを
ベッドに坐って泣きあかしたことのない者は、
おんみらを知らない、おんみら天の力よ!)
(ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』第二巻一三章で、老人の
竪琴弾きが口ずさむ歌。高橋義孝・近藤圭一訳『ゲーテ全集』 第五巻)
かようにして私はここでもまた何が正しくしかして何が誤っているかをはっきりと見定めることができる。押しが強いということもしくは自己を主張することもしくは反抗するということがそれ自身誤っているのではない。誤っているのはいかなる点において押しが強いか、いかなる自己を主張するか、またいかなる事物に反抗するかに関係しているのである。私は竪琴弾きが口ずさむ歌。高橋義孝・近藤圭一訳『ゲーテ全集』 第五巻)
私の活動性と反抗性とが私を懐疑から遠ざけている間に、さらに第三のものが私の心に生れて懐疑を退けようとした。そのものは私が幾分かでもまじめになって哲学を研究するようになってから生れたものであって、現に私の心の中で成長しつつあるものである。永遠なるものの存在、それによっての現実の改造の確信、私はそれを一般にこうした形式で現わすことができるかも知れない。価値意識の存在、それの経験意識の支配の信頼、それはこうした形に書き換えることもできるであろう。自由とは良心が自然的なる思惟活動、感情活動および意志活動を規定し制御してゆくところに存するものであるとするならば、それは自由の可能の確信という言葉によっても現わされ得るであろう。
文化的価値が自然的価値の中に次第に頭角を現わして行く過程を歴史と名づけるならば、一般に歴史的過程の存在の確信、しかしてそれの最後の完成への絶対の信仰こそ私の懐疑を退けた第三のものである。あるいはもっと通俗的な言葉を用いるならば、良心と理想との存在とそれの現実の規定力との確信が私がいわんとする当のものである。一度この確信が私の心に生れて以来、私は未来へのよき希望を失うことができなかった。たとい論理や経験やがいかほど反対しようとも、私のこの一度生れた信仰は決して破壊されないだけの力をもって私の中に宿っておるように思われる。アリストテレスはいった、驚きから哲学は始ると。またデカルトは考えた、哲学の首途は懐疑であると。しかしながら私自身に関していえば、私は前にいったように決して懐疑的傾向に富んだ男ではなかったし、また人々が自明のこととして学問上許容している事柄に不審を懐くほど鋭い思索力ももっていなかった。私を哲学へ導いたものは、実に、永遠なるものに対する憧憬、プラトンがエロスとよんだところのものである。私の魂は永遠なるものの故郷に対するノスタルジヤに悩んでいる。私はたぶん私の思索生活の全体を通じて理想主義者としてとどまるであろう。私は樹から落ちる
しかしながら、私はそれにもかかわらずいま一度考え直してみる必要があると思う。文化への憧憬と確信とははたして正しき懐疑を排斥するであろうか。それは
五
私と哲学との関係は上に述べたことと関連してやはり三段階を経て発展した。よくあるように私も最初は哲学というものは非常に高遠で奇抜なもののように考え、そしてそのような深邃なもの新しいものを知ろうという好奇心と、そのような人が困難とするところのものを自分は理解し得ることを示そうとする虚栄心と、もっと根本的には
青春の日が爛熟して行って憂愁が重い翼を私の心の上に拡げた。捉え難い寂しさは
当然来るべきはずの第三の時期はきわめて徐々としてではあるが確実にやって来た。けれどそれは、第二の段階に直接に連続しはしないで三ヵ年間に亘った永い切断の後にやって来た。高等学校へはいったとき、私はいよいよこれから正式に哲学の学徒として旅立つのだという嬉しさから、これまで親しんで来たものに
けれども曲げられたものはいつかは反撥して来るであろう。無理に絶縁されていた文学に対する私の愛は機会を得て猛然として
かようにして哲学の方面において自己の力を少しも信頼することができないようになった私は、再び文学の方へ懐しげに帰ってゆこうとした。私は文芸批評家になろうかとも、あるいは創作家になろうかとまでも思った。しかし哲学に対する顧慮は、私の文学に対する愛をふしぎに臆病にさせた。哲学書から離れて臆病になっていた私は、文学書に触れたりペンをとったりすることをまるで悪事でもするように恐れていた。来る日も来る日も私は二つの愛の中に彷徨して悩しい時を送らねばならなかった。私の心は巷の刺戟を恐れるほど弱くなっていた。弱い心は静かな自然の抱擁を求めるほか道を知らなかった。私が武蔵野を
一方では自然にうちこむことによって私の心は次第に安静を得て来、他方では学校の学科の関係上倫理学や心理学や論理学やを勉強せねばならなかったが、それらのことは私にいま一度哲学的学科に対する興味を蘇らせる機会を与えることができた。初めは必要に迫られてやったことも後には自発的にやるようになり、また学問そのものに対する純粋な知的興味を私が感ずるようになったのもその頃からであったと思う。私が最も愛読した書物は西田先生の『善の研究』であったが、私はそこにおいてかつて感じたことのない全人格的な満足を見出すことができて
六
