沪江

文化反哺:小小汉字中的中日世界观

属猫的鱼译 2015-08-25 06:30

四角い小さな漢字の中に、二つの異なる世界が存在している。

在四四方方的小小的汉字里,存在着两个完全不同的世界。

一つはもともと中国で造られた中国製、もう一つは日本で改造された日本製である。この二つの世界は、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」ような もので、コミュニケーションにはとても便利だ。しかし多くの場合、この両者は、うわべは親しそうに見えて実は心が通わず、似て非なるものなのである。

一个是原本就由中国造的中国字,另一个是由日本改造的和制汉字。这两个世界,是”你中有我,我中有你“的,因此交流是便利的。但是很多时候,两者在外观上虽相近实际上并不相同,是似是而非的。

日本語の中の多くの語彙は、見た目では中国語とまったく同じだが、実は意味が非常に違う。中国から来たある代表団が日本の工場を見学したとき、工場内に掲げ られている「油断一秒、怪我一生」というスローガンを見て、その文字面だけから「これは油が大切だと言っているのだな」と憶測した。中国語では「一秒でも 油が切れれば、生涯自分が悪いと思う」という意味になるからである。

日语中很多词汇,乍一看跟中文没什么两样,但是意思千差万别。来自中国的某个代表团去日本的工厂见习的时候,看见工厂内贴着”油断一秒,怪我一生“的标语,从字面意思猜测这是说”油非常重要“的意思。翻译成中文就是说”即使一秒也不能没有油,不然一辈子都会责怪自己。“

しかし実は日本語では、これは安全生産のスローガンなのだ。「油断」は「不注意」、「怪我」は「傷を負う」という意味だとわかって大笑いになった、という。

但是其实在日语中,这是一个安全生产的标语。“油断”是“疏忽”的意思,“怪我”是“受伤害”的意思,知道了这样的事情以后,之前的误解就成了笑话。

中国人と日本人がつきあうとき、この種の誤解は避けることができない。私の友人に「猪木さん」という人がいるが、彼はよく私に文句を言う。それは、彼の中国 の友人たちがいつも「猪」と「豚」を混同し、日本人はどうして「豚」という姓を好むのかと不思議がるからだ。おかげで彼は、泣くにも泣けず、笑うに笑えな い心境に陥るのだという。

中国人和日本人在交往的时候,无法避免这样的误解。我的朋友里有叫”猪木“的人,他经常跟我抱怨。他说他的中国朋友总是把”猪“和日语里的”豚“混为一谈,并为日本人为什么会喜欢”豚“这样的姓氏而困惑不已。于是他就陷入了一种哭笑不得的境地。

中国語では、「猪」と「豚」の二つの漢字が同じ意味で使われていることを彼は知らない。もっとも、古代漢語では少し違いがあり、「豚」は子ブタを意味していたのだが……。

猪木并不知道在中文里”猪“和”豚“两个字在使用时是同一个意思。虽然说在古汉语中有细微的差别,古汉语中的”豚“是小猪的意思。

日本語の中で使われる漢字の語彙には、中国人の想像を超えるものがほかにもたくさんある。たとえば、中国語での「無理やり」を意味する「勉強」は、日本語で は「学習」の意味で使われる。中国語で「夫」を意味する「丈夫」は、日本語では「頑丈」の意味だ。このように、表面の「毛皮」を傷つけることなく、中身の 「肉」をすっかり「すり替え」てしまう日本人の知恵と想像力に、感心せざるを得ない。

在日语中使用的汉字词汇跟中国人想象中完全不同的其他还有很多。例如,中文里表示日文的“無理やり”的“勉强”这个词语,在日语中使用的时候是“学习”的意思。中文里表示日文的“夫”的“丈夫”这个词语,在日语中是“坚固”的意思。这样一来,就不得不对日本人这种表面上完全不改变汉字的形式,却把其中的含义彻底调换掉的智慧和想象力感到佩服。

しかし、われわれ中国人は、これに驚く必要はない。率直に言えば、現在の中国で使われている中国語の語彙の多くは、20世紀初めに日本から導入されたものだ からだ。たとえば、「金融」「投資」「抽象」など、現代中国語の中の社会科学に関する語彙の60~70%は、日本語から来たものだという統計がある。

