沪江

日本神明:八百万神之名从何来

风子译 2015-05-29 06:30

日本では八百万の神という言葉を聞くことがある。

在日本有听说过“八百万之神”的说法。

数字にして800万という数が登場し、これは八百万という単語が実に多くの数という意味で使用されているからである。

把它数字化为八百万,这是因为“800万”一词在实际中被用来代指数量之多的缘故。

日本は世界的に見て非常に特徴的な考え方が存在し、それを象徴するものの1つが森羅万象(あらゆるもの)に神が宿るという考え方である。

日本(人)的思想在世界中也非常有特色。代表之一便是神栖身于世间万物之中这一想法。

八百万の神という表現は「古事記」の中に登場する表現で、無数に神々の存在を表しだものである。

八百万神这一说法出现在《古事记》中,表现了无数之神的存在。

このことからわかるように、決して800万種類の神がいるというわけではない。

从这里可以看出绝不是有800万种神存在的意思。

古事記だけでなく日本書紀などの文献にも八十神や八十万神といった表現が見られ、共通する点である「八」という漢数字がどうやら縁起が良い数字のように認識されていたと同時に、多くの数を表す表現としてもたくさん用いられていたと考えることができる。

可以认为不只是《古事记》,《日本书纪》之类的文献也可以看到“八十神”“八十万神”这样的表达,共同点的“八”这一大写数字好像被认为是很吉利的数字。同时,也多用于形容数量之多。

日本神話では天照大神や素戔嗚尊などが有名であるが、神様は彼らだけではないのだ。

日本神话里天照大神,须佐之男等非常有名,但是神并不只有他们。

ここには日本独特の、森羅万象に神が宿るという考え方が存在する。

这里存在着日本独特的“神栖身于世间万物”的思想。

あらゆる物事は神によって生み出され、それら全てにはそれぞれの精霊が存在するというもので、日本のように四季の変化やそれに伴う豊かな自然を感じる国民性が自然そのものを神のように崇拝するといった考え方を生んだとされている。

这种思想以为万物皆由神创造,万物中存在着各自的神灵。像日本那样感受着四季变化、自然丰富的国民及其国民性,产生了将自然当作神明崇拜的这一想法。人们普遍这样认为。

これらは元々八百万という表現がされていたわけではなく、多くのものに精霊が宿るという思想が時を経つにつれて神と変化し、八百万の神々として現在まで語り継がれるようになった。

最初的表达方式并不是“八百万”,“精灵寄宿于世间万物”这一思想随着时间的推移,演变为“神”,最终以“八百万神”(的说法)流传至今。

また、10月を神無月と呼ぶ理由は、これら八百万の神々が10月になると出雲大社に集まるために、各地に神がいなくなってしまうためである。

另外,10月被称为“无神月”,是因为八百万神在10月要聚集到出云大社,故而各地的神都不在了。

そして興味深いことに、日本の八百万の神々には姿が無い。

有趣的是,日本的八百万神都没有形态。

世界中の神を崇拝する組織(主に宗教)では神の姿が描かれ、偶像崇拝禁止(あくまで神の形はあるとされる)などの宗教側にとって都合のよい場合などが存在するもの、本来その姿が無い神々が存在することは日本の特徴なのだ。

世界上崇拜神的组织(主要是宗教)都描绘了神的样子。这对禁止偶像崇拜的某些宗教来说是一件好事。但是日本的特点则是认为神本来就没有形态。

さらに日本の八百万の神々は自分から何かを要求するわけでもなく、ただそこに存在すると信じられているだけであり、生贄を求めたりする世界の神々とは大きく違う。

并且,日本的八百万神并不是有所要求,而是被相信才存在的,同世界中需要供奉的神有很大不同。

ある意味日本人の国民性を象徴するかのような八百万の神々、静かに人間を見守る姿を想像するとどこか可愛らしいものがある。

某种意义上,八百万神是日本国民性的象征,想象着(他们)静静守护人类的样子,感觉有点可爱。

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