引越しをするごとに、「雀 はどうしたろう。」もう八十幾 つで、耳が遠かった。――その耳を熟 と澄ますようにして、目をうっとりと空を視 めて、火桶 にちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟 いたことを覚えている。「祖母 さん、一所 に越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺 を深く、ほくほくと頷 いた。
そのなくなった祖母は、いつも仏 の御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒 を、小窓に載せて、雀を可愛 がっていたのである。
私たちの一向 に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪 の句は知っていても、今朝も囀 った、と心に留 めるほどではなかった。が、少 からず愛惜 の念を生じたのは、おなじ麹町 だが、土手三番町 に住 った頃であった。春も深く、やがて梅雨 も近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放 しに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石 の上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行 いていた。家内がつかつかと跣足 で下りた。いけずな女で、確 に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌 の中に入った。「引掴 んじゃ不可 い、そっとそっと。」これが鶯 か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠 をと、内 にはないから買いに出る処 だけれど、対手 が、のりを舐 める代 もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊 でその南の縁 へ先ず伏せた。――ところで、生捉 って籠に入れると、一時 と経 たないうちに、すぐに薩摩芋 を突 ついたり、柿を吸ったりする、目白鳥 のように早く人馴れをするのではない。雀の児 は容易 く餌 につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来て餌 を飼 おう。それには、縁 では可恐 がるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
母鳥 は直ぐに来て飛びついた。もう先刻 から庭樹 の間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒 いでいたのであるから。
障子 を開けたままで覗 いているのに、仔 の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊 の目へ嘴 を入れたり、颯 と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立 ったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋 って、引切 れそうに胸毛を震わす。利かぬ羽を渦 にして抱きつこうとするのは、おっかさんが、嘴 を笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
見ると、小さな餌 を、虫らしい餌を、親は嘴 に銜 えているのである。笊の中には、乳離 れをせぬ嬰児 だ。火のつくように泣立 てるのは道理である。ところで笊の目を潜 らして、口から口へ哺 めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易 い。
だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退 いて飛廻 るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処 を出ておいで。」と言うのである。他 の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思 はどうだろう。
私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
石も、折箱 の蓋 も撥飛 ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気 げつつ座敷へ引込 んだ。
少々極 が悪くって、しばらく、背戸 へ顔を出さなかった。
庭下駄 を揃 えてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓 んで、晩方 背戸へ出て、柿の梢 の一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫 に渡ると、湿 けた窪地 で、すぐ上が荵 や苔 、竜 の髯 の石垣の崖 になる、片隅に山吹 があって、こんもりした躑躅 が並んで植 っていて、垣どなりの灯 が、ちらちらと透 くほどに二、三輪咲残 った……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。正 に前刻 の仔に違いない。…様子が、土から僅 か二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親 が、わりのう預けて行ったものらしい……敢 て預けて行ったと言いたい。悪戯 を詫 びた私たちの心を汲 んだ親雀の気の優 しさよ。……その親たちの塒 は何処 ?……この嬰児 ちゃんは寂しそうだ。
土手の松へは夜鷹 が来る。築土 の森では木兎 が鳴く。……折から宵月 の頃であった。親雀は、可恐 いものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑 も綿片 もあるのではないが、薄月 が映 すともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、霞 のような気が籠 って、包んで円 く明 かったのは、親の情 の朧気 ならず、輪光 を顕 わした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招 ぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出 して、両方から、そっと、顔を差寄 せると、じっとしたのが、微 に黄色な嘴 を傾けた。この柔 な胸毛の色は、さし覗 いたものの襟 よりも白かった。
夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫 に注意した。彼奴 が後足 で立てば届く、低い枝に、預 ったからである。
