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むかしむかし、風林火山で有名な戦国時代の名将、武田信玄が甲斐の国を治めていた頃、信玄は宿敵の越後の上杉謙信と戦を繰り返していました。
很久很久以前,在风林火山闻名的战国时代名将武田信玄在治理甲斐国时,和宿敌越后的上杉谦信大战了无数回合。
そんなある時、駿河の今川氏は、こんな事を思いつきました。「信玄の領地は山国だから、魚や昆布や塩などはすべて駿河を通って送り込まれる。特に、米の次に大事な塩を止めたら困るだろうな」。
在这种情况下,骏河的今川氏忽然心生一计。「信玄的领地是山国,所以,鱼,海带,盐等都是经过骏河运过去的。特别是重要性仅次于米的盐,如果停止运输的话就麻烦了吧」。
そう考えた今川氏は、さっそく信玄の支配下に通じる道をふさいで、いっさいの塩を止めてしまったのです。
想到这一点的今川氏,马上下令堵住信玄管辖的河道,停止了一切盐的运输。
こうなると松本の人々は、ほとほと困ってしまいました。
这样一来,松本的人民着实感到非常困扰。
塩がなくなると体に力が入らず、働く気力もなくなるのです。
如果没有盐的话,身体里没有注入体力,就没有力气干活了。
おまけに越後の国とも戦をしていたので、そっちから塩を送ってもらうわけにもいきません。
再加上正处于和越后国的战争期间,也无法从那里运盐过来。
これにはさすがの信玄も、困ってしまいました。
这把信玄也难住了。
ところがこの事を、越後の上杉謙信が聞きつけたのです。
但是,这件事传到了越后的上杉谦信耳朵里了。
謙信は信玄とは敵同志でしたが、今川氏のやり方が卑怯なのに腹を立てました。「塩とは、人が生きていくのになくてはならない物。たとえ敵とはいえ、これを見すごす事は武士の恥。すぐにも松本に塩を送り届けよ」。
虽然谦信和信玄是宿敌,但是对今川氏的卑鄙做法感到无比气愤。「盐是人生存的必备之物。即使是敌人,如果对这事置之不问的话,那是武士的耻辱。马上把盐运到松本去」。
こうして謙信の命令で塩の荷が牛の背に積まれると、信濃にむけて出発したのです。
于是谦信下令让牛背着盐袋,朝信浓出发。
牛の列は何日も何日も糸魚川(いといがわ)をたどって、松本めざして歩き続けました。
牛列队沿着系鱼川,朝着松本日夜赶路。
それから数日後、松本の人々は、次から次へとやってくる牛の列を見つけたのです。
几天之后,松本的人民发现了依次到达的牛列队。
それが、敵の上杉謙信の使いだと知ると、みんなは警戒しましたが、塩が届けられたと知ると、「なんと、敵国である我々に塩を送ってくれるとは。越後の上杉さまは、敵ながら立派なお方じゃ」と、とても感謝したそうです。
在得知这是敌人上杉谦信派来的后,大家都警戒起来,但是在得知是盐运过来时,大家心里都充满了感激。「居然会给身为敌国的我们送盐过来。越后的上杉,虽然是我国的敌人,但却是个出色的人啊。」
こんなわけで、松本の人々は再び元気を取り戻しました。
因此,松本的人们再次恢复了精神。
松本に塩が届いたのは一月十一日で、人々はその時の恩を忘れないように、それ以来、毎年この日には祭りを行うようになったのです。
盐运到松本是一月十一日,人们为了不忘记这恩情,至此以后,每年的这一天都会进行庆祝。
これが何百年も続けられた「塩市」の始まりです。
这就是持续了几百年的「盐市」的起源。
今では、その塩市も飴市に変わって、一月十一日には、賑やかに祭りが開かれるのです。
现在,盐市变成糖市,一月十一日这一天,会举行隆重的祭祀活动。
また、塩を運んできた牛がつながれたという石が今も松本市に残っていて、土地の人からは『牛つなぎ石』と呼ばれているそうです。
另外,和运盐的牛相关联的石头至今还留在松本市,当地人称之为「联牛石」。