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日本文化如何处理“厄年”那些事?

Amane译 2017-11-06 06:30

厄年(やくどし)は災厄に遭いやすく、忌み慎まなければならないと言われる年のことです。厄年は数え年で数え、一般的に男は25、41、42、43、61歳、女は19、32、33、34、37歳です。陰陽道の説に由来し、近世に入り定着したと言われています。

厄年指的是易遭遇灾祸、须谨言慎行的年份。厄年以虚岁算,一般来说男性是25、41、42、43、61岁,女性是19、32、33、34、37岁。据说厄年源自阴阳道学说,近代才固定下来。

身体的な節目

身体方面关键时期

男42歳は「しに」、女33歳は「さんざん」という語呂合わせから多くの地方で大厄とされ、その前後の年も前厄〔まえやく〕、後厄〔あとやく〕と言い厄年になっています。この年になった人々は厄払いに神社仏閣へ行くのが一般的です。

从双关语上来看,男性42岁发音同“しに(死亡)”,女性33岁发音同“さんざん(生产)”,由此在诸多地区,这两个岁数所在年份被认为是大厄,前后一年分别称前厄、后厄。一般来说,处于厄年岁数的人会前往神社或佛寺祈求消灾。

厄年は迷信とも言われますが、男性42歳は働き盛りで体力的に無理をしやすい時期、女性33歳も出産、子育てと苦労が多く体調を崩しやすい時期で、男女とも生理的な節目にあたります。そのため、古来からの様々な習俗、俗信が廃れつつある今日においても、気にする人は多いようです。

厄年虽说是迷信,但对于男性来说,42岁是忙于劳作易过度消耗体力的时期,对于女性来说则是因生产、育儿等诸多操劳易累坏身体的时期,不论男女,这一年均是生理上的关键时期。于是,尽管如今过去诸多习俗、迷信已逐渐废除,还是有许多人对此相当在意。

社会的な節目

社会层面的关键时期

陰陽道の説が中国から伝わり、公家·武士の間で行われていたものが江戸時代以降一般庶民に広まりました。

阴阳道之说源自中国,原先流传在朝臣、武士之间,江户时代后亦在平民间传播开来。

厄の捉え方は地方により様々でしたが、女性の大厄での結婚や、両親のどちらかが厄年の出産を避ける風習は各地に広く定着していました。

对于厄之一字的理解,不同地域也各不同,不过广泛根植于各地的风俗是:女性避开在大厄年结婚、夫妻一方避免在厄年生育。

一方で、厄年は人生の1つの社会的節目であったと考ることもできます。

此外,也可以认为厄年是人生中一个关键的社会时期。

女性は33歳の大厄のころになると、嫁入り後から続いていた実家からの贈答品が打ち切られ、姑から一家を切り盛りする主婦の座を譲り受けました。また、男性は42歳になると村落内の神社経営や祭事執行に関わることが許され、もしくは村落の重役になる地方も多くありました。

当女性到了33岁这一大厄年时,自出嫁起持续至今的娘家赠物便就此停止,并从婆婆手中接过打理一家人生活的主妇重任。此外,男性42岁时可以参与村落中神社经营及祭典举办,在不少地区还将担任村落要职。

生活を見直す良い機会

重新评估生活的好机会

正月を迎えた後、節分などにもう一度正月の祝いをして厄を跳び越そうとしたり、また櫛や小銭、節分の豆などを年齢の数だけ神社の境内に落として厄を落とそうとするなど、地方によって様々な厄払いが行われています。

不同地区的人们采取各种不同的消灾仪式,比如说正月过后,立春时分再度庆贺一次正月以期跳过厄年;或者把梳子、零钱、或与年龄同等数量的春分时的豆子落在神社以期丢下厄运等。

男性は40歳前半になると初めての人間ドックに行く人も多いようです。厄年だからといって憂鬱な気分になるよりも、厄年はむしろ自分の健康状態をチェックし、ライフスタイルや食生活を見直す好機かもしれません。

似乎相当多的男性会在40岁前半时期第一次进行短期住院体检。与其因厄年郁闷,不如趁这时间去检查一下自己健康状况,说不定是个改变生活习惯和饮食习惯的好机会。

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