朝寝はしたし、ものに紛 れた。午 の庭に、隈 なき五月の日の光を浴びて、黄金 の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅 、山吹の上下 を、二羽縦横 に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹 の影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、卯 の花垣 の丈 を切るのが、四、五度 馴れると見るうちに、崖 をなぞえに、上町 の樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう速 に飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずに視 めた。
あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁 に、行ったり、来たり、出入 りするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人 に伺 いたい事がある。
別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山 には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚 、稲田 、粟黍 の実る時は、平家 の大軍を走らした水鳥 ほどの羽音 を立てて、畷行 き、畔行 くものを驚かす、夥多 しい群団 をなす。鳴子 も引板 も、半ば――これがための備 だと思う。むかしのもの語 にも、年月 の経 る間には、おなじ背戸 に、孫も彦 も群 るはずだし、第一椋鳥 と塒 を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些 と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町 を、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子の情 に、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒 の少々は毎日欠かさず撒 いて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、俵 で扶持 をしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。
何も、雀に託 けて身代 の伸びない愚痴 を言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処 へ行って、どうするのだろうと思うからである。
が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児 だけを宿に残して、親雀は塒 をかえるらしく思われる。
あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴 を赤く開けて、クリスマスに貰 ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺 がせて、こう仰向 いて強請 ると、あいよ、と言った顔色 で、チチッ、チチッと幾度 もお飯粒 を嘴から含めて遣 る。……食べても強請 る。ふくめつつ、後 ねだりをするのを機掛 に、一粒銜 えて、お母 さんは塀 の上――(椿 の枝下 で茲 にお飯 が置いてある)――其処 から、裏露地を切って、向うの瓦屋根 へフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりと縋 る。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじく餌 を含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢 の高さぐらいに舞上 ると、その胸のあたりへ附着 くように仔雀が飛上 る。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻 りなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉 に三組 も四組 もはじまる事がある。卯 の花を掻乱 し、萩 の花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所 だが、晴の遊戯 だ。もう些 と、綺麗 な窓掛 、絨毯 を飾っても遣 りたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情 の花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴 から落すか、植えない菫 の紫が一本 咲いたり、蓼 が穂を紅 らめる。
ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分で餌 が拾えるようになる。澄ました面 で、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつき合 の喧嘩 さえ遣 る。生意気 にもかかわらず、親雀がスーッと来て叱 るような顔をすると、喧嘩の嘴 も、生意気な羽も、忽 ちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声 で甘ったれて、餌 を頂戴と、口を張開 いて胸毛をふわふわとして待構 える。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言っても肯 かない。頬辺 を横に振っても肯 かない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒 の白い処 を――贅沢 な奴らで、内 のは挽割麦 を交 ぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴 をつけぬ。此奴 ら、大地震の時は弱ったぞ――啄 んで、嘴 で、仔の口へ、押込 み揉込 むようにするのが、凡 そ堪 らないと言った形で、頬摺 りをするように見える。
怪 しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛 のないもので、陽気がよくて、お腹 がくちいと、うとうととなって居睡 をする。……さあさあ一 きり露台 へ出ようか、で、塀の上から、揃ってもの干 へ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声は噪 ぎ、影は踊る。
