沪江

日语小趣事:语言不通,也能读懂

橘子译 2012-07-13 06:30

それはある休日のことでした。何をしに出かけたのかはもう憶えていませんが、私はその日阪急電車に乗って梅田に出たのでした。

那是发生在某个休息日的事情。忘了当时为了什么出门,反正那天坐着阪急电车去了梅田。

電車が終点梅田駅に着いてプラットフォームに降り立ったとたん、なんだかこっちをじっと見ているおばさんがいます。私の方に近づいてきます。私は何か不吉なものを感じました。おばさんはそれでも私にターゲットを絞って近づいてきて、1.5m くらいの間隔になったところで話しかけてきました。

电车到了终点梅田站,我刚下到站台,便总觉得有个大婶一直盯着我这边看,并往这边走来。我有种不祥的预感。那个大婶继续向我这靠近,到了我跟前1.5米左右后开口了。

しかし、その日は私は Network Walkman を聴いていて、つまり、両耳にはイヤフォンが挿入されており、そして言うまでもないことですが、そのイヤフォンからは音楽が流れていたのです。一般的に言うと、何か人に尋ねようとするとき、わざわざ耳にイヤフォンをしている人間を呼び止めたりはしないものです。

可是,那天我在听Network Walkman,也就是说两只耳朵都塞着耳机,当然了,耳机里还放着音乐。一般来说,想要问别人什么事情时,应该不会特意叫住带耳机的人。

他に誰もいないのであれば仕方がありません。しかし、ここは阪急梅田駅の雑踏の中です。電車は着いてドアが開いたばかり。ラッシュ時ではないとは言え、それなりに大勢の人間がプラットフォームに吐き出されています。

如果旁边没其他人的话也就算了,可这是在阪急梅田车站比较喧闹的地方。电车刚到站,门也才开。虽说不是高峰时段,但还是有挺多人涌向站台的。

そういう状況で、そのおばさんは(果たして彼女も同じ電車から降りてきたのか、はたまた前からそこに立っていたのかは知る由もありませんが)、わざわざイヤフォンで音楽を聴いている私にターゲットを絞って声をかけてきたのです。よほど人が良さそうに見えたのでしょうか。

在这种情况下,那个大婶(她到底是和我从同辆车上下的,还是之前就站在那的,我无从知晓)特地向我这个带着耳机听音乐的人搭话,是我看起来相当友善吧。

私は、「えー、なんでわざわざ俺?」と心のなかで呟きながら、仕方なくイヤフォンを耳から外しました。そうしたら、聞こえてきた彼女の声は、

没办法,我边在心里嘟囔“啊,为啥偏偏是我?”,边取下了耳机。然后,听见她说:

「私、韓国、大阪駅」
「え?」
「私、韓国、大阪駅」

“我、韩国、大阪车站”
“啊?”
“我、韩国、大阪车站”

あ、なるほど、日本の人じゃないんだ。その証拠に「韓国」が「ハンゴク」っぽく聞こえます。そうか、イヤフォンしてる人に声をかけない暗黙のルールがあるのは日本人だけなのかもしれない。この人は韓国から来て、当然道が不案内で、JR大阪駅に行きたいのだが行き方が分からないのだ。だから教えてくれって言ってるんだ、と俄に納得しました。

啊,原来如此,这人不是日本人啊。因为她的“韩国”发音听起来像是“ハンゴク”。原来是这样,不向戴着耳机的人搭话这种不成文的规矩也许只有日本人自己知道吧。这大婶来自韩国,自然是不熟悉路,想去JR大阪车站又不知道该咋去。所以才会让我告诉她吧,我恍然大悟。

しかし、それにしても、なんで「私、韓国、大阪駅」なんだ? 文法的にはむちゃくちゃではないか? にも拘らず、なんで私は「私、韓国、大阪駅」の3語を瞬時にして「私は韓国から来ました。大阪駅に行きたいのですがどう行けば良いか教えてください」という長い日本語に翻訳できるのでしょう?

