沪江

探索日本的漫画文化

ウサギ译 2015-02-26 00:45

源流は手塚治虫だった!

起源曾是手冢治虫

日本と海外のマンガ文化の違いは、海外では「子供のもの」として区分けされているマンガが、日本では幼児から社会人まで幅広い世代に愛読されてきたという点です。そのベースを作ったのが“マンガの神様”と呼ばれる手塚治虫(1928-1989)で、戦後まもなく漫画家としてデビューし、それまでの子供向けマンガの枠に入りきらないリアルな感情──悲哀や「自分は何者か」という問いかけなどを訴えかける作品を数多く世に送り出しました。それは当時の子供たちにとって「楽しい!面白い!」だけでは終わらない、心に何かを残す作品との出会いでした。やがて手塚治虫の影響を受けた、当時まだ十代の手塚チルドレンたちは「自分も描きたい!」と、手塚マンガを引き継ぐ一方で、笑いの要素がないシリアスな世界で通した新しいマンガを発表し始めます。その読者にあたるのが、戦後ベビーブームで生まれた団塊の世代です。中学、高校……と成長するのと並行して、マンガもバラエティ豊かになり、60年代からは劇画や青年マンガというジャンルも生まれて、彼らにはマンガをやめるきっかけがなくなってしまいました。大学に入り、社会人になってもマンガからの卒業はなくなったのです。

日本漫画文化与海外的不同之处在于,海外将漫画作为“儿童专用”文化,而在日本,从幼儿到社会成人,漫画都受到广泛的喜爱。这样大众化漫画的奠基人就是被称为“漫画之神”的手冢治虫(1928-1989)。二战后不久,他就作为漫画家出道,至此为止儿童漫画不曾有的真实的情感——融入悲哀元素、质问“我到底是谁”等作品大量面世。对于当时的孩子们来说,作品光是“开心!有趣!”还不够,必须要能在心里留下深刻印象。大约是受了手冢治虫的影响,当时还是十几岁的手冢家的孩子们发出了“自己也想画!”的呼声,在继承手冢漫画的同时,开始发表没有玩笑要素、通往严肃世界的新型漫画。而这一批漫画的读者,是二战后在婴儿潮(指的是在某一时期及特定地区,出生率大幅度提升的现象)下出生的团块世代(专指日本在1947年到1949年之间出生的一代人,是日本二战后出现的第一次婴儿潮人口)。随着孩子们进入初中、高中,渐渐成长,漫画也变得越来越多样、丰富,从60年代开始还出现了连环画、青年漫画等类型。于是,他们再没机会戒掉漫画。即使入了大学,成了社会人士,也没法从漫画中毕业。

マンガからMANGAへ、その次は…

从漫画到MANGA,接下来会是……

日本で幅広い世代にマンガが受け入れられてきた背景には、海外と違って「子供文化と大人文化の境界線があいまいだったから」ということもあるようです。そして、いま再びレンタルコミックという形で復活した感のある「貸本屋」も、日本のマンガ文化を語る上でなくてはならない存在です。

在日本,各个年龄层面都能接受漫画,其社会背景与海外不同,“儿童文化与成人文化的界线十分暧昧不清”。还有,如今再次以漫画出租形式复活的“借书店”,也是日本漫画文化史上不可或缺的存在。

世界に目を向けると、ずいぶん以前から日本のアニメが海外で広く受け入れられてきた実状もあり、近年では、日本でヒットしたマンガ作品がすぐに海外進出する例も多いようです。かつての日本の手塚チルドレンのように、日本のMANGAを見て育った海外の人たちが、こんどは自分の作品を描き始めた時にどんなものができてくるのか、またそこからどう発展していくのか、大いに楽しみなところです。

展望世界,日本的动漫在很久以前就受到世界各地的欢迎,近年来,在日本大热的漫画作品立刻就进军海外的例子也不在少数。就如同曾经的手冢家的孩子们那样,看日本漫画长大的海外人们,如果开始自己的漫画,将会产生怎样的作品,这些作品又如何发展壮大,实在是令人期待。

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