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细数历史:阴阳师何时诞生?

ウサギ译 2016-09-27 06:30

陰陽師の歴史

阴阳师的历史

——と中途半端な勢いで発進しましたが、陰陽師というのがいつ誕生していつ謎めいた存在になってしまったのかをまずは知らねばなりますまい。というわけでまずは陰陽師の歴史をまとめます。陰陽道も当たり前ですが絡みますから、本当にざっくりと解り易く歴史を追います。

——虽然阴阳师的发展一直不温不火的,不过到底是何时诞生的,又是何时开始成为谜一般的存在的,知道的人并不多,因此本文对阴阳师的历史进行了一次梳理。阴阳道自然是和其相关的,一起来追溯解读阴阳师的历史吧。

 古墳時代——中国より陰陽五行思想が日本に伝えられる。しかしこの時点ではそんなに盛り上がらない。

·古坟时代——阴阳五行的思想从中国传入日本。不过在这个时代,还未成型。

飛鳥時代——本格的に仏教が日本に流れ込んで来た影響も相まって、陰陽五行思想も次第に政治への力を持ち始める(主に国が進むべき指針を自然などから読み取り占うという役目。風水的)。

·飞鸟时代——佛教正式传入日本,并互相产生影响,阴阳五行的思想开始拥有政治性的力量。(尤其承担着从自然等占卜国家应该前行的方向等责任,查看风水)

聖徳太子「あれ? 陰陽五行思想すごくね?」

圣德太子“阿,阴阳五行思想是不是很厉害呀?”

そしてこの時代に陰陽寮(朝廷内の陰陽師達が所属する機関)が設立されます。

于是在飞鸟时代便设立了阴阳寮(朝廷内阴阳师们所属的机关)

奈良時代——朝廷内に設立された陰陽寮は、国家機密の謎機関。故に一般人が陰陽道を学ぶことは固く禁じられていました。ただし、まだこの時代の陰陽師というのは占いや地相を読み予言やアドバイスをするだけの存在。それでも大きな影響力を持っていました。

·奈良时代——朝廷内设置的阴阳寮,是属于国家机密性质的隐秘机关。一般人是禁止学习阴阳之道的。然而,这个时代的阴阳师还仅仅处于占卜、查看风水、提出预言建议的存在。即便如此,他们也是拥有了巨大的影响力。

平安時代——陰陽寮の機密制度にも翳りが。陰陽寮での人材育成があまりうまくいかなかったこと、陰陽道が公家達のプライベートな争いにまで利用されるようになったこと、民間でも禁止されているはずの陰陽道の習得を勝手にやりだす輩が出てきた事等々、様々な要因が重なり、陰陽道は独自の広がりを見せるようになります。

·平安时代——阴阳寮虽然戴着机密制度的光环,却无法在阴阳寮里培养出有用的人才,阴阳道被利用于贵族官员私下的争斗,民间虽然被禁止使用,却有不少有才能的人罔顾而习得阴阳道,基于这些原因,阴阳道独自走上了发扬光大的道路。

それは悪く言ってしまえばオカルト色合いを強めたとも言えるし、地域毎に全く異なる陰陽道が育っていくことにもなりました。

这样说可能不妥,阴阳道带有强烈的超自然色彩,而且每个地区各有不同。

しかしこの時代、ご存知安倍晴明(あべのせいめい)が現れる時代でもあります。

不过在这个时代,就出现了众所周知的安倍晴明。

陰陽道が最早機密ではなくなってしまっていましたが、朝廷内では賀茂家と安倍家の二家が陰陽寮を掌握。のみならず多くの権力者達に信頼され、更にコントロールするほどまでに力を持っていました。

阴阳道没了最早的机密性,也是因为在朝廷内由贺茂和安倍两家掌管了阴阳寮。他们不仅取得了许多有权之人的信赖,更是拥有着能够控制的力量。

恐らく最も陰陽師が活躍したのが平安時代だと思われますが、その大きな原因はこの時代に流行した「御霊信仰」の影響が大きいです。

平安时代被认为是阴阳师最为活跃的年代,其最大原因便是这个时代所流行的“御灵信仰”的影响。

御霊信仰とは、簡単に言えば祟りだ悪霊だを信じ、恐れる信仰(というか風潮)のこと。そういったモノに対抗できるのなんて陰陽師以外にいなかったんですね。

所谓御灵信仰,简单来说便是相信作祟和恶灵,惟恐信仰(类似的风潮)。而能与之抗衡的,只有阴阳师。

鎌倉時代——まだまだ力を持っていた陰陽師。しかし、この時代になると陰陽師を重用するのは一部の公家や皇族に限られるようになってきます。ヤバイ廃れる!

