沪江

日语文学作品赏析《内村直也の戯曲》

岸田國士 2010-01-13 00:00
 内村直也の劇作家としての出発は「秋水嶺」だと言つていい。旧朝鮮の日本人コロニイを背景とした「秋水嶺」は、現代日本の「青春」の一風景が素直な眼で捉へられ、健やかな感覚で舞台にくりひろげられた注目すべき力作であつた。私は故友田恭助に勧めてこれを築地座の上演目録に加へることにした。
「秋水嶺」から「雑木林」までは可なり年月の距りがある。劇作家を成熟させる外部的条件に甚だしく恵まれないわが国の現状を、内村直也は他の多くの劇作家と同様に、その内部的な諸条件によつてのみ克服しなければならなかつた。彼は、おそらく、演劇への愛情に支えられながら、生活人としての自己訓練に、その社会的地位を利用したと信じる理由がある。菅原電気の常務取締役は、一個の企業家的存在である以上に、時代に生きる人間群にまぢつて、興味ある典型の観察を怠らなかつたに違ひない。「雑木林」には勤労階級の微細といふよりも寧ろ穿つた心理追及がみられるが、私は、この作家のリアリストとしての半面に、やゝ控え目ながら、フアンテジストとしての一面があることを見落してはならぬと思ふ。彼の芸術家としての反逆精神は、その円満なモラルのうちにはあまり現はれないで、むしろ現実把握の技法のうへに、それがより多く示されるのではないかと思ふ。最近成功を伝へられるラジオ・ドラマ「跫音」のリヽカルな構成がこれをよく証明してゐる。
 更に、内村直也の作品を特色づけてゐるものは、つねに「コントロールする」力、乃至才能である。もちろん、芸術家としては、このことだけが強味になるとは限らぬ。彼の場合もまた、それが作品の美しい弾力ともなり、また、時としては、不利なワクともなつてゐる。しかし、ともかくも、文学と「意志薄弱」とが表裏をなしてゐるのが普通であるやうな時代の空気のなかで、彼が作家として、その制作の基盤に、強靭な「意志」の風貌をのぞかせてゐるといふことは、極めて珍重すべき事実である。私は、新しいヒユウマニズムがしばしばニヒルにつながることをも認めはするが、また、同時にそれが行動の意欲、不合理の抑圧、自己の正しいコントロールに於て、みごとな実を結ぶであらうことをも信ずるものである。

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