但是我们中国人没有必要如此惊讶。坦白地说,现在在中国使用的大部分中文词汇,都是20世纪初从日本导入的。比如“金融”、“投资”、“抽象”等等,据统计,现代中文中跟社会科学有关的词汇中60%~70%是从日语中习得的。

漢字文化圏に属する多くの国家や民族を見回して見ると、漢字をこのように創造的に「すり替え」、もう一つの漢字王国を樹立し、かつまた中国語へ「恩返し」しているのは、日本だけだ。

纵观归属于汉字文化圈的众多国家和民族,把汉字这般创造性地“替换”并创造出另一个汉字王国,对中国的文字进行“反哺”的,唯独日本而已。

日本のすごいところは、中国の漢字に対して、受動的にそのまま受け入れるのでもなく、愚かにも高慢にそれを拒否するのでもない、自発的にそれを手に入れ、徹 底的にそれを消化した後、自分の必要に応じて大胆な改造を行い、自分の言語にしてしまうところだ。だからこそ漢字は、日本にしっかりと根を下ろし、西洋文 化の猛烈な襲来に耐えることができたのである。

日本这个国家厉害的地方,是它在面对中国的汉字的时候,并不是被动地全盘接受,也不是愚蠢而又傲慢地拒绝,而是主动去掌握,把中国的汉字彻底掰开了捏碎了消化之后,根据自己的需要进行大胆的改造,变成自己的语言。所以汉字就在日本稳稳扎根,并经受住了西洋文化的猛烈侵袭。

客観的に見れば、この奇跡は、かなりの程度、日本が島国であるという特殊な地理的環境によっている。広大な太平洋が天然の要害となり、異民族の鉄騎兵の侵入 を阻止したばかりでなく、文化的に異民族に同化される運命から逃れることができた。大陸とも適当に離れているため、日本は必要に応じて、自分より先進的な 中国の文化を摂取し、ゆっくりとそれを咀嚼し、消化して改造することができた。異文化をどう受け入れるか、その主動権は完全に自らの手中にあったのであ る。

客观来说,这样的奇迹在某种程度上是源于日本这一特殊的岛国地理环境因素。辽阔的太平洋形成一道天然屏障,不仅仅阻挡了其他民族铁骑雄兵的入侵,在文化上也免于受其他民族同化的命运。由于跟大陆保持了适当的距离,日本得以根据自己的需要,吸收当时比自己先进的中国文化,细嚼慢咽,消化后并加以改造。如何接受外来文化,把主动权完全掌握在自己手中。

これと同時に、1200年前、日本は漢字を大規模に導入するとともに、「ひらがな」を発明した。ここで日本は自分の文字言語を持った。「ひらがな」は完全に漢字の草書体に啓発されて造られたものではあるが、大和民族の魂の深いところにある必要性から発したものでもある。

与此同时,1200年前,日本在大规模引入汉字之时,还发明了“平假名”。这样日本就有了自己的文字和语言。“平假名”既是受汉字中的草书体启发而被创造出的文字,又是根据日本这个民族灵魂深处存在的某种必要性而发明的文字。

日本人から見るとおそらく、基本的に一つの漢字に一つの音がちゃんと対応している四角い漢字は、柔らかくて滑らかな日本語の感覚や、長さにこだわらない語彙 とは多少隔たりがあり、曲線が美しく、簡潔な「ひらがな」こそが、日本人の発想や言語感覚により合致すると映るのだろう。

从日本人的角度来看,恐怕最基本的一个汉字对应一个读音这样的四四方方的汉字,跟日语柔和的感觉以及不拘泥于长短的词汇多少有些隔阂,相比之下曲线美好、简洁的“平假名”才完全符合日本人的想法和语感。

「ひらがな」は日本語の形を完成させた。それを用いて発音を表記することができ、漢字の発音を日本化させた。また、直接、日本固有の語彙を書き表すこともでき、助詞として用いてセンテンスを構造することもできる。まさに一石三鳥とも言うことができる。