·镰仓时代——阴阳师有了更多的力量。不过,到了这个时代,重用阴阳师的也只有一部分贵族和皇族。几乎到了废弃的地步!

が、足利将軍家が公家志向で陰陽師を重用するようになり、一安心。

然而,足利将军家却在官方重用起了阴阳师,这才令人安心。

戦国時代——そして訪れる戦乱の時代。下剋上だ天下取りだと血眼になり必死に生きる人々にとって陰陽師の予言なんて馬糞の役にも立ちません。

·战国时代——随之而来的是战乱的时代。对于以下犯上、一统天下等你死我活的人们来说,阴阳师预言什么的简直是无稽之谈。

陰陽師の二大勢力であった安倍家と賀茂家も、賀茂家は血筋が断絶、踏ん張ってた安倍家も戦乱の中徐々に衰退。

作为阴阳师两大势力的安倍和贺茂家族,贺茂家已决后,而努力支撑的安倍家也在战乱中渐渐衰退。

陰陽師危機一髪

阴阳师陷入千钧一发的时刻!

……と思いきや、危機一髪だったのは由緒正しい二家のみで、民間で湧きまくっていた陰陽師は未だ流行の波に乗り続けていたようです。ただ、民間陰陽師は怪しい占いや祈祷をする者も多く、この頃には陰陽師に対するオカルトな妖しいイメージというのは拭えないものになっていたようです。

但其实,陷入危机的只是正统的这两家而已,民间涌现的阴阳师正趁着流行之浪风卷云起。不过,民间的阴阳师大多是做些奇怪的占卜和祈祷,就是从这个时候开始,对阴阳师才有了那种磨灭不去的神秘妖艳的印象。

また、一時天下人となった豊臣秀吉に陰陽師は嫌われてしまったようで、連綿と続いていた宮廷内陰陽道も遂に終わってしまいます。

另外,在丰臣秀吉君临天下的时候,阴阳师遭到嫌弃,持续不断的宫廷内斗使得阴阳道最终走向了末路。

江戸時代——家康「ちょっともうそういう怪しいの取り締まりましょう」

·江户时代——家康“稍有妖魔鬼怪之说就严加取缔”

というわけで江戸時代、徳川家康の時代には陰陽道の統制が始まります。しかし優しい家康は陰陽道を根絶するのではなく、秀吉に嫌われちゃった陰陽師である土御門久脩(つちみかどひさなが)を陰陽道の宗家と認め、建築物の地相を見させたりして使いました。

因此这样的江户时代、德川家康时代,开始严加管制阴阳道。然而温和的家康没能根除阴阳道,被秀吉讨厌的阴阳师土御门久侑被认证为阴阳道的本家,而让他去查看建筑物的风水。

最早政治に影響を及ぼすことは全くなくなってしまった陰陽師。しかし民間での占いや地相見などでは定着することになります。

已全然没有了早期涉及影响政治因素的阴阳师,而在民间却被定位成了占卜和看风水等。

明治時代——ついに訪れる最後の瞬間。

·明治时代——终于来到了最后的瞬间。

「西洋文化をドンドン取り入れてる最中、陰陽道みたいな古風な輩はきっと反対勢力の中心になるでしょ」

“在西洋文化不断涌入日本的浪潮中,如阴阳道这一类古朴的传统一定会成为反对势力的核心靶子吧”

「天皇がいらっしゃるのに偉そうに行動を指図するとかどういうこと? ていうかそもそも日本には神道があるのに中国輸入の陰陽道が何偉そうにしてるわけ?」

“天皇还健在,这么趾高气昂地指手画脚意欲何为?再说日本原本就有神道,从中国传入的阴阳道有什么好得意的?”

哀しいかな、明治時代になり陰陽道は「迷信である」という烙印を押され完全に廃止されてしまいます。

可惜的是,到了明治时代,阴阳道被打上“迷信”的烙印,完全废止了。

悔しいことに、西洋文化の流入が陰陽道廃止のトドメになったんですね。

而可叹的是,西洋文化的流入成了阴阳道废止的罪魁祸首。

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