沪江

当自己的成长及欲求不再是最优先时,我们成为「大人」

Amane译 2018-06-13 06:30

皆さん、「大人」になれてますか?

各位读者,大家成为“大人”了吗?

…急にすいません。新R25編集部の天野です。

…贸然询问真是抱歉。在下是新R25编辑部的天野。

僕らは20代中盤から30歳前半くらいまでの「R25世代」に向けて情報発信をしているわけですが、自分も含めて、この世代って「年齢的には立派な大人だけど、中身はめっちゃ子供」だと思うのです。

本栏目为“R25年龄段”,即正处于20岁中期至30岁前半的读者提供信息,不过包括笔者在内都认为,处在这个年龄段的人“从年纪上来说的确已是大人,但内心还是小孩”。

そんな時、気になる本の情報が飛び込んできました。

而此刻一则让笔者在意的书讯映入眼帘。

『「若者」をやめて、「大人」を始める』(イースト・プレス)

“放弃‘年轻人立场’,开始成为‘大人’吧”(eastpress出版社)

おおまかな内容は、

主要内容如下:

世間で「大人」と言われる年齢になったみなさん、立派な「大人」になれた実感はありますか? 人生の選択肢が多様に広がったからこそ、生き方が定まりにくいこの現代。それでも月日は流れ、いやおうなく私たちは年老いていきます。「成熟のロールモデル」が見えなくなった社会において、「若者」の立場を卒業し、「大人」を実践するとはどういうことか? 異なる世代との付き合い方、恋愛・結婚観、趣味とともに生きていくことについて。リアリティと現実のギャップに戸惑う人びとへ、新たな指針を示す人生論

各位读者,到了社会认定的“大人”的年龄,您是否有自己已成为优秀“大人”的实感呢?正因为人生选择太多,导致这个时代的生活方式不再固定。但是时不我待,不论意愿如何,大家都终将老去。在这个无法看到“成熟样本”的社会,自“年轻人”这一立场毕业,开始“大人”的实践又是怎样的呢?本书向您介绍与不同年龄段人群的交际方式、恋爱・婚姻观、兴趣及共同生活方式。向困惑于虚构与现实差异的人群揭示新准则的人生论。

…というドンズバな感じ。

…就是这种会心一击的感觉。

そこで、著者である精神科医・熊代亨先生に、「大人とは何か」を教えてもらいたいと思い、取材を申し込みました。本を読みながら、お話を伺います。

于是,为请教“大人究竟是什么”,笔者采访了作者——精神科医生熊代亨老师。就让我们一边看书,一边请教老师吧。

僕らが「いつまでも若者でいたい」と思ってしまう理由

我们“希望永远保持年轻状态”的原因

編集部・天野:熊代さん、よろしくお願いいたします。

编辑部・天野:熊代老师,请多多关照。

熊代先生:はい、よろしくお願いします。

熊代老师:您好,也请多关照。

天野:いきなりざっくり聞いてしまいますが、僕らはなぜ「大人」になれないんでしょうか?

天野:虽然这个问题问得有些突然,但我们为什么没能成为“大人”呢?

熊代先生:80年代から90年代にかけて、「自由である」「可能性がある」といった、「若者を続けるメリット」ばかりが強調されてきたというのが大きいです。第二次大戦後は、戦前の「大人」の価値観や文化を否定する、新しい若者文化が広がってきました。そうしたなか、メディアは何十年も「若者」の素晴らしさを宣伝してきました。加山雄三、矢沢永吉、松田聖子がテレビに出ると、「いつまでも若い」と称賛されますよね。

熊代老师:很大一部分原因是80年代到90年代这段时间,一味大肆强调‘我们是自由的’‘我们是有可能性的’,这些‘保持年轻的优势’。第二次世界大战后,否定战前‘大人’价值观及文化的新的年轻人文化开始传播。在这一过程中,媒体长达数十年一直在宣传“年轻人”的优势。每当加山雄三、矢沢永吉、松田圣子出现在电视屏幕上,他们总会被称赞“一直都很年轻”。

