沪江

北野武x荒木经惟 单色拍摄彰显人生

ウサギ译 2015-04-25 06:30

雑誌『ダ・ヴィンチ』に掲載されている写真家・荒木経惟による連載「アラーキーの裸ノ顔」が連載200回を突破した。連載第1回はビートたけしこと北野武だった。最初の撮影は1997年2月25日。再びの撮影は2014年12月19日。『ダ・ヴィンチ』5月号では2人の対談を収録。時を経て、もう一度対峙したふたりが男の顔、男の人生について語り合った。

《达·芬奇》杂志上刊登的摄影师荒木经惟的连载《ARAKI的裸之颜》已突破了200期。最初的拍摄是在1997年2月25日,第1期作品曾是北野武,而再次拍摄是在2014年12月19日。《达·芬奇》杂志5月号刊收录了这两人的对谈内容。时过境迁,再一次面对面两人,对于男人的脸、男人的人生进行了交谈。

【北野】(これまでのファイルを一枚一枚見ながら)見てて飽きないのがすごいよね。普通は飽きるでしょ、顔だけだから。普通のグラビアは、それじゃ間が持たないからだんだん服を脱ぎだすんだけど、これはモノクロの顔だけなのに全然違うんだよ。えらく面白いんだよなあ。

[北野](看着一页页的资料)怎么也看不厌真厉害啊。不过都是脸部,一般来说总会看烦的吧。如果是普通的写真,光靠脸部没法撑下去的,渐渐地就该脱衣服了,而这种单色的脸部拍摄却完全不一样呢,太有意思啦。

 

【荒木】  連載が始まったのは17年前か。自分では最初に「写真は最後は男の顔だ」と思って始めたんですよ。さらせばいいってもんじゃないけど、男の顔っていうのは男の裸、人生なんだよね。だから『裸ノ顔』っていうんです。たまに勘違いしてすぐ脱ぐヤツもいるけど(笑)。

[荒木]:大约是17年开始连载的。我一开始是想着“男人的脸是最后的照片”。拍出来也不是什么特别好的东西,男人的脸就是彰显了男人的人生。所以称之为“裸之颜”。偶尔也会有搞错了马上脱了衣服的(笑)。

【北野】 うん。

[北野] 嗯。

【荒木】 これは野坂昭如さん。実は特攻隊のアレだって、こういう飛行服みたいなの着てさ。「女の子はちょっと、はいはいどいて」って突如おちんちん出して。

[荒木] 这是野坂昭如。其实是特工队的,穿着这样的飞行服,说着“女孩子们,稍微让一让”冷不防就露个小鸡鸡。

【北野】 あそう(笑)。

[北野] 是这样啊(笑)

【荒木】 うん。だからもしかしたら、顔かおちんちんかもしれないね、戦う男の肖像っつうのは。あれはつまりそう言いたかったんじゃないのかな。まあ、錆びた鉄兜みたいな亀頭でしたよ(笑)。

[荒木] 嗯,所以说,脸可能就是小鸡鸡的象征呢,是男人战斗时的肖像。换言之,这正是照片所要反映的东西吧。嘛,不过就像是锈了的钢盔那样的龟头啦(笑)。

【北野】 アハハ。いいねえ。

[北野] 哈哈哈,不错呢。

【荒木】 こっちは勘三郎さん。勘九郎時代のね。着物のあわせが逆になってるのは、歌舞伎座の鏡の中の顔なんです。

[荒木] 这是勘三郎,是在勘九郎的时期。因为这是在歌舞伎座的镜子中的脸部影像,所以和服包起来的方向是相反的。

【北野】 荒木さんのモノクロの写真っていうのは色を感じるよね。被写体の人が勝手に自分で色をつけてる感じがあるんだよ。

[北野] 荒木先生的单色摄影能让人感觉到颜色的存在呢。能感受到被拍摄的人擅自加上了自己的色调。

【荒木】 あ、さすがだな。嬉しいね。そうなんだよ。本人がペインティングした顔なんですよ。だからどのくらい向こうから色気男気を発信できるかだよね。

[荒木] 啊,不愧是北野。我真高兴你能这样觉得。是的,本人都用了油漆式的脸色。因为无论对方会展现出怎样的魅力、男子气概,都能尽收眼底。

【北野】 勘三郎もちゃんと勘三郎の色を出してるもんなあ。モノクロで撮られるとバレるっていうのはあるよね。その人の人生とか生き様が結構出ちゃう。見るわれわれにも、その人に対する自分の感覚があるじゃない。

[北野] 勘三郎当然也体现出了勘三郎的特色。单色摄影彰也是能彰显出人的内在呢。且这个人的人生及生活状态几乎都能反映出来。观看者对这个人也会产生自己的感受。

【荒木】 見た瞬間にね。

[荒木] 看到的那一瞬间吧。

【北野】 そう。写真の裏を読んでしまうっていうのはあるかもね。この高田純次も、本当は強面にカッコよく見せたいんだろうけど、お笑いの時にやるような顔になっちゃって、そういうのが全部写ってるから。