すてきに物干 が賑 だから、密 と寄って、隅の本箱の横、二階裏 の肘掛窓 から、まぶしい目をぱちくりと遣 って覗 くと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂 からも、暖 な影を湧 かし、羽を光らして、一斉 にパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸 の大枇杷 の樹までさしわたし五十間 ばかりを瞬 く間 もない。――(この枇杷の樹が、馴染 の一家族の塒 なので、前通りの五本ばかりの桜の樹(有島 家)にも一群 巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える)――時に、女中がいけぞんざいに、取込 む時引外 したままの掛棹 が、斜違 いに落ちていた。硝子 一重 すぐ鼻の前 に、一羽可愛 いのが真正面 に、ぼかんと留 まって残っている。――どうかして、座敷へ飛込 んで戸惑いするのを掴 えると、掌 で暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込 んで、おお、お前さんは飴 で出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、その嘴 と打撞 りそうなのに驚きもしない、と見るうちに、蹈 えて留 った小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れて辷 りかかると、その時はビクリと居直 る。……煩 って動けないか、怪我 をしていないかな。……
以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子 に住 った時(三太郎 )と名づけて目白鳥 がいた。
桜山 に生れたのを、おとりで捕った人に貰 ったのであった。が、何処 の巣にいて覚えたろう、鵯 、駒鳥 、あの辺にはよくいる頬白 、何でも囀 る……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明 かに鶯 の声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥 かどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒 に、水を飲ませて、芋 で飼ったのだから、笑って故 と(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様が鷹 を据 えた格 で、掌 に置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治 た。また、冬の日のわびしさに、紅椿 の花を炬燵 へ乗せて、籠を開けると、花を被 って、密を吸いつつ嘴 を真黄色 にして、掛蒲団 の上を押廻 った。三味線 を弾いて聞かせると、音 に競 って軒で高囀 りする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨 のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺 の観音 の山へ放した時は、煩 っていた家内と二人、悄然 として、ツィーツィーと梢 を低く坂下 りに樹を伝って慕 い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖 を濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風 は、しわりごわりと吹いて来る)と田越村 一番の若衆 が、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風 の烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門 の戸をしめた勢 で、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返 した。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉の挟 ったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」と襷 がけのまま庖丁 を、投げ出して、目白鳥を掌 に取って据えた婦 は目に一杯涙を溜 めて、「どうしましょう。」そ、その時だ。試 に手水鉢 の水を柄杓 で切って雫 にして、露にして、目白鳥の嘴 を開けて含まして、襟 をあけて、膚 につけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああ助 りました。御利益 と、岩殿 の方 へ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐 いのか、隅の、隅の、狭い処 で小 くなった。あくる日一日は、些 と、ご悩気 と言った形で、摺餌 に嘴 のあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。但 し完全に蘇生 った。
この経験がある。
水でも飲まして遣 りたいと、障子を開けると、その音に、怪我 処 か、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡 をしていたのであった。……憎くない。
尤 もなかなかの悪戯 もので、逗子 の三太郎……その目白鳥 ――がお茶の子だから雀の口真似 をした所為 でもあるまいが、日向 の縁 に出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴 の或日 、裏庭の茅葺 小屋の風呂の廂 へ、向うへ桜山 を見せて掛けて置くと、午 少し前の、いい天気で、閑 な折から、雀が一羽、……丁 ど目白鳥の上の廂合 の樋竹 の中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込 む。嘴 に小さな芋虫 を一つ銜 え、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章 ほどに欲しがって駈上 り飛上 って取ろうとすると、ひょいと面 を横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆 で。……ところがはずみに掛 って振った拍子 に、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑 い。目白鳥は澄まして、ペロリと退治 た。吃驚仰天 した顔をしたが、ぽんと樋 の口を突出 されたように飛んだもの。
瓢箪 に宿る山雀 、と言う謡 がある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
或 殿 が領分巡回 の途中、菊の咲いた百姓家に床几 を据えると、背戸畑 の梅の枝に、大 な瓢箪が釣 してある。梅見 と言う時節でない。
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
その農家の親仁 が、
「へいへい、山雀の宿にござります。」
「ああ、風情 なものじゃの。」
能の狂言の小舞 の謡 に、
相分 った。――些少 じゃが餌 の料 を取らせよう。」
小春 の麗 な話がある。
御前 のお目にとまった、謡 のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋 で、樋竹 の相借家 だ。
腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空 高く順に並ぶ。中でも音頭取 が、電柱の頂辺 に一羽留 って、チイと鳴く。これを合図に、一斉 にチイと鳴出す。――塀 と枇杷 の樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
