西暦 | 年号 | おもな出来事 | 新暦換算 | |
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1428 | 正長 | 元 | 9月18日、正長の徳政一揆(とくせいいっき)発生。 | 1428.11.13 |
1429 | 2 | 1月19日、播磨(はりま)の土一揆(つちいっき・どいっき)発生。赤松満祐(あかまつ みつすけ)京より帰国。 | 1429.3.13 | |
永享 | 元 | 3月15日、足利義教(あしかが よしのり)室町幕府(むろまちばくふ)第6代将軍となる。 | 1429.4.26 | |
1437 | 9 | 6月15日、上杉憲実(うえすぎ のりざね)、足利持氏(あしかが もちうじ)による討伐を恐れ相模国(さがみのくに)藤沢(ふじさわ)に退く。 | 1437.7.16 | |
7月11日、足利義教弟・大覚寺義昭(だいかくじぎしょう)、挙兵の陰謀露見し大和国(やまとのくに)に出奔。 | 1437.8.12 | |||
8月13日、足利持氏、上杉憲実を慰撫。 | 1437.9.22 | |||
1438 | 10 | 8月14日、上杉憲実、足利持氏と不和のため上野国(こうずけのくに)に逃れる。 | 1438.9.12 | |
8月16日、足利持氏、上杉憲実討伐に出兵。 | 1438.9.14 | |||
8月28日、幕府、足利持氏討伐の軍を発す[永享の乱] | 1438.9.26 | |||
11月5日、足利持氏、捕らえられ出家。 | 1438.12.2 | |||
1439 | 11 | 2月10日、上杉憲実ら、足利持氏を攻め自殺させる。 | 1439.4.2 | |
1440 | 12 | 3月4日、持氏の子の春王丸(しゅんおうまる/はるおうまる)、安王丸(やすおうまる)常陸国(ひたちのくに)茂木城(もてぎじょう)に挙兵。結城氏朝(ゆうき うじとも)はこれを助け、後に結城城(ゆうきじょう)に迎える[結城合戦](ゆうきかっせん) | 1440.4.14 | |
1441 | 嘉吉 | 元 | 3月13日、島津忠国(しまづ ただくに)、幕命により大覚寺義昭を日向国(ひゅうがのくに)で自殺させる。 | 1441.4.13 |
4月16日、結城城陥落し、結城氏朝戦死。持氏遺児春王丸・安王丸・永寿丸(えいじゅまる)囚われる。 | 1441.5.15 | |||
5月16日、幕府の名を受けた長尾実景(ながお さねかげ)、春王丸と安王丸を美濃国(みののくに)垂井(たるい)で斬殺。 | 1441.6.14 | |||
6月24日、赤松満祐、将軍・足利義教を誘殺し、播磨に逃亡する[嘉吉の変] | 1441.7.21 | |||
9月10日、山名持豊(やまな もちとよ)軍により播磨国木山城(きやまじょう)陥落す。赤松満祐自害。 | 1441.11.3 | |||
1449 | 宝徳 | 元 | 1月、上杉房定(うえすぎ ふささだ)、永寿丸を鎌倉公方(かまくらくぼう)とし、幕府もこれを許可。 | |
9月9日、永寿王鎌倉(かまくら)入りし、上杉憲実逃れ去る。 | 1449.10.4 | |||
11月13日、永寿王、将軍足利義成(義政)(あしかが よしまさ)から一字を貰い、足利成氏(あしかが しげうじ)と名乗る。 | 1450.1.4 | |||
1450 | 2 | 4月、長尾景仲(ながお かげなか)ら鎌倉を襲い、足利成氏は江ノ島(えのしま)へ逃れる。 | 1450.6.9 | |
8月4日、足利成氏江ノ島から鎌倉に戻る。 | 1450.9.19 | |||
1452 | 享徳 | 元 | 4月21日、鎌倉府、関銭(せきせん)を納めずに小田原(おだわら)を通過することを禁ずる。 | 1452.5.19 |
1454 | 3 | 12月27日、足利成氏、上杉憲忠を攻め殺し享徳の乱始まる。 | 1455.1.23 | |
1455 | 康正 | 元 | 1月21日、長尾景仲らが足利成氏と武蔵(むさし)分倍河原(ぶばいがわら)にて戦う。上杉憲顕(うえすぎ のりあき)、顕房(あきふさ)戦死。 | 1455.2.16 |