[北野] 是的,能够读取照片背后的含义。这张高田纯次也是,本来是想显示强硬、帅气的一面,却成了搞笑时的样子,这些也全部被拍了下来。

【荒木】 男の滑稽感っていうのも魅力だからね。そういうおかしみがないと面白くない。「いとをかし」っていうのがないとね。

[荒木] 男人的幽默是一种魅力。没有这种怪腔就没意思啦,没了“风流倜傥”之感。

【北野】 この久世(光彦)さんなんかすごいよね。誰が見ても久世さんだもんね。このポーズなんだよね。この目つきと。

[北野] 这位久世(光彦)很厉害啊。一看就是久世呢,这种姿势、这种眼神。

【荒木】 これはね、撮影が一旦終わって、そうしたらヘビースモーカ―だからタバコ吸いたいって言い出して、それがいいってまた撮らせてもらったんです。本人も「今日は遺影を撮ってもらう気で来たけれど、いやあ、これはちょうどいい」なんて言ってたら、本当にそうなっちゃった。掲載される前に突然亡くなったから、家族に連絡してこの写真を遺影に差し替えることになったんです。だから気をつけないとアブナイ。あたしが撮ると、その後で……。

[荒木] 这是在拍摄结束后,这位老烟鬼说想要抽烟,于是就这么又继续拍了些。他本人也说“今天是抱着拍遗像的心情来的,正好呢”。于是就一语成谶了。刊登前,老先生突然仙逝,和他的家人联系后,便把这张照片作为了遗像。所以说,让我拍照得小心点,不然很危险呐……

【北野】 くたばっちゃう(笑)。

[北野] 该死的(笑)。

【荒木】 まあ、撮る側としては相手の生気を吸い取っちゃうぐらいの気持ちだからね。オブジェや偶像にしたんじゃ〝死〞だから、そのちょっと手前にしたい。動態を撮りたいんだな。向こうの生きる力、生きてるっていうのをバッと引っ張り出さないと。

[荒木] 嘛,拍照的人的确有着要吸取对方精气神儿的意思呢。“死亡”是一种题材,想要拍出在这之前的样子。想要拍出动态的感觉,把对方的活力、生命力给表现出来。

【北野】 人間には違いないけど、見ようによっちゃ、こいつはゴリラで、こっちはオランウータンってぐらいの差があるよね。ああ、こんな顔もあるんだって、こっちが写真見て想像させられるっていうか、見たことないよ、こんな顔っていうのもあって、だから面白いんだろうな。

[北野] 虽然人各不同,不过也会看起来显出这个像大猩猩,那个像红毛猩猩这样的差别吧。啊,这样的脸也是有的,看了照片总是令人浮想联翩。从没见过这样表情,所以才趣味横生不是吗。

【荒木】 男にはいろんな魅力があるってことですよ。それを表現してるから、顔で。その人の根性でさ。そこにただいれば、それが出ちゃうんだな。男は、だからやってきた過去を背負ってないとダメだよね。過去がないと未来が見えないんだよ。生きてるって感じが出てこない。

[荒木] 男人有多种不同的魅力呢。用脸部来表现再合适不过了,能显现出这个人的本性。只要在那儿,就能看得出来。男人如果没有背负过去是不行的,没有过去就意味着没有未来。就没有那种生命力。

【北野】 過去ってのはベクトルで考えりゃ、弓の絞り方とおんなじだよね。荒木さんの場合は、過去をグーッと絞って放した瞬間の男を撮るわけだから、過去がこれっぽっちしかなけりゃピョンって撮れちゃうし、ギューッと絞ってれば、放した時、グーンと行く。顔見れば、その人がどれだけ正直か、初速を見れちゃうんじゃないの。

[北野] 把过去当作矢量来考虑,与弓箭的张驰度是一样的。对荒木来说,拍摄的是把过去浓缩起来并瞬间绽放的男人,如果拍下的仅仅是过去,那么在紧缩后的绽放,定会前程无量。只是看到脸部,这个人到底有多正直,以初始速度即可窥见。

【荒木】 写真撮る人間は、だから受容体なんですよ。向こうから来るものをどれだけ受容できるかにかかってる。表現って言葉があるけど、表現してるのは被写体だからね。みんな、これ、自分で表現してるじゃない、精いっぱい。こっちはその一番いいところをパッとすくう。見えるっていうか感じるんだよね、来たぞっていうその顔をね。

[荒木] 拍照的人是感受体,即对方所传达的信息能感受到多少。要表现的拍摄对象可以用语言来表达的。大家都很努力在表现自己。而在这却能发掘所拍对象最好的一面。看着就能感受到吧,这张脸仿佛栩栩如生。

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