私は私の過去の哲学的生活の簡単で殆んど形式的な回顧においてさえあまりに情熱的であったように思う。私の情熱が私をふしぎに寂しく悲しいものにする。私は外に向うべき眼をもって自己の内を見ているようだ。少くとも自分自身を説服しようという無邪気ならぬ心組から何物をも求めようという成心のなかるべき懺悔の心を失いつつあった。懺悔は内に翻された眼によって、そしてその眼は恐らく湿っているであろうが、しみじみと自己を眺めることである。それは他に対しては
けれど私はこの場合哲学がいかなるものであるべきか、厳密にいえば少くとも私の心が要求しまた私がそれを与える人でありたいと欲する哲学が、いかなるものであるべきかについて、二、三の考察を試みておくことが適当であると思う。
一般に哲学へのあり得べき正しき道として三つのものが指摘し得られる。第一は自己の深き体験から出て来、またそれに向う反省から哲学へ至る道である。私たちがふつう不注意と無感覚との中に投げ棄てている日常の
以上の二つの疑問に答える共通な一つの答、すなわち自らフィロゾフィーレンせよということは、以下の、前にあげた疑問に対応もしくは対立する二つの誤解を防ぐためにも十分であるであろう。私がここにいう二つの誤解の第一のものは、哲学をたいへんに高遠で
しかしながら私の考えるところでは、哲学者にはいかにも感情が必要であるが、それは純化され透明にされない情緒ではなくして、永遠なる理想や価値や理念やに対する感激である。情緒と感激とは根本的に性質の異なったものであろうが、道徳を本能の一種と
私がいま与えた解決にして誤っていないならば、私は真の哲学者の資格として次の二点を挙げても間違ってはいないであろう。第一、論理的思索力の鋭さと強さ。第二、永遠なるものに対する情熱の清さと深さ。このことと関係して私が哲学者と呼ばれておる人間を三つの型に分つとしても必ずしも虚妄として退けられないであろうと思う。すなわち頭のよい哲学者、魂の秀れた哲学者、および真に偉大なる哲学者がそれである。第一の型の人々を一体哲学者と呼んでいいのかどうか私は知らない。なぜなら彼らは真の哲学者の資格として私があげた第一の条件としての論理的思索力の鋭さと深さについて、単に鋭さを示すのみであって深さをもっていないからである。学校の秀才といわれるものの特質を担ったいわゆる講壇的哲学者には頭があっても魂がない。そして深さは、それが論理的、概念的に関係しておる場合においてさえ、いつでも魂に
Doch werdet ihr nie Herz zu Herzen schaffen,
Wenn es euch nicht von Herzen geht.
(どうせ君の肺腑から出た事でなくては、
人の肺腑に徹するものではない。)
Wenn es euch nicht von Herzen geht.
(どうせ君の肺腑から出た事でなくては、
人の肺腑に徹するものではない。)
(ゲーテ『ファウスト』第一部五四四―五 森林太郎訳 岩波文庫)
彼らは人を教えもしくは説服しようという心に支配されていて、その根柢になくてはならない虚しくへりくだる心をもっていない。よき語られざる哲学の学徒のみがよき語る哲学の学徒たり得る。彼らの学問は恐らく地に這う魂の秀れたる哲学者とは永遠なるものに対する情熱の深き人々である。彼らの心は永遠なる理想や価値、真によき宗教や哲学や道徳や芸術や学問の憧がれとそれらに対する努力とにおいて喜びに
真に偉大なる哲学者とは、私が上にあげた二つの条件を円満にして高き程度の調和において兼ね具えた人に与えらるべき名である。彼の厳密な概念の間には永遠なるものに対する無限の情熱が
私は私が観念し、そしてもし私が恵まれるならばそれでありたいような哲学者について語った。私はそれがはたして正しい真理であるか、また一般の人々が求めておるところのものであるか知らない。ただ私の要求するところを通俗な言葉で最も簡単に現わすならば、私が根本的に求むるものは哲学を知ることではなくして哲学を生きることである。
さて私がいま上に考えた哲学者の三つの型に相応して、私は哲学を現実的、浪曼的、古典的の三種類に分ち、それの特性をめいめい現実的、超越的、フマニスティッシュ humanistisch として考えることができるように思う。けれどこれらの形式的な分類や区別について立入った論議を試みることは、私の最初の目的でもなくまた私の現在の心の状態にも適しからぬことである。
七
私の哲学的生活の発展についてはすでに語った。私はいま私の芸術的生活の変遷に関して前と同様に短い思い出を書いてみたい。そのことがこの一篇の統一と調和とを破壊しはしないだろうか、これまでにおいてでさえ、あまりに多かった全体の発展を妨害しそうな挿入が実際それを妨害するまで増されはしないだろうか、という懸念が一度私を躊躇させた。しかしながら体系を求めるために私はこの一篇を始めたのではない。私の仕事の目的は私が何であり何でなくそして何でありたいか、もしくは私が何をもち何をもたずそして何をもちたいかを正直に考えてみることにある、私は連絡のある記述よりも、私のいまなしつつある仕事が私の生活を全く新しくしてくれることを望んでいる、これらの思想が再び私を大胆にした。そればかりでなく私が私の心の奥底で考えたり感じたりしたことのほか一切を書かないという正直をさえ失わないならば、そのことがたとえ外形上の統一を破壊するにしても決して精神上の統一を破壊することはないだろう。
