怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別 けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談 、怨霊などという方で。後 のは、天狗 、魔の仕業 で、殆 ど端睨 すべからざるものを云う。これは北国辺 に多くて、関東には少ない様に思われる。
私は思うに、これは多分、この現世以外に、一つの別世界というような物があって、其処 には例の魔だの天狗 などという奴が居る、が偶々 その連中が、吾々 人間の出入 する道を通った時分に、人間の眼に映ずる。それは恰 も、彗星 が出るような具合に、往々 にして、見える。が、彗星 なら、天文学者が既に何年目に見えると悟っているが、御連中 になると、そうはゆかない。何日 何時 か分らぬ。且 つ天の星の如く定 った軌道というべきものもないから、何処 で会おうかもしれない、ただほんの一瞬間の出来事と云って可 い。ですから何日 の何時頃、此処 で見たから、もう一度見たいといっても、そうは行 かぬ。川の流 は同じでも、今のは前刻 の水ではない。勿論 この内にも、狐狸 とか他の動物の仕業 もあろうが、昔から言伝 えの、例の逢魔 が時 の、九時から十一時、それに丑満 つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利用して、魔の居るのを実験する、方法があると云ったようなことを過般 仲 の町 で怪談会の夜中に沼田 さんが話をされたのを、例の「膝摩 り」とか「本叩 き」といったもので。
「膝摩 り」というのは、丑満 頃、人が四人で、床の間なしの八畳座敷の四隅 から、各 一人ずつ同時に中央 へ出て来て、中央 で四人出会ったところで、皆 がひったり座る、勿論 室の内は燈 をつけず暗黒 にしておく、其処 で先 ず四人の内の一人が、次の人の名を呼んで、自分の手を、呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず、返事をして、また同じ方法で、次の人の膝へ手を置くという風にして、段々 順を廻すと、恰度 その内に一人返事をしないで座っている人が一人増えるそうで。
「本叩き」というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が各 手に一冊宛 本を持って向合 いの隅々 から一人宛 出て来て、中央 で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯 二人で、叩く音が、当人は勿論 、襖越 に聞いている人にまで、何人で叩くのか、非常な多人数 で叩いている音の様に聞 えると言います。
これで思出 したが、この魔のやることは、凡 て、笑声 にしても、唯 一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰 も数 百人の笑うかの如き響 をするように思われる。
私が曾 て、逗子 に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度 秋の中旬 だった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女 と三人で居たが、家主 はつい裏の農夫 であった。或 晩私は背戸 の据 風呂から上って、椽側 を通って、直 ぐ傍 の茶の間に居ると、台所を片着 けた女中が一寸 家 まで遣 ってくれと云って、挨拶をして出て行く、と入違 いに家内は湯殿に行ったが、やがて「手桶が無い」という、私の入っていた時には、現在水が入ってあったものが無い道理はない、とやったが、実際見えないという。私も起 って行って見たが、全く何処 にも見えない、奇妙な事もあるものだと思ったが、何だか、嫌な気持のするので、何処 までも確 めてやろうと段々 考えてみると、元来 この手桶というは、私共が転居 して来た時、裏の家主 で貸してくれたものだから、もしやと思って、私は早速 裏の家 へ行って訊ねてみると、案の条、婆さんが黙って持って行ったので。その婆さんが湯殿へ来たのは、恰度 私が湯殿から、椽側 を通って茶の間へ入った頃で、足に草履 をはいていたから足音がしない、農夫 婆さんだから力があるので、水の入っている手桶を、ざぶりとも言わせないで、その儘 提 げて、呑気 だから、自分の貸したもの故 、別に断らずして、黙って持って行ってしまったので、少しも不思議な事はないが、もしこれをよく確めずにおいたら、おかしな事に成 ろうと思う。こんな事でもその機会 がこんがらかると、非常な、不思議な現象が生ずる。がこれは決して前述べた魔の仕業 でも何でもない、ただ或る機会から生じた一つ不思議な談 。これから、談 すのは例の理由のない方の不思議と云うやつ。
