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你所不知的伊势神宫五大秘密(下)

forevereva译 2014-05-31 06:30

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前篇回顾:你所不知的伊势神宫5大秘密(上)

その3 おさいせんを投げてはいけません

伊勢神宮を初めて訪れた人は、正殿への階段をのぼり、いざ!というときに肩すかしをくらうことが多いかもしれません。正殿の前には、「おさい銭箱」がないのです。伊勢神宮の最も重要な規定は「私幣禁断」。つまり、個人的な願いをかなえようと手を合わせてはいけません、ということ。今年、式年遷宮する出雲大社が「恋愛の神」として女性に人気なのとは大違いです。

其三 不能投赛钱

对于初次访问伊势神宫的人来说,登上通往正殿的阶梯,正打算投币时,往往都会期待落空。因为,正殿前并没有放置“赛钱箱”。在伊势神宫,最重要的一项规定便是“禁投私币”。也就是说,不能为个人的愿望前往祈祷。这与同样式年迁宫的出云大社就大大不同了,出云大社被誉为“恋爱之神”,在女性中间很受欢迎。

わりと有名な「禁止事項」ではありますが、具体的にはどのようになっているのでしょう。平安時代にできたマニュアル「伊勢太神宮式」では、「天皇以外の者が奉幣すること」が禁止なのです。つまり、つまり、そもそも、われら民衆が参拝することすら本来はまかりならなかったのです!ひぇーーー!

尽管这也是个人人皆知的“禁止事项”,但具体情况又是如何呢?根据平安时代编订成的《伊势太神宫式》,“天皇以外的人被禁止向神前献币”。也就是说,原本呢,我们这些民众连参拜都是不被允许的。哎————

というのは、神様への貢ぎ物(プレゼント)。恋愛関係にたとえれば、1億人のアイドルアマテラスではなく、天皇とオンリーワンの関係を結ぶ深窓の令嬢といったところでしょうか。とは言っても、パトロンである朝廷の力が落ちていくと、(神様はともかく)そこに仕える神職らの生活を支えるために、ある意味で伊勢神宮で最も重要な規定は、形骸化されて、今にいたるのです。

所谓的“币”,也就是献给神的贡品(礼物)。如果比喻成恋爱关系,那么天照大神就不是一亿日本人的偶像,而是与天皇结成“only one”之契的深闺小姐吧。尽管这样说,一旦大后台朝廷的势力衰弱下去,(神暂且不论)为了维持侍奉神的神官们的生活,在某种意义上,伊势神宫最重要的规定也逐渐只剩下了空架子,一直持续至今。

ですので、せめて一番奥の正殿に手を合わせるときは、「世界平和」など個人的ではない願いを祈り、恋愛成就などの私的なお願いは、神楽殿やほかの摂社などで頼みましょう。おさい銭箱がない、つまり、アマテラス様に直接プレゼントできる権利は、いまも一般には公開されていないのです。

因此呢,至少我们在最里面的正殿前合掌时,还是陈述非个人的愿望比较好,比如“世界和平”啥的,像“恋爱圆满”之类的私人愿望就交给神乐殿或其它神社吧。没有赛钱箱,换言之就是说,直接向天照大神赠送礼品的权利直到现在也没有对一般人开放。

内宮も外宮も白い敷布が敷いてあって、そこにはおさい銭がちらほら見られますが、あれは、だめと言っているのに、おさい銭を投げ込むやからがいて、お金が地面に接触して聖域が穢れてしまうのを防ぐための「防御装置」です。これから参拝する人は、絶対にお金を投げてはいけません。

内宫和外宫都铺上了白色的褥单,能看到上面散落了稀稀落落的赛钱,这其实是一种防止钱接触地面,造成圣域被污染的“防御装置”,因为即便投钱是被禁止的,还是有人要往里丢钱。所以说,以后去参拜人绝不可以投钱哦。

その4 天皇が伊勢神宮を参拝したことはなかった

意外かもしれませんが、実は江戸時代までの歴代の天皇で伊勢神宮を参った天皇はいませんでした。。。なんと、初めて参拝したのは明治天皇だったのです!廃仏毀釈をはじめとする明治時代の「国家神道」というものが、いかに日本本来の歴史と伝統からかけ離れた「作られた伝統っぽい文化」だったことの証拠のひとつです。

其四 天皇并不参拜伊势神宫

或许你会感到意外,实际上,江户时代以前的历代天皇中,没有一位参拜过伊势神宫。而最初参拜的天皇,竟然是明治天皇。因为明治时代实行“废佛毁释”等一系列措施,鼓吹“国家神道”,这个事实无疑是个证据,揭露了所谓“国家神道”是如何地脱离日本固有的历史与传统,不过是“人为虚构的伪传统文化”,