“平假名”完成了日语外形的塑造。使用平假名可以标记汉字的发音,赋予汉字日语的发音。另外还可以直接书写出日本固有的词汇,还可以用作助词构造出句子。

「ひらがな」の創造は、日本語が自分の「形」と「心」を探し当てたことを意味する。これによって漢字は第一線から退き、一つの重要な材料として日本語の構造の 中に組み入れられた。この時、漢字の固有の意味は、時間の流れとともにひっくり返されたり、「すり替え」られたりすることが必然的に発生した。全体からい えば、漢字の語彙の意味が厳格で重厚な歴史の含蓄を持っているのに比べ、日本語の漢字の語彙は明らかに軽く、生き生きとしている。使い方もそれほど厳格で はなく、通常、いくつかの異なる漢字を使って一つの日本固有の語彙に表している。それによって人々はさらに、一種の遊びの味を感じるのである。

“平假名”的创造代表着日语对自己的“外形”和“内心”的探索。故此,汉字从第一线退下,作为一种重要的材料加入到日语的造字工程中去。这时候,汉字固有的意思必然随着时间的流逝被推翻、变换。总的来说,相比有着严格厚重的历史文化底蕴的汉字词语,和制汉字的词汇十分直截了当、简洁明了,让人感觉到强烈的生命力。使用的方法也并不是很严格,通常使用几个不同的汉字都可以表达一个日本的固有词汇。这样一来让人愈发产生一种玩味。

漢字に対する違った考え方が、二つの異なる漢字の世界をもたらした。その優劣は、一概に論じられない。しかし、西洋文明が東側に浸透してきた「近代化」の歴 史背景の中で見れば、その優劣ははっきりと示されている。当時、激しく湧き起ってきた近代化の流れと西洋の科学文化に直面した中日両国の学者たちは、まっ たく異なる姿勢と反応を示したのである。

对汉字的不同看法,造就了两个迥异的汉字的世界。其中的优劣不可一概而论。但是从西洋文明向东方渗透的“近代化”历史背景下,这种优劣清晰地呈现出来。当时面对迅猛袭来的近代化潮流和西洋的科学文化,中日两国的学者表现出完全不同的两种姿态。

たとえば、西洋の科学に関する著作を翻訳する際、清朝末期の中国の学者は「中学為体、西学為用」(中国の学問を「体」とし、西洋の学問を「用」とする)とい う文化的な信念を堅持し、中国の古典を引用して西洋科学の概念を既存の語彙に置き換えようとした。例えば現在の「経済学」を、「計学」あるいは「資生学」 と翻訳したり、「社会学」を「群学」と訳したりしたのである。しかし結局は、どうにもならなくなってしまった。

例如,在翻译与西洋的科学有关的著作时,清末的中国学者坚持“中学为体、西学为用”(中国的学问是“本体”,西洋的学说是“工具”)这样的文化信念,用中国的古典文化来替换一些西洋文化中的既存词汇。比如把现在的“经济学”翻译成“计学”或者“资生学”,把“社会学”翻译成“群学”。结果由于生涩难懂而变得没有人能够理解。

しかし日本の学者は、実用的で柔軟なやり方で、「文字本位制」の制限を受けずに、意訳の方法によって、数多くの多音節の語彙を作り出し、みごとに西洋の概念 を置き換えることに成功した。これによって、日本が西洋に学び、「近代化」の道を歩んでいくうえで、言語の面で道路が舗装されたのだった。

但是日本的学者用一种实用而柔和的方式,不受“文字本位制”的限制,采用意译的方法,创造出许多多音节的词汇,把西洋文化中的一些概念置换地非常成功。因此日本向西洋学习,在步入“近代化”道路之后,在语言方面也铺设出崭新的道路。

もし日本が、漢字を借用して西洋の概念を置き換えることをしなかったら、現代の中国語はいったいどのようになっていただろうか。おそらく今よりも寂しいもの になっていたのではないだろうか。多分、強い刺激や栄養に欠けているため、すばやく「近代化」することが難しくなったに違いない。

如果日本没有借用汉字来置换西洋文化的概念的话,如今的中国文字究竟会变成怎样一副模样呢。恐怕会变得十分寂寥吧。大概当时就是因为缺乏剧烈的刺激和营养,才很难实现“近代化”

こうした角度から見れば、日本語の中国語への「恩返し」の功績を、われわれは決して忘れてはならないのである。

从这样的角度来看,我们绝不能忘记日语对中文的这样“反哺”的功绩。

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