沪江

夏目漱石的文章

yuanjunfly 2006-03-17 16:15
うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐(やまあらし)が突然(とつぜん)、君先だってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれと頼(たの)んだから、真面目(まじめ)に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつは悪(わ)るい奴(やつ)で、よく偽筆(ぎひつ)へ贋落款(にせらっかん)などを押(お)して売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目(でたらめ)に違(ちが)いない。君に懸物(かけもの)や骨董(こっとう)を売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないで儲(もう)けがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化(ごまか)したのだ。僕はあの人物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁(かんべん)したまえと長々しい謝罪をした。
 おれは何とも云わずに、山嵐の机の上にあった、一銭五厘(りん)をとって、おれの蝦蟇口(がまぐち)のなかへ入れた。山嵐は君それを引き込(こ)めるのかと不審(ふしん)そうに聞くから、うんおれは君に奢(おご)られるのが、いやだったから、是非返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱり奢ってもらう方がいいようだから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんなら、なぜ早く取らなかったのだと聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、何だか妙(みょう)だからそのままにしておいた。近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと云ったら、君はよっぽど負け惜(お)しみの強い男だと云うから、君はよっぽど剛情張(ごうじょうっぱ)りだと答えてやった。それから二人の間にこんな問答が起(おこ)った。
「君は一体どこの産だ」
「おれは江戸(えど)っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「きみはどこだ」
「僕は会津(あいづ)だ」
「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」
「行くとも、君は?」
「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜(はま)まで見送りに行こうと思ってるくらいだ」
「送別会は面白いぜ、出て見たまえ。今日は大いに飲むつもりだ」
「勝手に飲むがいい。おれは肴(さかな)を食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿(ばか)だ」
「君はすぐ喧嘩(けんか)を吹(ふ)き懸(か)ける男だ。なるほど江戸っ子の軽跳(けいちょう)な風を、よく、あらわしてる」
「何でもいい、送別会へ行く前にちょっとおれのうちへお寄り、話(はな)しがあるから」

 山嵐は約束(やくそく)通りおれの下宿へ寄った。おれはこの間から、うらなり君の顔を見る度に気の毒でたまらなかったが、いよいよ送別の今日となったら、何だか憐(あわ)れっぽくって、出来る事なら、おれが代りに行ってやりたい様な気がしだした。それで送別会の席上で、大いに演説でもしてその行を盛(さかん)にしてやりたいと思うのだが、おれのべらんめえ調子じゃ、到底(とうてい)物にならないから、大きな声を出す山嵐を雇(やと)って、一番赤シャツの荒肝(あらぎも)を挫(ひし)いでやろうと考え付いたから、わざわざ山嵐を呼んだのである。
 おれはまず冒頭(ぼうとう)としてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳(くわ)しく知っている。おれが野芹川(のぜりがわ)の土手の話をして、あれは馬鹿野郎(ばかやろう)だと云ったら、山嵐は君はだれを捕(つら)まえても馬鹿呼(よば)わりをする。今日学校で自分の事を馬鹿と云ったじゃないか。自分が馬鹿なら、赤シャツは馬鹿じゃない。自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。それじゃ赤シャツは腑抜(ふぬ)けの呆助(ほうすけ)だと云ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥(はる)かに字を知っていない。会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだろう。
 それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが云った話をしたら山嵐はふふんと鼻から声を出して、それじゃ僕を免職(めんしょく)する考えだなと云った。免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞いたら、誰(だれ)がなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツもいっしょに免職させてやると大いに威張(いば)った。どうしていっしょに免職させる気かと押し返して尋(たず)ねたら、そこはまだ考えていないと答えた。山嵐は強そうだが、智慧(ちえ)はあまりなさそうだ。おれが増給を断(こと)わったと話したら、大将大きに喜んでさすが江戸っ子だ、えらいと賞(ほ)めてくれた。
