沪江

JR之谜:日本人的“中央线”情结

南宫璃月译 2015-04-29 06:30

以前、地方出身の知り合いに言われたことがある。「東京に出たら、高円寺の近くに住むのが夢だった」と。

以前,曾经有出身于同个地方的熟人这么说道,“如果去到东京生活的话,我梦想着能在高圆寺附近居住。”

かくのごとく、“中央線沿線”に憧れを抱く人は少なくないようだ。吉祥寺は毎年「住みたい街」1位に選ばれたりしているし、中央線沿線を取り上げる街あるき本も数多く出版されている。

如前面所叙述的,憧憬着住在“环中央线”附近的人貌似不少。吉祥寺每年都会当选“最希望居住的街道”, 杂志社也出版刊登了很多关于环中央线的杂志。

子供の頃から毎日のように中央線を利用し続けている立場からすると、あんなに混んでいてすぐに人身事故ダイヤ乱れる路線のどこがいいの?と思うのだけれど、まあとにかく中央線には人を引きつける“何か”があるようだ。

笔者小时候每天就坐着中央线来来去去,从这个立场来说,实在很疑惑那样人山人海的集聚地,一不小心就会发生人员伤亡事故,行车时间表又十分凌乱的铁道线路有什么好的。虽说笔者是这么想,但是中央线一定有某种吸引人的理由。

そんな中央線、歴史は古くて開業は今から120年以上遡る1889年。前身の“甲武鉄道”によって新宿~立川間が開業した。

中央线的古老历史要追溯到距今120年以上,开业于1889年的时候。中央线的前身为甲武铁道,经由这个改建而成,当时的路线是从经由新宿到立川之间。

この時、中野駅武蔵境駅(当時は駅)国分寺駅も開業している。その後、順次西へ東へ路線を伸ばし、現在の姿になっていった。

这时,已经开业的站台有中野站,武藏境站(当时是堺站),国分寺站当时也开业了。之后,依次向东西方向发展线路,形成了现在的中央线。

これだけ長い歴史があるならば、エピソードもたっぷり残されているし、それに伴う“謎”もたくさん残されている。

有这么悠久历史的中央线,当然会留下很多趣闻,也同时留下不少的谜团。

例えば、東中野駅付近から立川駅付近までひたすら真っすぐに東西を走る理由。

例如,东中野站附近到立川站附近为什么是直线往东西行驶的原因。

『JR中央線の謎学』(ロムインターナショナル/河出書房新社)によれば、蒸気機関車の煙を気にした甲州街道沿いの住民たちの抵抗で用地買収難航したためだとか、甲州街道と青梅街道の中間地点に建設して両街道いずれの需要も取り込もうとしたとか、そんな説があるという。

根据《JR中央线的神秘学》(国际存储器/河出书房新社)这本书的内容,是因为当时住在甲州街道附近的居民不喜蒸汽机车产生的浓烟,一度用收购土地的方式进行抗议,一时铁路建设难以展开,另外还有一种说法是甲州街道和青梅街道两地中间相隔的部分因为两个街道都需要建设而出现争议,因此线路形成至此。

また、高円寺が“音楽の街”などと言われる理由として、1968年にオープンしたロック喫茶「ムービン」の存在や吉田拓郎の『高円寺』という曲の存在が挙げられている。

另外,高圆寺被称作“音乐的街道”的原因,也可以从1968年举办的摇滚茶会“moving”,和吉田拓郎所演唱的“高圆寺”中可推测一二。

西荻窪駅周辺にアンティークショップが多く立ち並ぶのは、戦前この地に屋敷を構えていた軍人たちが戦後屋敷を手放す際に家財道具を売り払ったのがきっかけだったとか。

西荻窪站周围的古董店铺林立也是因为二战前在这里建造住宅的军人们,战后离开这里的时候把原来的家当用具这些卖掉为契机而逐步形成的。

このように、『JR中央線の謎学』には、中央線を愛する人にとってはおもわずニヤリとしてしまう謎=ネタ満載だ。

综上所述,《JR中央线的神秘学》,刊登了很多对于热爱中央线的人们能莞尔一笑的谜团=(八卦新闻)。

太宰治が好んで歩いた三鷹駅近くの跨線橋のエピソード、「吉祥寺」という駅名地名と「吉祥寺」というお寺の関係、現在の中央線快速の車両E233系に秘められた気遣い、中野ブロードウェイは高級マンションの先駆け的存在だった…などなど。

比如太宰治喜欢在三鹰站附近的天桥散步;称为“吉祥寺”的站名,地名和名为吉祥寺的寺庙之间的关系,以及现在中央线的中央特快车次E233系所隐藏的忧患,以及中野百老汇是日本高级住宅的领军者等等的各种八卦新闻。

これだけいろいろなネタが豊富に集まっている鉄道路線は他にないのでは…と思えてくる。

集如此丰富的趣闻趣事的铁道线路于一身的铁道路线,笔者认为再也找不到第二条铁道线路了。当然,其他线路应该也有不少的趣闻趣事。

もちろん、他の路線にだって“ネタ”はたくさんあるはず。けれど、中央線は独自の“文化”を持っているからこそ、こうしてあちこちからネタが集まり、そして語られる。

但是,正因为中央线拥有它独自的文化,所以才有这么从不同地方收集到如此多的趣事并为之传颂。

鉄道ファンが喜ぶネタからサブカル好きがニヤつくネタまで、まさにちょっとうんちくを垂れたくなるネタの宝庫。もしかすると、それが中央線の中央線たる所以なのかもしれない。

无论是铁道线路死忠粉喜欢的趣事还是能让人冷笑不已的铁路线次文化,真的是稍微一提及中央线就有无穷无尽趣闻新闻的宝库。或许这就是中央线之所以为中央线的原因也说不定。

実は、中央線の“沿線文化”はとても稀有な例。

事实上,中央线作为“铁路沿线文化”是十分罕有的例子。

たしかに、東急や阪急などの私鉄各社は鉄道事業と同時に沿線開発を行ったため、独自の“私鉄沿線文化”を築いている例が多い。

确实,东急(東京急行電鉄和阪急阪急電鉄等私营铁道公司在开展铁道事业的同时也开展周边沿线的开发,所以建立起“私营铁路沿线文化”的例子很多。

けれど、現在のJRにつながる路線は沿線開発をして乗客を増やすというよりは、国策によって地域と地域の拠点都市を結ぶべく作られている。

但是,比起现在为了连结JR路线进行沿线的开发而因此增加的乘客数量,更重要的是根据日本国家政策建立起连接地区与地区之间的据点城市。

そのため、沿線に独自の文化が生まれる例はあまり見られない。中央線も東京と甲府を結ぶ路線というのがその本質だったのだが、それが今では中央線文化は沿線文化の代名詞といえるほどの存在感。

因此,中央线中连接东京和甲府的路线的本质就在于此,所以迄今的中央线文化才有等同沿线文化这个代名词一样的存在感。

果たして中央線が持つ“魔力”は一体何なのか。『JR中央線の謎学』には、その答えの一端があるような気がしてならない。

到底中央线它的魅力是什么呢。笔者总觉得《JR中央线的神秘学》这本书会带领我们通往问题的彼岸。

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