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深度揭秘:日语标准语的诞生(下)

forevereva译 2015-03-10 00:45

明治政府が国語教育において、標準語のモデルとして採用したのはこの山の手言葉だった。明治政府の中で、国語・標準語教育に主導的な役割を果たした上田万年は、標準語として採用すべき言語は「教育ある東京人の話す言葉」だといい、また国語学者岡野久胤は「東京の各社会一般に通用する言語、即ち中流社会の男子の言語」を標準語とすべきだといっている。どちらも山の手言葉を標準語のモデルとして推薦している。

明治政府把“山手语言”作为标准语的模型,在国语教育中予以采用。在明治政府中,在国语・标准语教育方面发挥主导作用的上田万年认为,采用为标准语的语言应为“有教养的东京人所说的语言”,另外语言学家冈野久胤表示“东京各社会阶层中普遍通用的语言,即中流社会男子的语言”应采用为标准语。无论哪一位,都认为标准语应该以山手语言为准。

彼らがさらりといっているように、この山の手言葉には著しい特徴があった。

如他们所断定那样,山手语言具有很显著的特征。

まず第一に、武家社会における共通語の子孫として、作られた言語という色彩が強いことだ。彼らが「教育ある」とか「中流の」とかいっているように、これは自然発生的な言語というより、作られた言語であり、したがって学んで取得すべきものである。その点が江戸土着の言葉とは違う。江戸土着の言葉は、土人が話す野卑な言語であるのに対し、彼らがいう東京言葉は教養ある人士が話すところの上品な言語である。

首先,山手语言来源自武家社会中的通用语,具有人为性语言的鲜明色彩。诸如他们所说的“有教养”、“中流”等等,都说明山手语与其是自然发展而成,更大成分上是一种人为构建的语言,因此是应通过学习来掌握的语言。这一点就和江户的方言有所不同。江户当地的语言是当地人所用的粗俗讲话方式,而上田、冈野所说的东京话,则是由教养人士挂在嘴边的优雅言辞。

第二に、岡野が「男子の言語」といっているように、男を主な話し手とする点だ。これは山の手言葉の先祖たる武家の言葉が、男社会の言葉であったことの帰結である。武家社会は男の社会であるから、そこで使われる言葉は男によって話されることしか想定していない。女ももちろんその言葉を使ったことはあったろうが、それが言葉の性質に重要な影響を及ぼしたとは考えられない。こんなことから、今日の標準語も、主に男が発話するのに都合のよいようにできている。

其次,就像冈野称之为“男子的语言”那样,山手语另一大特点是,说话人主要为男性。其中的原因要归结为,山手语的前身——武家语言原本就是男性社会中使用的语言。武家社会是男人的社会,因此在这里使用的语言也只被设想为男子所说的话语。女性当然也会使用这种语言,但却并不对语言的性质产生重要影响。由于这样的原因,今天的标准语也是为了男性表达的方便而形成的。

第三に、作られた言語という性格からもたらされることとして、山の手言葉は著しく観念的で、乾いた肌合いをもっている。言葉の情報伝達機能には、意味の伝達と情動の伝達とが含まれるが、山の手言葉はもっぱら意味の伝達のほうに重きをおいて、情動の伝達あるいは表出にはあまり適していない。これが観念的だという理由である。乾いた肌合いというのは潤いにかけるという意味だが、これも情動の伝達に不適切なことから帰結されることである。

再者,山手语具备相当的抽象性、风格显得死板,这是由人为性语言这样的性格所带来的特点。语言的信息传达功能包含了意思的传达与情感的传达两方面。山手语重在传达意思这一方面,而并不太适合用于表达情感。这也是它显得抽象的原因。说山手语风格死板也是由于它欠缺一些情趣,还是要归结于它在情感传达上有所欠缺这一事实。

ところで山の手言葉をモデルにして標準語という概念が成立すると、方言というものに価値の転換が起こった。方言という言葉自体、徳川時代以前には基本的になかったもので、標準語という概念が成立すると同時に、それの対概念として成立したものなのである。

话说回来,一旦以山手语为模型的标准语这一概念得以成立,在方言中也随之出现了价值转换。因为在德川时代以前,方言这种说法本身基本是不存在的,随着标准语的概念成立,它才作为相对的概念产生。

徳川時代以前には、京言葉と対比しての雛言葉などという言い回しはあったが、それぞれの地方の言語の間の序列などは基本的にはなかった。江戸の武家言葉はコミュニケーションの必要から作られたもので、いわば便宜的に使われる言葉であった。したがって全国誰でもが使うべき基準の言葉などという考えもなかった。

在德川时代以前,也存在过与京都语言相对照的雏语言等等,但各个地方语言中间并不存在顺序排列。江户的武家语言是出于交流的需要而构建成的,换言之也就是作为权宜手段使用的语言。因此人们也不认为它是全国所有人都应通用的标准语言。

ところがいったん標準語が確立すると、それは日本国民全体が話せなければならない標準の言葉であり、方言は無教養な土人が使う野卑な言葉だという考えが生まれた。

然而一旦标准语确立了下来,就产生了一种观念,认为其为日本全体国民必须使用的标准语言,方言则是无教养的土人使用的卑俗语言。

こうして言語の間に、新しい差別の構造が出来上がっていく。

就这样,语言之间开始出现新的分化。

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