私の芸術的生活は無論私の哲学的生活よりずっと以前に始った。確か高等小学の一年、今の制度にすれば尋常科五年のことだったと覚えている。自分ではひとかどの俳人のつもりでいた私のクラスの担任の先生が、作文の時間に俳句の作法を例をあげたりして説明して後、生徒に句作をさせて出させたことがあった。そのとき私が書いて出した句が中で俳句らしいものになっていたと見えて、次の時間にそれを黒板に写したりなんかして、私に「あなたには確かに才能がある。これから後しっかり勉強し給え。高浜虚子という俳人がいるが、その人の名は清といってあなたと同じだから、あなたも同じ筆法で『怯詩』と俳号をつけてはどうか」などといった。その先生は俳号さえもてばそれでもう立派な俳人のように心得る種類の人であった。そしてその頃私は少年世界や日本少年の投書欄の愛読者だった。私が先生からいただいた結構な俳号の「怯詩」は、私の友だちが私を呼びかけるときの綽名としてとどまって、私はかつて自らこの号を用いたことがない。その後中学の二年の頃私は友人に頼んで「柳蔭」という号をつけて貰ったが、それも私は用いることをあまり好まなかった。私自身が本当に文学に対して要求を感じ、そして時には自分で文学者になってみたいと考えるようになったのは、やはり同じ中学二年の時国語のT先生が副科に蘆花の『自然と人生』を読んでくださった時に始るといっていい。それと同時に私の乱読時代が始った。次第に深く目覚めつつある性的に伴う憂愁の悩しい活動がそれと結合した。T先生に親しんでいた友人があるとき、私にこういった、「T先生は君をたいへん有望なものに思っている。君はきっと立派な文士になれるといつも私たちに語っている。」自分の中に動く深い憂愁がある方向を求めようとするもののように、いたずらな活動に自らを苦しめているような状態にあった私は、その言葉に動かされずにはいられなかった。それに
私の創作時代が始った。私は私の周囲にいくつかの廻覧雑誌を次から次へともって行った。文学好きの仲間が作っていた「サブライナ」の後を
いずれにせよ私は文学者志望を断念した。そして運命が本能的な確かさをもって選ぶことは決して誤らない。高等学校の入学試験の準備、一高の生活、東京との接触、それらのことは一部分は必要上から、一部分は広い世界に出てたくさんの新しいものに接したという理由から私の頽廃的な生活と沈滞した気分とを一新させ、私が
古典的ということは、これまで種々に正しくまた誤って解釈されて来たが、私はそれの特質として内容と形式との完全な一致、大さと深さとの高き程度における調和などということのほかに、特にその内容と関係してフマニスティッシュということを挙げたいと思う。しかしてフマニスティッシュとはいやしくも人間が生きたまた生きつつある生活、考えたまた考えつつある思想、感じたまた感じつつある感情、欲したまた欲しつつある意欲は、それがいかなる種類もしくは性質のものであるにしろそれらに深き興味と愛とを感じて、それらをそれらの深き根柢にまではいって理解しようとする心である。人間性の徹底的な理解に
私はもうこれ以上語ることを慎まなければならない。そして永い間断たれていた私の最初の思想との交りを、もはやなんらの迂廻もなく続けて行くべき時は来た。
八
語られざる哲学の正しき出発点として反省をとるべきことは前にいったとおりである。しからば反省とはいかなることであるか。反省とは自分自身を知るということである。「汝自らを知れ」という古い昔から幾度となく繰返された、けれどそれを身に徹して行うことは非常に困難である一句を、いやしくも自分自身において深く生きようとするものは、まず何よりも謙虚な心とならなければならない。教会で説教する牧師の心よりも人無き所で祈る者の心こそ彼に望ましき心である。彼は功名心に
しかしながらへりくだる心はまた必然的に強き心である。いかに深い闇の中に落されて行っても少しの
さて私の反省する心の前にはいかなる光景が展開されるであろう。いやしくも真に生きようとする人が自己の衷に見出さずにはいられない二つの心の対立もしくは矛盾の体験を語るものとして、私がしばしば引用したことのある二つの尊き書物からの章句をいままたここに掲げることは、少くとも私自身の反省にとっては非常に有益なことであると思う。ロマ書第七章においてパウロはいう、「われ内なる人については神の
Zwei Seelen wohnen, ach! in meiner Brust,
Die eine will sich von der andern trennen;
Die eine h□lt, in derber Liebeslust,
Sich an die Welt mit klammernden Organen;
Die andre hebt gewaltsam sich vom Dust
Zu den Gefilden hoher Ahnen.
(あゝ。己の胸には二つの霊が住んでいる。
その一つが外の一つから離れようとしている。
一つは荒々しい愛惜の情を以て、章魚 の足めいた
搦 み附く道具で、下界に搦み附いている。
今一つは無理に塵を離れて、
高い霊どもの世界に登ろうとしている。)
Die eine will sich von der andern trennen;
Die eine h□lt, in derber Liebeslust,
Sich an die Welt mit klammernden Organen;
Die andre hebt gewaltsam sich vom Dust
Zu den Gefilden hoher Ahnen.