私が即 ち取次いで、
「催促 てるよ、催促 てるよ。」
「せわしないのね。……煩 いよ。」
などと言いながら、茶碗に装 って、婦 たちは露地へ廻る。これがこのうえ後 れると、勇悍 なのが一羽押寄 せる。馬に乗った勢 で、小庭を縁側 へ飛上 って、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきに扉 を抜けて台所へ入って、お竈 の前を廻るかと思うと、上の引窓 へパッと飛ぶ。
「些 と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
何も、肯分 けるのでもあるまいが、言 の下に、萩 の小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々 とした細い枝へ、塀の上、椿 の樹からトンと下りると、下りたなりにすっと辷 って、ちょっと末 を余して垂下 る。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏 を潜 ってひょいと攀 じると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓 って、ぶら下るかと思うと、飜然 と伝う。また一羽が待兼 ねてトンと下りる。一株の萩 を、五、六羽で、ゆさゆさ揺 って、盛 の時は花もこぼさず、嘴 で銜 えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗 いたり、かくして、裏おもて、虫を漁 りつつ、滑稽 けてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖 へひょいと乗る。
水上 さんがこれを聞いて、莞爾 して勧めた。
「鞦韆 を拵 えてお遣 んなさい。」
邸 の庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸 を結 えて、その萩の枝に釣った。……この趣 を乗気 で饒舌 ると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆 に乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦 じく二羽啄 んでいたと思う。その一羽が、忽然 として姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木 の、すぐ裏へ、頭を揉込 むようにして縦に附着 いているのである。脚がかりもないのに巧 なもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝 な様子で、チチと鳴き鳴き、其処 らを覗 くが、その笠木のちょっとした出張 りの咽 に、頭が附着 いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時 捜して、パッと枇杷 の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密 と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉 しそうに、羽を揺 って後から颯 と飛んで行く。……惟 うに、人の子のするかくれんぼである。
さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻 言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処 へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽 が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
……妙な事は、いま言った、萩 また椿 、朝顔の花、露草 などは、枝にも蔓 にも馴れ馴染 んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐 がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退 いている。尤 も、時にはこっちから、故 とおいでの儀を御免蒙 る事がある。物干 へ蒲団 を干す時である。
お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持 になって、ふっくりと、蒲団に団欒 を試みるのだから堪 らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所 から頂戴して貯 えている豹 の皮を釣って置く。と枇杷 の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂 の皮)だから面白い。
が、一夏 縁日 で、月見草 を買って来て、萩 の傍 へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香 わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏 には、一時 留 り餌 に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪 しんだが、二日め三日めには心着 いた。意気地 なし、臆病。烏瓜 、夕顔などは分けても知己 だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐 いらしい……可哀相 だから植替 えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸 っと出て来た。何、一度味をしめると飛 ついて露も吸いかねぬ。
まだある。土手三番町 の事を言った時、卯 の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝 折って来てさし芽にしたのが、次第に丈 たかく生立 ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾 を持たない。丁 ど十年目に、一昨年の卯月 の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当 のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁 どその卯の花の枝の下に御飯 が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密 と来た。忽 ち卯の花に遊ぶこと萩に戯 るるが如しである。花の白いのにさえ怯 えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚 と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋 れて、声さえ立てないで可哀 である。