 うらなりが、そんなに厭(いや)がっているなら、なぜ留任の運動をしてやらなかったと聞いてみたら、うらなりから話を聞いた時は、既(すで)にきまってしまって、校長へ二度、赤シャツへ一度行って談判してみたが、どうする事も出来なかったと話した。それについても古賀があまり好人物過ぎるから困る。赤シャツから話があった時、断然断わるか、一応考えてみますと逃(に)げればいいのに、あの弁舌に胡魔化されて、即席(そくせき)に許諾(きょだく)したものだから、あとからお母(っか)さんが泣きついても、自分が談判に行っても役に立たなかったと非常に残念がった。
 今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが云ったら、無論そうに違いない。あいつは大人(おとな)しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃんと逃道(にげみち)を拵(こしら)えて待ってるんだから、よっぽど奸物(かんぶつ)だ。あんな奴にかかっては鉄拳制裁(てっけんせいさい)でなくっちゃ利かないと、瘤(こぶ)だらけの腕(うで)をまくってみせた。おれはついでだから、君の腕は強そうだな柔術(じゅうじゅつ)でもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、ちょっと攫(つか)んでみろと云うから、指の先で揉(も)んでみたら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。
 おれはあまり感心したから、君そのくらいの腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら、無論さと云いながら、曲げた腕を伸(の)ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐるりと皮のなかで廻転(かいてん)する。すこぶる愉快(ゆかい)だ。山嵐の証明する所によると、かんじん綯(よ)りを二本より合せて、この力瘤の出る所へ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。かんじんよりなら、おれにも出来そうだと云ったら、出来るものか、出来るならやってみろと来た。切れないと外聞がわるいから、おれは見合せた。
 君どうだ、今夜の送別会に大いに飲んだあと、赤シャツと野だを撲(なぐ)ってやらないかと面白半分に勧めてみたら、山嵐はそうだなと考えていたが、今夜はまあよそうと云った。なぜと聞くと、今夜は古賀に気の毒だから――それにどうせ撲るくらいなら、あいつらの悪るい所を見届けて現場で撲らなくっちゃ、こっちの落度になるからと、分別のありそうな事を附加(つけた)した。山嵐でもおれよりは考えがあると見える。
 じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、おれがすると江戸っ子のぺらぺらになって重みがなくていけない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜飲(りゅういん)が起って咽喉(のど)の所へ、大きな丸(たま)が上がって来て言葉が出ないから、君に譲(ゆず)るからと云ったら、妙な病気だな、じゃ君は人中じゃ口は利けないんだね、困るだろう、と聞くから、何そんなに困りゃしないと答えておいた。
 そうこうするうち時間が来たから、山嵐と一所に会場へ行く。会場は花晨亭(かしんてい)といって、当地(ここ)で第一等の料理屋だそうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷(やしき)を買い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見懸(みかけ)からして厳(いか)めしい構えだ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織(じんばおり)を縫(ぬ)い直して、胴着(どうぎ)にする様なものだ。
 二人が着いた頃(ころ)には、人数(にんず)ももう大概揃(たいがいそろ)って、五十畳(じょう)の広間に二つ三つ人間の塊(かたまり)が出来ている。五十畳だけに床(とこ)は素敵に大きい。おれが山城屋で占領(せんりょう)した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶(かめ)を据(す)えて、その中に松(まつ)の大きな枝(えだ)が挿(さ)してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立っても散る気遣いがないから、銭が懸らなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里(いまり)ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器(とうき)の事を瀬戸物というのかと思っていた。床の真中に大きな懸物があって、おれの顔くらいな大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手(へた)なものだ。あんまり不味(まず)いから、漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々(れいれい)と懸けておくんですと尋(たず)ねたところ、先生はあれは海屋(かいおく)といって有名な書家のかいた者だと教えてくれた。海屋だか何だか、おれは今だに下手だと思っている。