(あゝ。己の胸には二つの霊が住んでいる。
その一つが外の一つから離れようとしている。
一つは荒々しい愛惜の情を以て、
今一つは無理に塵を離れて、
高い霊どもの世界に登ろうとしている。)
(ゲーテ『ファウスト』第一部一一一二―七 森林太郎訳)
私は今私は傲慢な態度をもって他の人々を蔑みつついった、「君たちは虚栄心に支配されている。金銭や名誉が何になるのだ。本当に自分自身に還って生きない生活は虚偽の生活に過ぎない。」なるほど、私のいうことは言葉どおりには正当である。けれども私の言葉にはそれを生かす魂の純粋が欠けていた。「たといわれ諸□の人の言葉および天使の言葉を語るとも、もし愛なくば
しかしながらさらに悪いことは、そういう私自身がいっそう強く虚栄心に燃えていたことである。他人の眼にある塵を見て自己の眼にある
私は殊に多く愛について自ら考えまた人に教えた。けれど私の利己心や他を憎む心が私が愛から出たものとして考えた行為の裏においてさえせせら笑いをしていなかったか。猜疑と嫉妬とが私の心から全然放逐されていると保証してくれる人があるであろうか。
けれども積極的に善をなさないのは必然的に消極的には悪をなすことではないか。世のいわゆる悪をなさずまた積極的に善をなすこともない無気力で怠惰な精神よりも旺盛な心をもって悪に向って活動する精神の方が秀れているとはいえないだろうか。悪魔は怠け者より神に近いに相違ない。ただ悪魔が神になれないのは彼は悪を
虚栄心や利己心や性的本能が、あるときは私を呵々大笑させ、あるときは私を沈黙と憂鬱とに導きつつ私の生活を落着のない、流るるような自由と快活とを失ったものにしていたのは事実であるが、他方においては傲慢な心から発した弁解する心と神を試みる心との二つの心が私の生活を激越な、安静のないものとした。煩悩具足の私たちは罪を作らずにはいられないような状態にいる。いかに
Er nennt's Vernunft und braucht's allein,
Nur tierischer als jedes Tier zu sein.
(人間はあれを理性と謂ってどうそれを使うかというと、
どの獣よりも獣らしく振舞う為めに使うのです。)
Nur tierischer als jedes Tier zu sein.
(人間はあれを理性と謂ってどうそれを使うかというと、
どの獣よりも獣らしく振舞う為めに使うのです。)
(ゲーテ『ファウスト』第一部二八五―六 森林太郎訳)
は、かくのごとき弁解するこましゃくれた智恵を指していったものであろう。何故に私たちは私たちの罪を素直にそのまま受け容れることをしないで、それを見苦しい私は傲慢にも神を試みようとはしなかったか。私は
かようにして私は私がかつて経験したまた現に経験しつつある一々の感覚、観念、感情、意志のすべてを、詳細に吟味して行くに従ってそれのあるものは立派に神の装をしておるにかかわらず悪魔の象徴であることを発見した。あらゆる明るさが闇への方向を含んでおり、あらゆる色彩が黒への傾向を示しておるように、私の一切の経験が
現実にあくまで執著しようとするものとそれを超越して永遠なるものを把捉しようとするものとの二つの魂の対立に関係して、私は私の衷に外へ拡ろうとする心と内へ掘ろうとする心との対立を感ぜずにはいられない。一は私の中に住む詩人であり他は私の中に宿る哲学者である。私の詩人はどこまでも延びて行って感覚の美しき戯れの観照に酔おうとしている。私の哲学者はあくまで深く掘り下げて行って闇そのものの真理を認識しようとする。前者は感覚的なるもの、特性的なるものの美しさに憧れ、後者は意志的なるもの、普遍的なるものの真理を求める。一は快活であり他は憂鬱である、一は冗舌であり他は沈黙する。私を知れる人は私についていろいろ異なったもしくは全く反対した判断を下した。一人はいう、「君は学究である、君から最初受ける感じはどうしてもプロフェッサーだ。」他の人はいう、「君の根本の素質は詩人だ。」あるいは一人は私を理性的だといい他の人は感情的だという。あるいは一人は私を利口な男だと考え他の人は
九
心情の純粋を貴んで体系の完全を尊ばないこの一篇にもなんらかの統一と連絡とが必要であるため、私は最初この一篇に三つの問題を特に重要なものとして課しておいた。すなわち、第一、語られざる哲学の出発点は何であるか。第二、いかにしてよき生活は可能であるか。第三、よき生活とはいかなるものであるか。第一の点についてはすでに考えた。もし語られざる哲学があらゆる問題が遺さるることなく論ぜられ、しかしてそれが十分な連絡をなすことすなわち体系の完全を求めるのであるならば、もしまたそれが精密な論理と証明とによって人を説服しようというのであれば、私がいまここに考察しようとしておる第二の問題、すなわちよき生活の必然的制約としての形式の問題は、最も厳密な論証をもって詳細に論議されることを要する問題であるかも知れない。