椿の葉を払っても、飛石の上を掻分 けても、物干に雪の溶けかかった処 へ餌 を見せても影を見せない。炎天、日盛 の電車道 には、焦 げるような砂を浴びて、蟷螂 の斧 と言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎 が飛ぶように、雪を蓑 にして、吹雪を散らして翔 けたものを――
ここで思う。その児 、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続 ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
泰西 の諸国にて、その公園に群 る雀は、パンに馴れて、人の掌 にも帽子にも遊ぶと聞く。
何故 に、わが背戸 の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実 に花なればこそ、些 とでも変った人間の顔には、渠 らは大 なる用心をしなければならない。不意の礫 の戸に当る事幾度 ぞ。思いも寄らぬ蜜柑 の皮、梨の核 の、雨落 、鉢前 に飛ぶのは数々 である。
牛乳屋 が露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日 は」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋 が来ても寄りつかない。
いつかは、何かの新聞で、東海道の何某 は雀うちの老手である。並木づたいに御油 から赤坂 まで行 く間に、雀の獲 もの約一千を下らないと言うのを見て戦慄 した。
空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
去年の暮にも、隣家 の少年が空気銃を求め得て高く捧げて歩行 いた。隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅 の袋だけれども、雀のために、うちの小母 さんが折入 って頼んだ。
親たちが笑って、
「お宅の雀を狙 えば、銃を没収すると言う約条 ずみです。」
かつて、北越、倶利伽羅 を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、樋 の宿に出入 りするのを見て、谷に咲 残 った撫子 にも、火牛 の修羅 の巷 を忘れた。――古戦場を忘れたのが可 いのではない。忘れさせたのが雀なのである。
モウパッサンが普仏 戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里 は包囲されて飢えつつ悶 えている。屋根の上に雀も少くなり、下水の埃 も少くなった。」と言うのではなかったか。
雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可 いものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳 雪に埋 もるる国もある。
或時 も、また雪のために一日形 を見せないから、……真個 の事だが案じていると、次の朝の事である。ツィ――と寂しそうに鳴いて、目白鳥 が唯 一羽、雪を被 いで、紅 に咲いた一輪、寒椿 の花に来て、ちらちらと羽も尾も白くしながら枝を潜 った。
炬燵 から見ていると、しばらくすると、雀が一羽、パッと来て、おなじ枝に、花の上下 を、一所 に廻った。続いて三羽五羽、一斉 に皆来た。御飯 はすぐ嘴 の下にある。パッパ、チイチイ諸 きおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄 むと、今度は目白鳥が中へ交 った。雀同志は、突合 って、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀の飯 を視 めていた。
私は何故 か涙ぐんだ。
優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
それにつけても、親雀は何処 へ行 く。――
――去年七月の末であった。……余り暑いので、愚 に返って、こうどうも、おお暑いでめげては不可 い。小児 の時は、日盛 に蜻蛉 を釣ったと、炎天に打 つかる気で、そのまま日盛 を散歩した。
その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探して(ごんごんごま)が見たかったのである。この名からして小児 で可 い。――私は大好きだ。スズメノエンドウ、スズメウリ、スズメノヒエ、姫百合 、姫萩 、姫紫苑 、姫菊 の□ たけた称 に対して、スズメの名のつく一列の雑草の中に、このごんごんごまを、私はひそかに「スズメの蝋燭 」と称して、内々贔屓 でいる。
分けて、盂蘭盆 のその月は、墓詣 の田舎道、寺つづきの草垣に、線香を片手に、このスズメの蝋燭、ごんごんごまを摘んだ思出の可懐 さがある。
しかもそのくせ、卑怯 にも片陰 を拾い拾い小さな社 の境内 だの、心当 の、邸 の垣根を覗 いたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷 の奥まで掃除が届く。――梅雨 の頃は、闇黒 に月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花 も、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車の轍 の下には生えまいから、いまは車前草 さえ直ぐには見ようたって間 に合わない。
で、何処 でも、あの、珊瑚 を木乃伊 にしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なお欲 い、歩行 くうちに汗を流した。
場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋旅籠 のような、中庭を行抜 けに、土間へ腰を掛けさせる天麩羅茶漬 の店があった。――その坂を下 りかかる片側に、坂なりに落込 んだ空溝 の広いのがあって、道には破朽 ちた柵 が結 ってある。その空溝を隔てた、葎 をそのまま斜違 いに下 る藪垣 を、むこう裏から這 って、茂って、またたとえば、瑪瑙 で刻んだ、ささ蟹 のようなスズメの蝋燭が見つかった。
つかまえて支えて、乗出 しても、溝に隔てられて手が届かなかった。
杖 の柄 で掻寄 せようとするが、辷 る。――がさがさと遣 っていると、目の下の枝折戸 から――こんな処 に出入口があったかと思う――葎戸 の扉を明けて、円々 と肥った、でっぷり漢 が仰向 いて出た。きびらの洗いざらし、漆紋 の兀 げたのを被 たが、肥って大 いから、手足も腹もぬっと露出 て、ちゃんちゃんを被 ったように見える、逞 ましい肥大漢 の柄 に似合わず、おだやかな、柔和な声して、
「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」
と言った。四十くらいの年配である。
私は一応挨拶 をして、わけを言わなければならなかった。
「ははあ、ごんごんごま、……お薬用 か、何か禁厭 にでもなりますので?」