6月16日、今川範忠(いまがわ のりただ)軍鎌倉に入り、足利成氏は古河に拠り古河公方(こがくぼう)となる。 | 1455.8.8 | |||
7月1日、幕府、畠山義就(はたけやま よしなり(よしひろ))と畠山政長(はたけやま まさなが)を和解させる。 | 1455.8.22 | |||
1457 | 長禄 | 元 | 4月8日、太田道灌(おおた どうかん)、江戸城(えどじょう)を築城す。 | 1457.5.10 |
5月15日、蝦夷(えみし、えびす、えぞ)南部にてコシャマイン(蝦夷族の首長)の乱勃発し武田信広(たけだ のぶひろ)これを鎮圧す。 | 1457.6.16 | |||
12月19日、足利義政、弟を還俗させ政知(まさとも)とし伊豆(いず)の国堀越(ほりこし)で関東を治めさせ堀越公方とする。 | 1458.1.13 | |||
1459 | 3 | 8月13日、幕府、京の七口(きょうのななくち)に関所を置く。 | 1459.9.18 | |
1460 | 寛正 | 元 | 10月21日、幕府、関東奥羽(おうう)の諸将に足利成氏討伐を命ず。 | 1460.12.12 |
1464 | 5 | 12月2日、義政、弟の浄土寺義尋(じょうどじ ぎじん)を還俗させ、義視(よしみ)とする。 | 1465.1.8 | |
1467 | 応仁 | 元 | 1月18日、応仁の乱、勃発す。 | 1467.3.2 |
1468 | 2 | 11月13日、足利義視、ひそかに西軍に入る。 | 1469.1.4 | |
1471 | 文明 | 3 | 本願寺蓮如(ほんがんじ れんにょ)が越前国(えちぜんのくに)に、吉崎道場(よしざきごぼう)を設立する。 | |
1473 | 5 | 3月13日、山名宗全(やまな そうぜん/山名 持豊)死亡。享年70歳。 | 1473.4.19 | |
5月11日、細川勝元(ほそかわ かつもと)死亡。享年44歳。 | 1473.6.15 | |||
1474 | 6 | 加賀国(かがのくに)で一向一揆(いっこういっき)が起こる。 | ||
1476 | 8 | 伊勢新九郎長氏( ほうじょう しんくろう ながうじ)の働きで、今川氏親(いまがわ うじちか)家督を継ぐ。 | ||
1477 | 9 | 11月11日、土岐成頼(とき しげより)が美濃に足利義視を奉じて帰国する。応仁の乱がほぼ終わる。 | 1477.12.25 | |
1481 | 13 | 朝倉孝景(あさくら たかかげ)が「敏景十七ヵ条」を制定する。 | ||
1482 | 14 | 11月27日、足利義政、足利成氏と和解する。 | 1483.1.15 | |
1485 | 17 | 12月11日、山城国の国人が集結する。 | 1486.1.26 | |
12月17日、山城国の両畠山(はたけや)軍がすべて引き上げる。 | 1486.2.1 | |||
1486 | 16 | 太田道灌(おおた どうかん)が上杉 定正(うえすぎ さだまさ)に暗殺される。 | ||
1488 | 長享 | 2 | 6月9日、加賀(かが)の一向宗(いっこうしゅう)徒が守護の富樫氏(とがしし)を滅ぼす。 | 1488.7.26 |
1489 | 延徳 | 元 | 足利義尚(あしかが よしひさ)、近江(おうみ)で陣没。 | |
1491 | 5 | 4月3日、堀越公方(ほりごえくぼう/ほりこしくぼう)足利政知(あしかが まさとも)没す。 | 1491.5.20 |
年号
正長(しょうちょう),永享(えいきょう),嘉吉(かきつ),宝徳(ほうとく)
享徳(きょうとく),康正(こうしょう),長禄(ちょうろく),寛正(かんしょう)
応仁(おうにん),文明(ぶんめい),長享(ちょうきょう),延徳(えんとく)
1428→[応仁之乱]→1491→[幕府落日]→154→[群雄割拠]→1568→[覇王降臨]→1582→[天下一統]→1591→[江戸開幕]→1605→[元和偃武]→1651