沪江

2018笹川杯作文大赛优胜奖作品赏析:「私と日本」

孙斌 2019-01-03 06:20

优胜奖

「私と日本——私と日本―漢方薬から見えた日本の素晴らしさ」

孙斌(浙江中医药大学滨江学院)

私の専門は「日本語」ではなく、中国の伝統的な生薬や薬草などを研究する「中薬学」だ。一見すると、中国の伝統文化を代表する「中薬」は日本と何の関係もないようだが、実は深く関わっている。

大学二年生の時、ある日本人の教授が私の大学を訪問し、日本の漢方事情について講演した。深く感銘を受け、四年生になった今でも、その内容ははっきりと覚えている。

唐の時代、鑑真が中国の医学をはじめとする多彩な文化を日本にもたらしたことに伴い、中薬もだんだん日本で広がっていった。江戸時代になると、西洋から伝わってきた「蘭方」と区別するため、日本人は従来の中国医学を「漢方」と呼び始めた。日本の漢方は中国発祥だが、独自の理論や体系を形成し、大きな発展を遂げた。現在、日本の漢方薬は世界市場でおよそ80%のシェアを占めていて、圧倒的に中国を超えている。

それが教授の話のあらましだった。私は驚愕を隠せなかった。「80%ってどういうこと?中国は漢方の本家なのに、何で日本製はそんなに売れているの?中薬はいったいどこがダメなの?」と私は頭の中で何度も問いながら、ネットや教科書を頼りに答えを探ってみた。

タイレノールやアスピリンといった化学薬品は化学物質の合成によって得られるのだが、漢方の場合はそうはいかない。漢方薬は複数の生薬を組み合わせた方剤のため、一つの薬には多くの有効成分がある。しかし、一本の小さな薬草にも気が遠くなるような複雑な成分が含まれるので、生薬から要らない成分を除去し、有効成分だけを抽出しなければいけない。そして、有効成分の抽出度によって、薬物の効き目も大きく左右される。至難の作業と言っても過言ではない。

現在、業界を先駆けている日本の企業は、漢方薬の品質を維持するために、様々な工夫を凝らしている。最先端の技術を誇る生産設備の下、厳格な基準にもとづき原料生薬の厳選から製品化まで行い、品質管理も徹底していて、安全性と質の高さで各国の消費者の心を鷲掴みにしているのだ。とはいえ、世界市場の80%という巨大なシェアは、一朝一夕で簡単に築けるものではなかったはずだ。「日本の漢方薬の発展を支えてきたものは一体何だろう」と真剣に考えてみた。そして、様々な資料を調べた結果、次のようなことが分かった。

江戸時代は、鎖国政策により日本と中国の交流が途絶えた。その時点では、日本に伝わっていた中国の薬学の書籍は少なかった。中国から伝わってきた医薬の知識は少なくても、日本人はその僅かな知識をもとに、当時唯一の交易国であったオランダから「蘭方」の長所を取り入れ、独自の漢方を発展させたのだ。一つ例を挙げると、約二百年前に、あるお医者さんが蘭学で学んだ知識を漢方に取り入れ、龍角散という新しい薬を完成させた。その龍角散は今でも、訪日中国人から「神薬」と崇められるくらい人気を集めている。日本人は国外の文化を、自分達に合うようにアレンジしたり改良したりする能力に優れている。古来より日本人の中に秘められている「異文化への柔軟性」と「完璧さを追求する匠の精神」が、日本独自の漢方薬を発展させる上でも強く発揮されたのである。「なるほど」と悔しく思いながらも、ようやく納得できた。

一方、中国において千年の歴史を誇る中医薬の現状は決して好ましいとは言えないということもわかった。中国の製薬会社は投資の不足や管理体制の不備のほか、設備と技術面の立ち遅れ、農薬や重金属による汚染など様々な問題に直面しているのだ。そういった現状は、中医薬の研究や開発の道に立ちはだかる大きな壁となっている。

研究や開発の成果は生産に還元されるまで何十年もかかるかもしれないが、目先の売り上げや利益だけを追うという短絡的な考え方を変えて、腰を据えてじっくりと研究に取り組むべきだ。中医薬の本来の姿を取り戻すために、中国は落ち着いた研究を堅持するべきであり、同時に、思考の柔軟性や品質に対する強いこだわりなど、日本の漢方薬に学ばなければならない部分もたくさんあると思う。

独学で勉強した「日本語」と専攻している「中薬学」のお陰で、中医薬と漢方薬の違う点を発見しただけではなく、日本という国の素晴らしさをこれまでとは異なる視点で垣間見ることもできた。日中交流が活発になるにつれ、中国の学者や業者が日本を訪れる機会もどんどん増えてきた。中国の政府も日本の漢方を追いかけようと、様々な努力を講じている。私はこれからも一生懸命に専門知識を学び、研究経験を積み重ね、中医薬のさらなる発展のために自分の力を尽くしたいと思う。

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