とにかく、路傍 だし、埃 がしている。裏の崖境 には、清浄 なのが沢山あるから、御休息かたがた。で、ものの言いぶりと人のいい顔色 が、気を隔 かせなければ、遠慮もさせなかった。
「丁 ど午睡時 、徒然 でおります。」
導かるるまま、折戸 を入ると、そんなに広いと言うではないが、谷間の一軒家と言った形で、三方が高台の森、林に包まれた、ゆっくりした荒れた庭で、むこうに座敷の、縁 が涼しく、油蝉 の中に閑寂 に見えた。私はちょっと其処 へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切 の花活 を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶 の、釣瓶 が、虚空へ飛んで猿のように撥 ねていた。傍 に青芒 が一叢 生茂 り、桔梗 の早咲 の花が二、三輪、ただ初々 しく咲いたのを、莟 と一枝、三筋ばかり青芒を取添 えて、竹筒 に挿して、のっしりとした腰つきで、井戸から撥釣瓶 でざぶりと汲上 げ、片手の水差 に汲んで、桔梗に灌 いで、胸はだかりに提 げた処 は、腹まで毛だらけだったが、床 へ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっと撓 めた形は、悠揚 として、そして軽い手際 で、きちんと極 った。掛物 も何も見えぬ。が、唯 その桔梗の一輪が紫の星の照らすように据 ったのである。この待遇のために、私は、縁 を座敷へ進まなければならなかった。
「麁茶 を一つ献じましょう。何事も御覧の通りの侘住居 で。……あの、茶道具を、これへな。」
と言うと、次の間 の――崖 の草のすぐ覗く――竹簀子 の濡縁 に、むこうむきに端居 して……いま私の入った時、一度ていねいに、お時誼 をしたまま、うしろ姿で、ちらりと赤い小さなもの、年紀 ごろで視 て勿論 お手玉ではない、糠袋 か何ぞせっせと縫 っていた。……島田髷 の艶々 しい、きゃしゃな、色白 な女が立って手伝って、――肥大漢 と二人して、やがて焜炉 を縁側へ。……焚 つけを入れて、炭を継 いで、土瓶 を掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子 ではたはたと焜炉の火口 を煽 ぎはじめた。
「あれに沢山 ございます、あの、茂りました処 に。」
「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧が湧 いたように見えますのは。」
「烏瓜 でございます。下闇 で暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方 は何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭 。」
これよりして、私は、茶の煮える間 と言うもの、およそこの編 に記 した雀の可愛さをここで話したのである。時々微笑 んでは振向 いて聞く。娘か、若い妻か、あるいは妾 か。世に美しい女の状 に、一つはうかうか誘 われて、気の発奮 んだ事は言うまでもない。
さて幾度か、茶をかえた。
「これを御縁に。」
「勿論かさねまして、頃日 に。――では、失礼。」
「ああ、しばらく。……これは、貴方 、おめしものが。」
……心着 くと、おめしものも気恥 しい、浴衣 だが、うしろの縫 めが、しかも、したたか綻 びていたのである。
「ここもとは茅屋 でも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折 ……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっと繕 っておあげ申せ。」
「はい。」
すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯 にスッと含まれた。
「あなた……」
「ああ、これ、紅 い糸で縫えるものかな。」
「あれ――おほほほ。」
私がのっそりと突立 った裾 へ、女の脊筋 が絡 ったようになって、右に左に、肩を曲 ると、居勝手 が悪く、白い指がちらちら乱れる。
「恐縮です、何ともどうも。」
「こう三人と言うもの附着 いたのでは、第一私 がこの肥体 じゃ。お暑さが堪 らんわい。衣服 をお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替 はなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸 に相成 りましょう。それならばお心安い。」
きびらを剥 いで、すっぱりと脱ぎ放 した。畚褌 の肥大裸体 で、
「それ、貴方 。……お脱ぎなすって。」
と毛むくじゃらの大胡座 を掻く。
呆気 に取られて立 すくむと、
「おお、これ、あんた、あんたも衣 ものを脱ぎなさい。みな裸体 じゃ。そうすればお客人の遠慮がのうなる。……ははははは、それが何より。さ、脱ぎなさい脱ぎなさい。」
串戯 にしてもと、私は吃驚 して、言 も出ぬのに、女はすぐに幅狭 な帯を解いた。膝へ手繰 ると、袖 を両方へ引落 して、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……膚 は蔽 うたよりふっくりと肉を置いて、脊筋 をすんなりと、撫肩 して、白い脇を乳 が覗 いた。それでも、脱ぎかけた浴衣 をなお膝に半ば挟 んだのを、おっ、と這 うと、あれ、と言う間 に、亭主がずるずると引いて取った。
「はははは。」
と笑いながら。
既にして、朱鷺色 の布一重 である。
私も脱いだ。汗は垂々 と落ちた。が、憚 りながら褌 は白い。一輪の桔梗 の紫の影に映 えて、女はうるおえる玉のようであった。
その手が糸を曳 いて、針をあやつったのである。
縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出 した。挨拶は済ましたが、咄嗟 のその早さに、でっぷり漢 と女は、衣 を引掛 ける間もなかったろう……あの裸体 のまま、井戸の前を、青すすきに、白く摺 れて、人の姿の怪 しい蝶 に似て、すっと出た。
その光景は、地獄か、極楽か、覚束 ない。
「あなた……雀さんに、よろしく。」
と女が莞爾 して言った。
坂を駈上 って、ほっと呼吸 を吐 いた。が、しばらく茫然として彳 んだ。――電車の音はあとさきに聞えながら、方角が分らなかった。直下の炎天に目さえくらむばかりだったのである。
時に――目の下の森につつまれた谷の中から、一 セイして、高らかに簫 の笛が雲の峯に響いた。
……話の中に、稽古 の弟子も帰ったと言った。――あの主人は、簫を吹くのであるか。……そういえば、余りと言えば見馴れない風俗 だから、見た目をさえ疑うけれども、肥大漢 は、はじめから、裸体 になってまで、烏帽子 のようなものをチョンと頭にのせていた。
「奇人だ。」
「いや、……崖下 のあの谷には、魔窟があると言う。……その種々 の意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨 に崖くずれがあって、大分、人が死んだ処 だから。」――
と或 友だちは私に言った。