しかしながら語られざる哲学が、概念的知識においてではなくてよき生活においてそれの枢軸を見出し、またそれは巷に売らるべきものではなくて自己の中に蔵せらるべきものであるとしてみれば、私はこの問題について長い論述を試みることはさほど重要なことではないと思う。なぜならば第一に私は、歴史上多くの思想家によってしばしば互に反対し批難しつつ論ぜられたこの困難な問題に関して、すべての人が承認するか否かを問わないにしても、私自身の主張をそれらの反対や批難の唯中に持来して立入って論ずることは、勢い私を抗弁的ならしめて私の態度を不純にしはしないかを恐れるからである。しかのみならず第二に私は、この問題の解決は結局は合理的にではなく非合理的において、あるいは論理にではなく信仰において与えられ、しかしてかくのごとき生ける信仰は単なる概念的思惟によってではなく、実際によき生活を生きることによって得られるものであることを確信するがゆえに、私のように貧しく醜く生きて来た者がそれに関して長々しい論議をなすことは、
よき生活を可能ならしむる必然的制約は、私の信ずるとおりであれば、二つに別つことができる。第一、永遠なる価値の存在。第二、完成の可能。しかしてそれらと関係してそれらに安定を与える第三のものとして、もしくはそれらを抱合する唯一つのものとして、私は、絶対者の存在を挙げることができると思う。
永遠なる価値の存在の信仰にして虚妄であれば私たちのよき生活はあり得ない。私たちの驚嘆と畏敬とを喚起せずにはいない偉大なる科学者、芸術家、徳行家、哲学者、宗教家たちが日も夜も求めてやまなかった真や善や美や聖にしてもし妄想に過ぎないとするならば、私たちの生活も努力も
完成の可能の希望は、これなくては私たちのよき生活が不可能であるようなところのものである。私たちは私たちの中および周囲において限りなき不合理と罪悪とに遭逢せずにはいられない。悲しみや寂しさは私たちの運命には必然的なものであって、私たちはそれを単に自己の表面において感受するばかりでなく、自己の本然に還って行ったときにおいてすらそこに見出さずにはおられないようなものである。まことに人生は涙の谷であって人間はその谷に生うる弱き葦である。意志が自由であるか否か、私たちは全く運命に支配されているものであるかどうかの問題は永い論争の歴史をもっておる。しかし概念上の解決が最も困難な問題が必ずしも実践上の解決が最も困難な問題であるというのではない。決定論と非決定論との
永遠なる価値を憧れ求める文化的生活は、それがいかに永い過程を経なければならないにしても、結局は自然的生活を全然征服するかもしくは自己の中に抱擁してしまわなければならない。生活への意志は最後には文化生活への意志にまで転生しなければならぬ。自然を駆逐しもしくは包摂して自己の領域を次第に拡げてゆく文化の歴史は、つまりは文化の絶対の支配への到達を可能ならしめるようなものでなければならない。美しき魂の憧憬とそれへ向っての精神とは決して空しくして終ることができない。もしそれらのことにして本当に不可能であるとするならば、私たちの生活は破壊され否定されてしまうのである。自由の完成、あるいは救済の完成は一般にそれがなくては私たちの生活もあり得ないところのものである。
けれど私たちの永遠なる価値の信仰と完成の可能の希望とが空しくないためには、それらに最後の安定を与えるものとしての絶対者が存在しなければならない。絶対者とは、けだし、永遠なる価値の創造者にして支持者であり、また私たちの生活においてまたによって自己を顕現し私たちを最後の完成にまで可能ならしめるところのものである。かくのごとき絶対者をあるいは神とよびあるいは仏とよび、理性といいあるいは価値意識というは人々の自由である。ただかかる絶対者にしてなんらかの意味において存在していないならば、すべては虚妄として、従って私たち自身も私たちの生活も、学問や芸術や道徳も虚妄としてとどまらなければならないのである。それゆえに信仰は単なる好奇心や虚栄心や遊戯本能や社交慾などからなさるべきものではなくて、私たち自身と私たちの生活と、そしてまた私たちが愛する学問や芸術や道徳などとがいたずらで終らないためにはなくてはならぬから必然的になされねばならぬようなものである。
あたかもそれが論理の正確を
一〇
よき生活とはいかなるものかという私が提出しておいた第三の問題が非常に複雑であることは、一般に生活というものがいかに複雑であるかを、ちょっとでも反省してみる人の誰でもが、容易に考え及ぶことができることであろう。
まず最初に注意すべきことは、私たちの生活において大切なのは、「何を」経験するかということよりも「いかに」経験するかということであるということである。なんとなれば、経験の内容とよばるるもの自身がすでに、多くの人によって誤解されておるように、固定して動かすことができないように存在しておるものではなく、これを経験する魂によって創造されるものであるからである。外面的にみて同一の事柄もこれを経験する人の心に迫る形においては種々に異なっておるのである。同一の芸術作品の前に立って観照し評価する二人の人は根本的には同一の芸術作品を観照しまたそれについて評価しておるのではない。観照はやがて制作である。大家の秘密は形式によって内容を滅却するにあるとシルレルがいったように、秀れた魂はいかに