天野:たしかに。あと「若者の間で流行ってるもの」とかも価値がある気がしてしまいます。

天野:确实如此。还有“年轻人群体中流行的东西”也让人觉得是有价值的。

熊代先生:私や、ちょっと上の世代は、いつまでも若者でいられるという物語を信じてきたわけです。「フリーター」という自由な生き方ももてはやされました。しかしその「若者」を続けた結果、生活が不安定な人が増えて“ロスジェネ”と呼ばれる世代になってしまった。「いつまでも自由なのがいい」というのは幻想だということです。

熊代老师:我个人,以及上一个世代的人,那些年都相信“我们能永葆年轻的状态”。“自由职业者”这种自由的生活方式也曾广受欢迎。然而这种“年轻人状态”持续下去的结果是生活不安定的人增多,成了“迷失的一代”。“永远自由再好不过”只是幻想而已。

「40歳、夢から醒めて、逃げ場なし」。すげえ脅してくるな…

“40岁时从梦中醒来,没有逃避之所”这威胁太可怕…

熊代先生:また、「いつまでも若者でいられる」は良いことのように思えますが、イコール「若者で居つづけなければならない」というデメリットもある。無理に若者でいつづけようとすると、体と心が“くたばって”しまいます。

熊代老师:此外,虽说“永葆年轻”听起来似乎是件好事,但也等于有了“必须一直保持年轻的状态”这一缺点。若是勉强自己一直保持年轻状态的话,身体和心灵都会“疲惫”的。

「『大人』が『若者』と同じように振る舞うと破滅が待っている」。怖いんですが…

“‘大人’的举动若与‘年轻人’一样的话,等在前面的就是灭亡”。看着很可怕…

天野:くたばるってなんですか?

天野:“疲惫”是指什么呢?

熊代先生:この本では、母親になってからも20代と変わらず趣味や仕事を続けようとして、限界が来てしまった患者さんや、若い女性と不倫の恋に落ち、妻と離婚したことがきっかけで、アルコール依存やうつになってしまった患者さんを紹介しました。独身の若者にはできることでも、歳を取り、立場ができあがってからでは難しくなることってあるように思うんです。そこを読み違えると、心身がもちません。

熊代老师:这本书里记载了成为母亲后还保持二十几岁时的兴趣和工作,把自己逼到极限的患者,还有与年轻女性发生婚外情与妻子离婚,就此患上酒精依赖症或抑郁症的患者。有些事即便单身青年能做到,但也存在随着年龄增长立场确定而变困难的情况。若这里理解错了了,身心可撑不住啊。

「大人」になるべきタイミングっていつ? どうなったら大人?

什么时候必须成为“大人”?怎样才能成为大人

天野:でも本のなかでは、“精神が成熟していないまま、無理に「大人」をやると無理が生じる”とも書かれていますよね。「いつ大人になるべきか」は個人差があると。そのタイミングって、どう判断すればいいんでしょうか…?

天野:但是在书中还有这么一句话“在精神尚未成熟时强行成为‘大人’就是给自己找麻烦”,“什么时候该成为大人”有个人差。这个时间点该怎么判定呢…?

熊代先生:アイデンティティや人間関係が安定してきたとき、と考えてください。“ズッ友”という言葉がありましたが、「ずっと付き合っていく」友人関係、パートナー、仕事などに確信が持てたら、「大人」というステージにジャンプする意識を持ったほうがいいですね。

熊代老师:请大家将这个时间定在人格及人际关系稳定下来的时候。过去有个词叫“老友”,当确定了‘一可以直持续下去的’朋友关系、伴侣、工作等之后,再抱有跃上“大人”这一舞台的意识比较好。

天野:なるほど。そのあとにどうなれば僕らは「大人」になったと言えるんでしょうか?

天野:原来如此。在那之后该怎么做我们才能说自己成为“大人”了呢?

熊代先生:自分自身の成長や欲求を最優先にしなくなったら、でしょうか。「自分が物語の主人公なんだ」っていう感覚が薄れてからが大人です。例えば、子供や、職場の後輩の成長を、自分のこと以上にうれしく思うとか。

熊代老师:自己的成长及欲求不再是最优先事物的时候。“自己是故事的主角”这一感觉变弱后才是大人。举个例子,就是看到孩子或职场后辈成长比看到自己成长更高兴。

天野:自分のこと以上に…。難しいですね。今仕事をしていて、自分が成長してる手応えもあるし、後輩よりは自分のことが大事だと思っちゃうんですが。この状態がずっと続いたらどうしたらいいんでしょう…?