好吧,就算如此,可为啥是“我、韩国、大阪车站”呢?语法乱七八糟的啊。不知为何,我依然能在一瞬间将“我、韩国、大阪车站”这三个词翻成这么长个日语句子——“我来自韩国,想去大阪车站,麻烦告诉我下怎么走吧。”

言葉ってマイティですよね。むちゃくちゃな3語の羅列でちゃんと意味は伝わっています。こんな日本語で伝わるほうがおかしいのに、なぜだかちゃんと伝わっています。

语言这东西还真是强大对吧。乱七八糟的三个词就那么罗列着,却也能表达出意思。明明这样的日语很怪,不知为何却也能沟通。

言ってる韓国のおばさんもおかしいけど、聞いて意味がわかる日本人の私もおかしくて、なんだか笑いがヒクヒクこみ上げてきて、抑えるのに相当苦労しました。

不仅说这话的韩国大婶很怪,就连我这个听懂了的日本人也很怪,我不觉想笑,硬是忍住了。

「あ、大阪駅に行きたいんですか?」
と言うと、
「ふんふんふんふん」

“啊?您想去大阪车站吗?”
我这么问道。
“嗯嗯嗯嗯。”

と何度も何度も何度も頷くおばさん。えーと、ここからだったら大阪駅への近道で、しかも教える僕が一番教えやすいのはどのルートかな、と考えているうちにおばさんはてくてくと歩いて行きます。何故だか分かりませんが、教える方の僕がおばさんの後からのこのこついて行くという妙な形になっています。

那位大婶一直点头。唔……从这里走哪条路去大阪车站是近路,而且我解释起来也最容易呢?我正在想着,韩国大婶已经不住脚的往前走了。怪的是,原本要给她指路的我反而淡定的跟在了她的后头,看起来很微妙。

んで、ちょっと待てよ、その改札から出たら、と私が頭をフル回転する暇もなく、あっという間におばさんは改札の外です。もうどのルートが近いとか教えるのが楽だとか言っている場合ではなく、この際JR大阪駅まで同行してあげるしかないでしょう。

啊,等下等下,从这个检票口出去的话……还没等我脑子转过来,那大婶一下子就出去了。现在不是想哪条是近路哪个更容易说明的时候,如今我只能陪她一起到JP大阪车站了吧。

そう諦めて、私たちは阪急梅田中央口から出てエスカレータを降り、紀伊國屋書店の前からさらにエスカレータをひとつ降りて、地下鉄御堂筋線の改札口の前を通りすぎて地下から大阪駅に出るルートを選びました。

放弃了这些想法后,我们选择了这样的路线——从阪急梅田中央口出去,下了电梯,再经由纪伊国屋书店继续下电梯,过了地铁御堂筋线检票口前面,从地下通道过到大阪车站处。

すると、地下鉄御堂筋線の梅田駅改札口に来たところで、おばさん満足気な笑顔で頭何度も下げてお辞儀して握手を求めてきます。

然后,我们来到了地铁御堂筋线梅田站检票口处,这时,那位大婶露出满意的笑容,一直向我鞠躬并想跟我握手。

「え、ここでいいの?」
「ふんふんふんふん」
「JRではなくて地下鉄に乗りたかったの?」
「ふんふんふんふん」

“啊,这儿就行了啊?”
“嗯嗯嗯嗯”
“您要坐的是地铁而不是JR么?”
“嗯嗯嗯嗯”

例によって何度も何度も何度も頷く韓国人のおばさん。何度も何度も何度も振り返りながら切符売り場へと消えて行きました。

跟刚才一样这位韩国大婶还是一直点着头。她边走边几次回头,然后消失在了去往售票处的方向。

この日のことを思い出すたびに私は、本当に地下鉄の駅で良かったのかなあ、乗り場が見えたからJR大阪駅だと勘違いしたんじゃないだろうか、だとしたらおばさん、とんでもないところに行ってしまって迷子になったりしなかっただろうか、などと今さらながら心配になるのですが、でも、きっとあそこで合っていたのだと思います。

每当想起那天的事情,我都会这样那样的替那位大婶担心,真的送到地铁站就行了吗?不会是因为看到了车站所以以为到了JR大阪站吧?要真是这样,大婶会不会去到个完全不知道的地方然后又迷路了呢?不过,我想应该到那就对了吧。

なにしろ私たちは「私、韓国、大阪駅」の3語で完璧に意志を疎通し合った2人なのです。間違える気がしません。

不管怎么样,我们两个人可是靠“我、韩国、大阪车站”这三个词相互沟通了解的。我觉得这点没错。

この事件は、言葉というものがほんの少しでどれだけ多くのことを語ることができるか、ということを私に思い知らせてくれた、一生忘れられない経験になりました。

这件事情让我明白,语言这东西哪怕是只言片语也能传递如此多的信息。这也成为我这一生都难以忘却的经历。

いやあ、言葉は強いなあ。で、時々思うのです。あのおばさん、帰国してから本を書いてベストセラーになっているかもしれません。そう、その本のタイトルは、『3語で通じる日本語』(笑)

我总是会感叹,哎,语言真是强大啊。那个大婶,搞不好回国后写了本书还大卖了也不一定。对,那本书的名字就叫做《3个词就能沟通的日语》(笑)。

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