これも、私が逗子に居た時分に、つい近所の婦人から聞いた談 、その婦人がまだ娘の時分に、自分の家 にあったと云うのだ。静岡 の何でも町端 れが、その人の父が其処 の屋敷に住んだところ、半年 ばかりというものは不思議な出来事が続け様 で、発端は五月頃、庭へ五六輪、菖蒲 が咲 ていたそうでその花を一朝 奇麗にもぎって、戸棚の夜着 の中に入れてあった。初めは何か子供の悪戯 だろうくらいにして、別に気にもかけなかったが、段々 と悪戯 が嵩 じて、来客の下駄や傘 がなくなる、主人が役所へ出懸 けに机の上へ紙入 を置いて、後向 に洋服を着ている間 に、それが無くなる、或 時は机の上に置いた英和辞典を縦横 に絶切 って、それにインキで、輪のようなものを、目茶苦茶に悪書 をしてある。主人も、非常に閉口したので、警察署へも依頼した、警察署の連中は、多分その家 に七歳 になる男の児 があったが、それの行為 だろうと、或 時その児を紐で、母親に附着 けておいたそうだけれども、悪戯 は依然止まぬ。就中 、恐ろしかったというのは、或 晩多勢 の人が来て、雨落 ちの傍 の大きな水瓶 へ種々 な物品 を入れて、その上に多勢 かかって、大石を持って来て乗せておいて、最早 これなら、奴も動かせまいと云っていると、その言葉の切れぬ内に、グワラリと、非常な響 をして、その石を水瓶 から、外へ落したので、皆 が顔色を変えたと云う事。一時 などは椽側 に何だか解らぬが動物の足跡が付いているが、それなんぞしらべて丁度 障子の一小間 の間を出入 するほどな動物だろうという事だけは推測出来たが、誰 しも、遂にその姿を発見したものはない。終 には洋燈 を戸棚へ入れるというような、危険千万 な事になったので、転居をするような仕末、一時 は非常な評判になって、家 の前は、見物の群集で雑沓 して、売物店 まで出たとの事。
これと似た談 が房州 にもある、何でも白浜 の近方 だったが、農夫以前の話とおなじような事がはじまった、家 が、丁度 、谷間のようなところにあるので、その両方の山の上に、猟夫 を頼んで見張 をしたが、何も見えないが、奇妙に夜に入 るとただ猟夫 がつれている、犬ばかりには見えるものか、非常に吠えて廻ったとの事、この家に一人、子守娘が居て、その娘は、何だか変な動物 が時々来るよといっておったそうである。
同 じ様に、越前国丹生郡天津村 の風巻 という処に善照寺 という寺があって此処 へある時村のものが、貉 を生取 って来て殺したそうだが、丁度 その日から、寺の諸所 へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家 を狩集 めて見張 となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛 ついて消す間に、梁 へ炎が絡む、ソレ、と云う内羽目板から火を吐出 す、凡 そ七日ばかりの間、昼夜詰切 りで寐 る事も出来ぬ。ところが、此寺 の門前に一軒、婆さんと十四五の娘の親子二人暮しの駄菓子屋があった、その娘が境内 の物置に入るのを誰かがちらりと見た、間もなく、その物置から、出火したので、早速 馳付 けたけれども、それだけはとうとう焼けた。この娘かと云うので、拷問めいた事までしたが、見たものの過失で、焼けはじめの頃自分の内に居た事が明 に分って、未 だに不思議な話になっているそうである。初めに話した静岡の家 にも、矢張 十三四の子守娘が居たと云う、房州にも矢張 居る、今のにも、娘がついて居る、十三四の女の子とは何だかその間に関係があるらしくなる。これは如何 いうものか、解らない。昔物語にはこんな家 の事を「くだ」付き家 と称して、恐 わがっている。「くだ」というのは狐の様で狐にあらず、人が見たようで、見ないような一種の動物だそうだ。
猫の面 で、犬の胴、狐の尻尾 で、大 さは鼬 の如く、啼声 鵺 に似たりとしてある。追 て可考 。
私は思うに、これは多分、この現世以外に、一つの別世界というような物があって、
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「本叩き」というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が
これで
私が
これも、私が逗子に居た時分に、つい近所の婦人から聞いた
これと似た
猫の
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