天野:比看到自己成长更高兴…这很难。当前在工作中能感受自己正在成长,比起后辈还是觉得自己更重要。要是这种状态一直持续下去的话该怎么呢…?

熊代先生:若者盛りの時期は、それでもいいと思うんです。でも多くの人間は、いつまでも自分自身に夢中になりつづけていられないものなんですよ。インターネットとかで活躍してる人を見てると、たまに「ずっと自分の成長だけが楽しい」みたいな人もいるんですけどね。「40歳過ぎても自分に熱中できる」っていうのはある種の才能だと思います。

熊代老师:我觉得年轻气盛的时候这样也很好。但是大多数人是不能永远专注于自己的。虽说活跃在网上的人里,偶尔也能看到“一直只为自己的成长而高兴”的人。我觉得“过了40岁还能专注自己”也是一种才能。

大人になると「生きやすくなる」

成为大人后“活得更轻松”

熊代先生:私が言いたいのは、「大人」になることは決して悪いものではないということです。若者を諦めて「もう自分は大人なんだ」と吹っ切れると、生きやすくなります。

熊代老师:我想说的是,成为“大人”绝不是什么坏事。若是认为“自己已经是大人了”彻底抛弃年轻人状态的话,会活得更轻松。

天野:生きやすくなるというのは…どういうことでしょう?

天野:活得更轻松…是指什么呢?

熊代先生:たとえば中年の飲み会って、楽しそうに昔のコンテンツの話をずっとしてるじゃないですか。

熊代老师:比如说中年人的酒宴,大家不就会开心得一直聊过去的事儿嘛。

天野:めっちゃ分かります。というか自分もしてるかも…。

天野:这点我倒是很明白。不如说我自己也是这样…

熊代先生:あれは要するに、「アイデンティティの指差し確認」なんです。つまり、「俺たちはこういうコンテンツを吸収して生きてきたんだよな」っていうことを再確認して、自分という存在を維持している。

熊代老师:简单来说那就是“掰着手指算个性”。换句话说,就是再次确认“我们就是吸收着这些内容走过来的啊”,维持自己的存在。

天野:あ~~~、友達と飲んでると、ひたすら昔の音楽を聴いたりしますね。熊代先生もそういうことがあるんですか?

天野:啊~~~,我和朋友出去喝两杯的时候,就顾着听过去的。熊代老师也是这样吗?

熊代先生:自分も若いころは同年代の友人たちと一緒に、“いかにも中年に向けたリバイバルコンテンツ”をありがたがるオジさんたちを軽蔑してたんですよ。「中年オタクのなれの果て」とか言って。

熊代老师:我年轻时也和同年代的朋友们轻视过那些对着“怎么看都是面向中年人的老掉牙内容”狂喜乱舞的大叔,吐槽那是“中年阿宅的最终形态”什么的。

「CLANNADは人生」。熊代先生も結構なオタクです

“Clannad是人生”熊代老师也是个资深宅啊。

天野:オタクに対しては急にキツイ言葉が。

天野:对御宅族您突然言语犀利了呢。

熊代先生:ところが自分が中年になると、周りの同世代のオタクたちが、『ガンダム』や『エヴァンゲリヲン』のリバイバルグッズを楽しんでいるんです。新しいオタクコンテンツを受け入れる余裕がないんです。でも、最近はそういうのもいいと思うようになりました。若者と同じように、新しいコンテンツを受け入れるのはコストがかかることです。流行を追わなくて構わないって、本当は気楽なことじゃないでしょうか。

熊代老师:然而等到自己成了中年人,周围同年龄段的阿宅们都在玩“高达”或“EVA”的再版周边。没有接受新宅文化的精力了。不过最近我开始觉得这样也不错。像年轻人那样接受新内容的话开销会提高。不追流行也没事儿,不觉得这样实际挺轻松的嘛。

自分の周りで“いい中年”を探して、観察してみるといい

试着寻找并观察自己周围的“优秀中年”