炎暑、極熱のための疲労 には、みめよき女房の面 が赤馬 の顔に見えたと言う、むかし武士 の話がある。……霜 が枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故 か、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
かさねてと思う、日をかさねて一月 にたらず、九月一日 のあの大地震であった。
「雀たちは……雀たちは……」
火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半 かけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天 の根に、ひびも入 らずに残った手水鉢 のふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
後に、密 と、谷の家を覗 きに行った。近づくと胸は轟 いた。が、ただ焼原 であった。
私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢 のまる顔に、口許 のちょぼんとしたのを思え。卯 の毛で胡粉 を刷 いたような女の膚 の、どこか、頤 の下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷 の影のように――
おかしな事は、その時摘 んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨 の草に生えて、塀を伝っていたのである。
「どうだい、雀。」
知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭 の葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。
そのなくなった祖母は、いつも
私たちの
見ると、小さな
だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を
私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
石も、
少々
土手の松へは
夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、
朝寝はしたし、ものに
真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう
あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の
――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの
別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り
何も、雀に
が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その
あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ
ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分で
すてきに
以前、あしかけ四年ばかり、
この経験がある。
水でも飲まして
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
その農家の
「へいへい、山雀の宿にござります。」
「ああ、
能の狂言の
いたいけしたるものあり。張子 の顔や、練稚児 。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車 。瓢箪に宿る山雀、胡桃 にふける友鳥 ……
「いまはじめて腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと
私が
「
「せわしないのね。……
などと言いながら、茶碗に
「
何も、
「
さて、こうたわいもない事を言っているうちに――
……妙な事は、いま言った、
お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい
が、
まだある。
椿の葉を払っても、飛石の上を
ここで思う。その
いつかは、何かの新聞で、東海道の
空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
去年の暮にも、
親たちが笑って、
「お宅の雀を
かつて、北越、
モウパッサンが
雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから
私は
優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
それにつけても、親雀は
――去年七月の末であった。……余り暑いので、
その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探して(ごんごんごま)が見たかったのである。この名からして
分けて、
しかもそのくせ、
で、
場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋
つかまえて支えて、
「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」
と言った。四十くらいの年配である。
私は一応
「ははあ、ごんごんごま、……お
とにかく、
「
導かるるまま、
「
と言うと、次の
「あれに
「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧が
「
これよりして、私は、茶の煮える
さて幾度か、茶をかえた。
「これを御縁に。」
「勿論かさねまして、
「ああ、しばらく。……これは、
……
「ここもとは
「はい。」
すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、
「あなた……」
「ああ、これ、
「あれ――おほほほ。」
私がのっそりと
「恐縮です、何ともどうも。」
「こう三人と言うもの
きびらを
「それ、
と毛むくじゃらの
「おお、これ、あんた、あんたも
「はははは。」
と笑いながら。
既にして、
私も脱いだ。汗は
その手が糸を
縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ
その光景は、地獄か、極楽か、
「あなた……雀さんに、よろしく。」
と女が
坂を
時に――目の下の森につつまれた谷の中から、
……話の中に、
「奇人だ。」
「いや、……
と
炎暑、極熱のための
かさねてと思う、日をかさねて
「雀たちは……雀たちは……」
火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、
後に、
私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの
おかしな事は、その時
「どうだい、雀。」
知らぬ顔して、何にも言わないで、
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