私はかつてニュートンの言葉から思い出して人生を砂浜にあって貝を拾うことに譬えた。凡ての人は銘々に与えられた小さい籠を持ちながら一生懸命に貝を拾ってその中へ投げ込んでいる。その中のある者は無意識的に拾い上げ、ある者は意識的に選びつつ拾い上げる。ある者は習慣的に無気力にはたらき、ある者は活快に活溌にはたらく。ある者は歌いながらある者は泣きながら、ある者は戯れるようにある者は真面目に集めておる。彼らが群れつつはたらいておる砂浜の彼方に限りもなく拡って大きな音を響かせている暗い海には、彼らのある者は気づいておるようであり、ある者は全く無頓著であるらしい。けれど彼らの持っておる籠が次第に満ちて来るのを感じたとき、もしくは籠の重みが意識されずにはおられないほどに達したとき、もしくは何かの機会が彼らを思い立たせずにはおかなかったとき、彼らは自分の籠の中を顧みて集めた貝の一々を気遣わしげに検べ始める。検べて行くに従って彼らは、彼らがかつて美しいものと思って拾い上げたものが醜いものであり、輝いて感ぜられたものが光沢のないものであり、もしくは貝と思ったものがただの石であることを発見して、一つとして取るに足るもののないのに絶望する。しかしもうそのときには彼らの傍に横たわり拡っていた海が、破壊的な大波をもって襲い寄せて彼らをひとたまりもなく深い闇の中に浚って[#「浚って」は底本では「※[#「冫+俊のつくり」、78-9]って」]行くときは来ておるのである。ただ永遠なるものと一時的なるものとを確に区別する秀れた魂を持っている人のみは、一瞬の時をもってしても永遠の光輝ある貝を見出して拾い上げることができて、彼自ら永遠の世界にまで高められることができるのである。私たちはこの広い砂浜を社会と呼び、小さい籠を寿命と呼び、大きな海を運命と呼び、強い波を死と呼び慣わしておる。かようにして私たちには多くの経験よりも深い体験がさらにいっそう価値あるものであることは明らかである。
もちろん私が経験する魂の方面のみを考えて経験される事柄を全く看却するというのであるならば、私はあたかも美学上のいわゆる形式説が陥ったと同様な誤りに陥っていることは疑いもないことであろう。いかなる
Ein guter Mensch in seinem dunklen Drange
Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.
(善い人間は、よしや暗黒な内の促 に動かされていても、
始終正しい道を忘れてはいないものだ。)
Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.
(善い人間は、よしや暗黒な内の
始終正しい道を忘れてはいないものだ。)
(ゲーテ『ファウスト』第一部三二八―九 森林太郎訳)
けれどそれにもかかわらず私が上の思想を特に高調するゆえんは、多くの場合に誤解される次のような思想に対抗せんがためである。人々は自己の体験の深さと広さとを誇りつついう、「頭で考えられたことが何を知っておるか、凡てのものの本当の意味はそれを自ら体験した後に分ることだ。酒に狂ったことのない者、女に溺れたことのない者、それらの人の語る道徳に何の権威があるか。」いかにも彼らのいうとおりである。そして彼らの言葉はすべての悪を弁護し承認する第二に私の思想は単に外に拡りゆく心よりも内に向って掘り下げてゆく心が私たちには特に必要であるということを主張せんがために力説されるのである。好奇心や虚栄心から自己の経験と知識の領域とを無暗に拡げつつ限りなき運動と動揺とに心を委せて、それらの経験や知識の表面に触れて、それらを自己の魂まで持来して味わない人をジレッタントと呼ぶならば、私はかくのごときジレッタントを退ける。これに反して秀れた魂はどんな
また他の人々は
罪と悪、寂しみと悲しみ、それらは単に私たちが感じ得る人生の表面においてでばかりでなく、秀れた魂が到り得る人生の本然においてでさえ見出されずにはいられないもののようである。もしそうでないとすれば他力の信仰は畢竟
一一
よき生活を生きようとする人が最初に獲得しなくてはならぬものは素直な心である。そして素直な心の特質は謙虚と剛健とである。素直な心は何より第一に虚栄心と自負心とを退けつつ自己の正しき姿をへりくだる強さをもって眺めようとする。それの
けれどどこにでも罪を感じ出さずにはいられない素直な心はまたやがて永遠なるもの、偉大なるものに驚き得る心、従ってそれらのものに対して信仰を有し得る心である。何物にも驚き得ない心は、私には単に貧しいものとして感ぜられるばかりでなく、むしろ非常に恐しいもののように思われる。何物にも驚き得ざる魂こそ私には本当の悪魔のように感じられる。そして驚く心こそ信仰の母である。素直な心はまたそれの永遠なるもの、偉大なるものに対する憧れと愛との無邪気と純粋とにおいて、美しき夢を夢みずにはいられない。けだし愛と純粋とはいかなる場合でも夢を生み出さずにはおかず、またその夢に酔わせずにはおかないものであるからである。あまりに懐疑的であり病的であるいわゆる近代人は偉大なるもの、健康なるものへの驚きを失い、従ってそれらへの愛と信仰とをなくしておる。彼らは偉大なるものよりも平凡なるもの、健康なるものよりも病的なるもの、古典的なるものよりも特性的なるもの、深きものよりも鋭きものにより多くの興味と関心とを見出す。彼らは無邪気な心をもってものをそのまま受け容れて味うことができないで、