伊勢神宮が、アマテラス大神をまつる国家第一の神社として存在したことが、歴史上間違いなく言える、ぶっちゃけ言うと、「日本NO1の伊勢神宮を創設した」のは、飛鳥時代末の天武天皇と考えられています。日本書紀によれば、雄略大王の時代から王女が「伊勢大神」の祠に侍する慣行のあったことが知られるが、しかし、歴代の倭王ないし王族のなかで、「天照大神」を拝したのは大海人皇子=天武天皇が最初であった。「伊勢大神」は「伊勢の神」であるのに対し、「天照大神」は「高天原の神」であった。

可以说,伊势神宫确实是祭祀天照大神的国家第一神社,这在历史上是没有错的。说得更详细一些,创设“日本NO1”——伊势神宫的人,正是飞鸟时代末期的天武天皇。根据《日本书纪》我们知道,从雄略天皇的时代开始,就有王女侍奉“伊势大神”祠堂的惯例。然而,在历代倭王乃至王族中,参拜“天照大神”的最初一人则是大海人皇子即天武天皇。“伊势大神”是“伊势的神”,而“天照大神”是“高天原的神”。

「天照大神」の出現は、「伊勢大神」からの移行ではなく、新しい神の創出である。「日神」と「天照る大神」との類似性はあるが、しかし「日神」の自然神としての正確は、捨象され、人格神としての装いをもった「天照大神」の出現であったと、九州大名誉教授の田村圓澄さんは『伊勢神宮の成立』(115p、吉川弘文館、1996、2009年再刊)の中でずばり指摘しています。

“天照大神”的出现意味着一个新神被创造出来,而并非是从“伊势大神”发展过渡而成的。九州大学名誉教授田村圆澄就在《伊势神宫的成立》中一语道破,“日神”和“天照大神”之间具有相似性,而当‘日神’作为自然神的原貌被抽象化,装饰上了人格神的外衣时,‘天照大神’就出现了。(115野 吉川弘文馆 1996、2009年再刊)

天武の妻の持統天皇は、伊勢へ旅行(行幸)しているのですが、あえて伊勢大神をお参りしなかったと明記されているくらいです。神様の性格を政権の都合で「変更」してしまったのですから、そんなところにいって、「元の伊勢大神」が怒って、たたられたらたまらんと思った回避行動だったのかもしれません。

史书上明确记载称,天武天皇的妻子持统天皇曾行幸至伊势,却刻意不去参拜伊势大神。或许这是一种回避的行为,持统天皇大概认为,神的性格因为政权的需要而被“变更”了,要是去到了那里,遇上“以前的伊势大神”发怒降下灾厄可就糟了。

その5 伊勢神宮の地は、「ヤマト」の発展から取り残された地域だった

考古学的にみると、伊勢神宮のある南伊勢という地域が、ヤマト=古墳文化が広がるのが全国的にみても遅い、とうことです。古墳(前方後円墳など)というのは、3世紀中頃にヤマト(奈良県)で確立して、大仙古墳(仁徳陵)などができた絶頂の5世紀には、ほぼ日本列島中くまなく広がるのですが、伊勢南部については、「南勢地域の古墳文化が目立ち始めるのは更に遅れて六世紀以降のことである」(116ページ、榎村寛之『伊勢神宮と古代王権』筑摩書房、2012年)となります。

其五  伊势神宫的地区的发展滞后于“大和”地区

从考古学上来看,伊势神宫所处的南伊势地区的古坟文化普及度在全国都是比较晚的。“古坟(前方后圆坟)”在3世纪中期确立于大和地区(奈良县),在大仙古坟(仁德陵)完成的5世纪发展到高峰,此时已基本扩展到整个日本列岛。然而在伊势南部,“南伊势地域的古坟文化抬头是在更晚的6世纪以后”(116页  榎村宽之《伊势神宫与古代王权》筑摩书房 2012年)

出雲大社のある出雲が、弥生時代からのちのヤマトや北九州に匹敵する高く広大な文化圏を広げていたのとは対照的な「歴史の空白ぶり」なのです。だれが「文化の後進地区」だった南伊勢を、神道文化の頂点の地にしたのか?

出云大社所在的出云从弥生时代开始,就扩展出足以匹敌大和、北九州的广大的发达文化圈,与此相对,伊势可谓是处在“历史的空白”中。那么到底是谁,把文化后进地区的南伊势一举推到了神道文化的顶点?

古代史の最大のミステリーといえるかもしれません。伊勢神宮は中臣氏がずーっとコントロールしています。中臣氏というのは、藤原氏の母体ですから、藤原不比等あたりかな~と安易に考えますが、「なんでも藤原謀略論」に与するのもなんなので、想像はここらへんにしておきます。

这或许可以说是古代史上最大的谜团。伊势神宫一直在中臣氏的控制下,而“中臣氏”正是藤原氏的源头,很容易会联想到,难道不是藤原不比等这些人干的?不过什么都用藤原氏阴谋论解释也不太合适,所以想象还是到此打住吧。

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