熊代先生:戦後に浸透した「自分を最優先」する考え方やライフスタイルは、社会的にもデメリットを及ぼしています。たとえば、「少子高齢化」です。その弊害はいろいろありますが、たとえば今、職場で「ずっと自分が最年少」とか「部下がいない」という若手ビジネスマンが多い。つまり、世代が違う人との交流が少ないんです。私は北陸の田舎の出身なのですが、子供の頃は、地域に顔なじみの大人や年配者がたくさんいて、そこから「大人」を学んでいた気がします。世代の違う人と接点を持つことで、世代の違いを認識して、「大人」になっていく材料をもらっていたんです。職場で良い中年の「大人」がいたら、何を大事にして、どんなことに喜ぶのかとか、よく観察してみるといいですよ。「自分もこうなる可能性が高いんだ」という未来の情報がたくさんあるはずです。

熊代老师:二战后,“自己的事最优先”的思考及生活方式深入人心,给社会带来了不利影响。比如“少子高龄化”现象。其弊害相当多,例如当前,“自己始终是年纪最小的”、“没有部下”等等,职场中这类年轻商务人士很多。换句话说,就是和不同年龄层人群交流过少。我出生于北陆乡下,孩提时代当地有许多熟悉的大人及年长者,我觉得自己就是向他们学习何为“大人”的。通过与不同年龄层的人群接触,认识到不同年龄层间的差异,从而获得成为“大人”所需的材料。若职场上有优秀的中年“大人”,大家只需仔细观察他们重视什么,会为什么喜悦等等就够了。我认为这种“自己有很可能变成这样”的关于未来的情报有很多。

天野:職場に「いい大人」がいない場合はどうしたらいいですか?(笑)

天野:若职场上没有“优秀的大人”的话该怎么办呢(笑)

熊代先生:たとえば、同じ業界の人とか、同じ趣味の人とか、馴染みの飲み屋の常連とか、何でもいいのでそういう大人を探してみて、“マーク”してみるといいと思います。「若者」は、そういう何者でもない「大人」をバカにしがちだから、普段から意識してないとそういう人の存在に気付かないんですよ。

熊代老师:比如说,同一个业界的人,有相同兴趣的人,熟悉的小酒馆常客等等,什么人都可以,试着去寻找这样的大人,给他们做个“标记”就行。正因为“年轻人”有轻视平凡“大人”的倾向,平时不留意的话可是不会注意到这些人的存在的。

天野:でもそれ、ちょっと大変ですね。会社にいるだけじゃダメで、いろんな出会いを探さなきゃいけないんですね。

天野:但是这有点困难呢。不能只呆在公司,必须去寻找各种邂逅呢。

熊代先生:なので、現代では「コミュ力」がない人が「大人」になるのって難しいんです。SNSなどでコミュニケーションは取れますが、あれはあくまで似たもの同士をユルくつなぐだけだと思いますし。

熊代老师:所以说,在现代,没有“交际能力”的人要成为“大人”是很困难的。虽说可以通过社交软件交流,但那只不过是将相似的人群松散联系起来罢了。

天野:本のなかにも、そもそも典型的な「大人」になることが“ぜいたく”な行為になっていると書かれています。

天野:您的书中也这么写:成为典型的“大人”原本就是种“奢侈”行为。

熊代先生:後輩を育てる余裕がある職場にいる、結婚して子供を作る余裕がある…という椅子をめぐる“椅子取りゲーム”みたいになってしまってるんじゃないかと。職業によっても有利不利がありますよね。昼夜を問わず働く…みたいな働き方をしてたら、心をシフトチェンジする時間なんてないですよ。だからこそ、R25世代の人たちには周囲の人間から注意深く学んで、自分なりの「大人になるタイミング」を見極めてほしいなと思います。

熊代老师:身在有培养后辈余裕的职场,有结婚生子的余裕…这不就像“抢椅子游戏”嘛。职业不同利弊也不同。若选择了类似不问昼夜忙于工作的职场,就没有换位思考的时间了。正因如此,我希望R25世代的人们能注意深入向周围人学习,找准自己特定的“成为大人的时间”。

大人になんて、いつかそのうちなれるだろう…と思いきや、全然そんなことはないようで。お話を聞いてみたら、「大人になる」ためには、自分のアイデンティティを確立させること、世代の違う人間と関わり学ぶことが必要とのことでした。

我们总有一天会成为大人…不料现实似乎完全不是这样呢。据熊代老师所说,为了“成为大人”,必须确立自身人格,并与不同世代的人群交流学习。

本内容为沪江日语原创翻译,严禁转载。

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