けれど私たちが伸びやかな心を回復すべき時は来た。私たちの心では驚きと愛と夢とが純粋にそして健康に育たなければならない。番犬のような吠えつく心、刑事のような探る心、
私たちは地上に執着してばかりいないで天上を仰ぐかまたは地下を見透すかをしなければならない。美しい青空には永遠なるものが輝いてそれへの憧れは私たちを夢みさせずにはいないだろう。暗い闇の中にも私たちは永劫の光あるものにぶっつかってそれへの愛は私たちをまた夢みさせずにはおかないだろう。前者を私はイデアリストと呼び、後者を私はフマニストと名づける。前者はこの世のものを超越した永遠なるものを憧れ求めようとし、後者は醜悪なる人間性の中に宿る神性を見出そうという。もしまた誤解を招きやすい言葉をあえて用いるならば、前者の態度を貴族主義、後者の態度を民衆主義とも呼ぶことができるかも知れない。私は、いやしくもよき生活を生きんとするものは必ずイデアリストかフマニストかのいずれかでなければならないと思う。しかして彼らの生活態度に共通なものの多くの中で、私はいま特に空間的生活という特徴をみて私自身の
夢や憧れや信仰について多くを語った私は、ここにかつて非常な勢いで破壊された偶像を再興しようとしておるもののごとくに思われるであろう。なるほど、私は偶像を再興しようとしている。しかしながら私の偶像は、伝統や権威やに屈従する心が無意識的にもしくは恐れ
いうまでもなく謙虚にして剛健な心は、本質的に自由を求める。素直な心はあらゆる先入主見を一々自己の奥底へまで持来して吟味せずにはおかない正直さをもっている。利口な人、世故に
しかしながら何故に彼らが、自分の心の奥で味うこともなく単に便宜的に観念してかかったもののみが、人生や現実やの如実の姿としてひとり妥当する権利をもち得るかは私には分らないことだ。むしろ本当に生きようとする人が体験するところのものが人生であり現実であるのではなかろうか。それらの概念の本当の意味は先入主的に決定さるべきものではなくて実際まじめに人生を生きた人によって初めて味得さるべきものである。
私はいまここに偶像を再興しようとしている。その偶像が第一にいわゆる近代人の懐疑や頽廃にどこまでも執著して、自己の源に還って素直な心になろうとしない心には全くあり得ないものであることは明らかである。けれども第二に私の再興しようという偶像が外観上いかほど伝統や証権やの打建てたところのものに似ていようともその精神において全く異なったものであることをあくまで私は主張する。私は利己的であれというよりも人を愛せよという。けれど私は本当に自由な心から人を愛せよと説明する。少しの魂をも
私はこれまであたかも楽しみや嬉しさの意義と価値とを全く否定してしまいでもするように、あまりに多く苦しみと悲しみとについて語ったかのように思う。しかし私の根本思想はそれとはまるで正反対の傾向をとっておる。単にそれ自身として比較するとき、私は楽しみが苦しみよりも大なる価値をもつものであることを容赦もなく承認する。あるいはむしろ苦しみは消極的の価値もしくは手段的の価値しかもっていないもののように思われる。私は私たちが最後の完成に達する日すべての苦しみと悲しみとが征服されており、あらゆる人間性が美しき解放を得て円満に調和し、福と徳とが完全に一致すべきことを信ぜずにはいられない。それにもかかわらず私が特に苦しみと悲しみとを高調するゆえんは、一方では現実の人間性がいかに不完全にして罪悪に充たされておるかを感ぜざるを得ず、他方では世のいわゆる楽しみがいかに多くの悪の根源となっておるかを見ざるを得ないからである。私たちが尊敬する体験深き人々が幾度となく繰返しておるように、私たちは徹頭徹尾罪をもって汚された弱く小さいものであって救済を要求せずにはいられないようなものである。いやしくも真に生きようという人は自己の醜さを悲しみ嘆かずにはいられない。あるいは逆に苦しみ悲しむ人はまじめであることができるのである。そしてまじめな人のみが本当に自己を反省することができ、従ってよき生活を生きることができるのである。現実の人生はそれの本質上からいってまじめなものは苦しみを感ぜずにはいられず、苦しみを感ずるものはまじめにならざるを得ないのである。しかのみならずかくのごとき本質的な罪苦の意識ばかりでなく、世間の人々がふつう苦しみといっておるものでさえ、私たちをまじめにすることができる。病気、死、災難、不幸などを経験させられるとき、傲慢な心も謙虚にかえり、無反省な精神も反省的となり、外向的な人も内向的となり、遊惰な人間も活動的となる。要するに苦しみは人をまじめにならしめる。そして苦しみの価値は主としてここにある。しかしながら私たちはその反面の事実を見
さて、あたかも私が楽しみを絶対に排斥するかのごとく見える理由は次の通りである。楽しみは多くの場合私たちを不まじめにする。それは私たちを事物の表面に軽く触れてゆくことに満足させてそれの内奥へはいって行って深く体験することを忘れさせる。それは私たちの反省の強さを失わせ従って私たちの性格の根強さをなくする。それは私たちを徹底と努力と活動とに励まさないでかえって不徹底と無気力と遊惰とに導く。けれどそれにも関せず私が楽しみに多くの価値をおくところの理由は、それが素直な心を成長させやすいことを思うからである。