 やがて書記の川村がどうかお着席をと云うから、柱があって靠(よ)りかかるのに都合のいい所へ坐(すわ)った。海屋の懸物の前に狸(たぬき)が羽織(はおり)、袴(はかま)で着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣取(じんど)った。右の方は主人公だというのでうらなり先生、これも日本服で控(ひか)えている。おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈(きゅうくつ)だったから、すぐ胡坐(あぐら)をかいた。隣(とな)りの体操(たいそう)教師は黒ずぼん[#「ずぼん」に傍点]で、ちゃんとかしこまっている。体操の教師だけにいやに修行が積んでいる。やがてお膳(ぜん)が出る。徳利(とくり)が並(なら)ぶ。幹事が立って、一言(いちごん)開会の辞を述べる。それから狸が立つ。赤シャツが起(た)つ。ことごとく送別の辞を述べたが、三人共申し合せたようにうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴(ふいちょう)して、今回去られるのはまことに残念である、学校としてのみならず、個人として大いに惜しむところであるが、ご一身上のご都合で、切に転任をご希望になったのだから致(いた)し方(かた)がないという意味を述べた。こんな嘘(うそ)をついて送別会を開いて、それでちっとも恥(はず)かしいとも思っていない。ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った。しかもそのいい方がいかにも、もっともらしくって、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でもきっとだまされるに極(きま)ってる。マドンナも大方この手で引掛(ひっか)けたんだろう。赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向側(むかいがわ)に坐っていた山嵐がおれの顔を見てちょっと稲光(いなびかり)をさした。おれは返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。
 赤シャツが座に復するのを待ちかねて、山嵐がぬっと立ち上がったから、おれは嬉(うれ)しかったので、思わず手をぱちぱちと拍(う)った。すると狸を始め一同がことごとくおれの方を見たには少々困った。山嵐は何を云うかと思うとただ今校長始めことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で古賀君が一日(いちじつ)も早く当地を去られるのを希望しております。延岡は僻遠(へきえん)の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞くところによれば風俗のすこぶる淳朴(じゅんぼく)な所で、職員生徒ことごとく上代樸直(じょうだいぼくちょく)の気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を振(ふ)り蒔(ま)いたり、美しい顔をして君子を陥(おとしい)れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君のごとき温良篤厚(とっこう)の士は必ずその地方一般の歓迎(かんげい)を受けられるに相違(そうい)ない。吾輩(わがはい)は大いに古賀君のためにこの転任を祝するのである。終りに臨んで君が延岡に赴任(ふにん)されたら、その地の淑女(しゅくじょ)にして、君子の好逑(こうきゅう)となるべき資格あるものを択(えら)んで一日(いちじつ)も早く円満なる家庭をかたち作って、かの不貞無節なるお転婆(てんば)を事実の上において慚死(ざんし)せしめん事を希望します。えへんえへんと二つばかり大きな咳払(せきばら)いをして席に着いた。おれは今度も手を叩(たた)こうと思ったが、またみんながおれの面(かお)を見るといやだから、やめにしておいた。山嵐が坐ると今度はうらなり先生が起った。先生はご鄭寧(ていねい)に、自席から、座敷の端(はし)の末座まで行って、慇懃(いんぎん)に一同に挨拶(あいさつ)をした上、今般は一身上の都合で九州へ参る事になりましたについて、諸先生方が小生のためにこの盛大(せいだい)なる送別会をお開き下さったのは、まことに感銘(かんめい)の至りに堪(た)えぬ次第で――ことにただ今は校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴(ちょうだい)して、大いに難有(ありがた)く服膺(ふくよう)する訳であります。私はこれから遠方へ参りますが、なにとぞ従前の通りお見捨てなくご愛顧(あいこ)のほどを願います。とへえつく張って席に戻(もど)った。うらなり君はどこまで人が好いんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や、教頭に恭(うやうや)しくお礼を云っている。それも義理一遍(いっぺん)の挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つきや、あの顔つきから云うと、心(しん)から感謝しているらしい。こんな聖人に真面目にお礼を云われたら、気の毒になって、赤面しそうなものだが狸も赤シャツも真面目に謹聴(きんちょう)しているばかりだ。
 挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をして汁(しる)を飲んでみたがまずいもんだ。口取(くちとり)に蒲鉾(かまぼこ)はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損(できそこ)ないである。刺身(さしみ)も並んでるが、厚くって鮪(まぐろ)の切り身を生で食うと同じ事だ。それでも隣(とな)り近所の連中はむしゃむしゃ旨(うま)そうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。
 そのうち燗徳利(かんどくり)が頻繁(ひんぱん)に往来し始めたら、四方が急に賑(にぎ)やかになった。野だ公は恭しく校長の前へ出て盃(さかずき)を頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬(けんしゅう)をして、一巡周(いちじゅんめぐ)るつもりとみえる。はなはだご苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ頂戴致しましょうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にズボンのままかしこまって、一盃(ぱい)差し上げた。せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。ご出立(しゅったつ)はいつです、是非浜までお見送りをしましょうと云ったら、うらなり君はいえご用多(おお)のところ決してそれには及(およ)びませんと答えた。うらなり君が何と云ったって、おれは学校を休んで送る気でいる。
 それから一時間ほどするうちに席上は大分乱れて来る。まあ一杯(ぱい)、おや僕が飲めと云うのに……などと呂律(ろれつ)の巡(まわ)りかねるのも一人二人(ひとりふたり)出来て来た。少々退屈(たいくつ)したから便所へ行って、昔風な庭を星明りにすかして眺(なが)めていると山嵐が来た。どうださっきの演説はうまかったろう。と大分得意である。大賛成だが一ヶ所気に入らないと抗議(こうぎ)を申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。
「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡に居(お)らないから……と君は云ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
「じゃ何と云うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被(ねこっかぶ)りの、香具師(やし)の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」
「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変たくさん知ってる。それで演舌(えんぜつ)が出来ないのは不思議だ」
「なにこれは喧嘩(けんか)のときに使おうと思って、用心のために取っておく言葉さ。演舌となっちゃ、こうは出ない」
「そうかな、しかしぺらぺら出るぜ。もう一遍やって見たまえ」
「何遍でもやるさいいか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」と云いかけていると、椽側(えんがわ)をどたばた云わして、二人ばかり、よろよろしながら馳(か)け出して来た。
「両君そりゃひどい、――逃げるなんて、――僕が居るうちは決して逃(にが)さない、さあのみたまえ。――いかさま師?――面白い、いかさま面白い。――さあ飲みたまえ」
とおれと山嵐をぐいぐい引っ張って行く。実はこの両人共便所に来たのだが、酔(よ)ってるもんだから、便所へはいるのを忘れて、おれ等を引っ張るのだろう。酔っ払いは目の中(あた)る所へ用事を拵えて、前の事はすぐ忘れてしまうんだろう。
「さあ、諸君、いかさま師を引っ張って来た。さあ飲ましてくれたまえ。いかさま師をうんと云うほど、酔わしてくれたまえ。君逃げちゃいかん」
と逃げもせぬ、おれを壁際(かべぎわ)へ圧(お)し付けた。諸方を見廻してみると、膳の上に満足な肴の乗っているのは一つもない。自分の分を奇麗(きれい)に食い尽(つく)して、五六間先へ遠征(えんせい)に出た奴もいる。校長はいつ帰ったか姿が見えない。
 ところへお座敷はこちら? と芸者が三四人はいって来た。おれも少し驚(おど)ろいたが、壁際へ圧し付けられているんだから、じっとしてただ見ていた。すると今まで床柱(とこばしら)へもたれて例の琥珀(こはく)のパイプを自慢(じまん)そうに啣(くわ)えていた、赤シャツが急に起(た)って、座敷を出にかかった。向(むこ)うからはいって来た芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗な奴だ。遠くで聞(きこ)えなかったが、おや今晩はぐらい云ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行ったぎり、顔を出さなかった。大方校長のあとを追懸(おいか)けて帰ったんだろう。

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