素直な心は
もちろん私だって皮肉や洒落や諷刺を悉く否定しようというのではない。素直な心は微笑む快活な心であり、散文的なものよりも詩的なものを好む心であり、また人生には遊戯がなければならず、しかして遊戯は単に手段上の価値ばかりでなくそれ自身の価値をもっており、それゆえに喜劇は悲劇とともに価値があると信ずる私は、無邪気で快活な心の微笑みであり戯れである皮肉や洒落や諷刺の愛すべきことを知っているはずである。ただ私が恐れるのはそれらのものがあまりに多く繰返されるとき、事物を素直に見る心と事物にまじめに対する態度とを失わせやすいことである。私が求める快活や微笑や戯れは、いつでも健康な生命の活動から自ら流れ出るところのものである。
一二
個性とは傲慢な心には知られないようなものである。それは反省のみが
個性の理解の強さと深さとは反省の力の強さと深さとに
これに反して偉大なる人格の闇と憂鬱とは生命そのもの、私たちの奥底に横たわる意志そのものの純粋にして自由なる闇と憂鬱とである。あるいは彼らの深く掘り下げてゆく心がかかる闇と憂鬱とに面と向ったとき、もしくは彼らの強い直観力が殆んど無意識的にかかる闇と憂鬱とを感ずるときに自ら生れるところの闇と憂鬱とである。それらのものは彼らにおいて生命であり力であるがゆえに、時にはそれらのものは自分自身を否定して巨大なる光輝となって輝き出でる。それゆえに彼らの根柢にある闇と憂鬱の海はそれが白波となって砕けて表面を蔽う快活のために見誤られ見遁されることがしばしばある。彼らにおいてこそ性格の強さと深さとは見出されるのである。
あたかも岐路へ踏み入ったかのごとく感ぜられる私の上の考察は、真の個性は自己の表面に漂うものよりもその根柢に厳存するもの、外に拡る心よりも内に潜む心にそれの本質を有するものであることを理解する上に幾分か役立つであろうと思う。自己に覚めたといい、自己に生きておるといって誇りげに振舞っておる世の多くのいわゆる新しき人を見るに、彼らは彼らにおいて特性的なもの、病的なもの、畸形なるもの、もしくは単に表面に漂う気分をあたかも真の個性のごとく考えて、それらのものを
私はかつて「ライプニッツ哲学と個性概念」という論文を草して、ライプニッツ哲学の実体概念に関係して個性概念の幾分の論述を試みた。いまここにそれらの思想を繰返して書くことは、この一篇を完全な形にするためには必要なことかも知れないが、私自身にとっては無駄なことであるように考えられる。ただ私がそこにおいて個性概念を価値的同一と形而上学的同一との二つの観点から考察したことに関係して、私の意味する個性概念が心理学者の意味するそれと全く異なったものであることを注意するために次の事柄を指摘しておきたいと思う。私たちの生活の中に現われ出る感覚、感情、観念等は心理学者が説くように一々因果関係に束縛されておる。そしてそれらの感覚、観念、感情、欲望等の中のあるものは一般的なものとして他のものに増して執拗にまた力強く私たちの生活を支配しておる。しかるにある時現われ出た一つの新しいものが奇蹟的な力をもって私たちの日常生活をふつう支配しておるところの感覚、観念、感情、欲望等を駆逐し、征服し、もしくはそれらに新しき光を与えることがある。かかるものは私たちが日々の生活の中に殆んど感ぜられずにいてある機会に突然現われることもあろうし、また平生予感されていたものが
私が最初ペンを取ったとき、私はこの一篇に少しの組織をも考え及ばなかったが、まもなく私の哲学の学徒としての要求がかかる種類のものにさえ何等かの秩序を求めた。そこで私は大体の計画を作りその計画に従って思索して得た結果を毎日十枚宛一ヵ月間記し続けて三百枚に至るの日ペンを擱 こうと思った。しかし中途にして私は再び初めの正しき動機に立返ることが出来た。組織や体系やは現在の私の問題の中にあってはならない。私自身の心の改造が何よりも肝要なことである。かくて私は私がそれについて書いてみようと思った、友情、恋、愛、教育、社会、文化の諸概念の考察を思い止ることにした。これらの諸概念の中のあるものたとえば友情、恋、愛等については私はこれまでにたびたび反省してみる機会をもつことができたのであって、現在の私はそれらの概念をもう一度吟味してみることに迫られていないと思う。また他のものたとえば教育、社会、文化等については、それらが私の今の心の状態に直接の関係をもっていないばかりでなく、私のそれらに関する知識や経験の貧しさは第一に私がそれらについて語ることの僣越を咎 める。私は私が近頃それの悪を私の衷に特に感ぜざるを得なかった虚栄心、利己心、傲慢心の三者を排斥して素直な心をもって置換えることにこの一篇の中心目的を見出すのである。私の体系を求むる心が本当に私自身に迫るとき、もしくは私の生活がそれをさせずにはおかないようになったとき、私はいま私の考察から脱した、これまで幾度となく考えたあるいは未だかつて考えたことのない諸概念について思索を試みるであろう。
――千九百十九年七月十七日 東京の西郊中野にて脱稿
(『三木清著作集』第一巻所収 一九四六年刊 岩波書店)
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