四月廿九日の空は青々と晴れ渡って、自分のような病人は寝て居る足のさきに微寒を感ずるほどであった。格堂 が来て左千夫の話をしたので、ふと思いついて左千夫を訪おうと決心した。左千夫の家は本所 の茅場町 にあるので牡丹 の頃には是非来いといわれて居たから今日不意に出て驚かしてやるつもりなのだ。格堂はさきへ往て左千夫の外出を止める役になった。
昼餉 を食うて出よとすると偶然秀真 が来たから、これをもそそのかして、車を並べて出た。自分はわざと二人乗の車にひとり横に乗った。
今年になって始めての外出だから嬉しくてたまらない。右左をきょろきょろ見まわして、見えるほどのものは一々見逃すまいという覚悟である。しかしそれがためにかえって何も彼も見るあとから忘れてしまう。
暗い丈夫そうな門に「質屋」と書いてある。これは昔からいやな感じがする処だ。
竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のような実が沢山なって居るのが車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。
狸 横町の海棠は最う大抵散って居た。色の褪 せたきたない花が少しばかり葉陰に見える。
仲道の庭桜はもし咲いて居るかも知れぬと期して居たが何処にもそんな花は見えぬ。かえってそのほとりの大木に栗の花のような花の咲いて居たのがはや夏めいて居た。車屋に沿うて曲って、美術床屋に沿うて曲ると、菓子屋、おもちゃ屋、八百屋、鰻 屋、古道具屋、皆変りはない。去年穴のあいた机をこしらえさせた下手な指物師 の店もある。例の爺さんは今しも削 りあげた木を老眼にあてて覚束 ない見ようをして居る。
やっちゃ場の跡が広い町になったのは見るたびに嬉しい。
坂本へ出るとここも道幅が広がりかかって居る。
二号の踏切まで行かずに左へ曲ると左側に古綿などちらかして居るきたない店がある。その店の前に腰掛けて居る三十余りのふっくりと肥えた愛嬌の女が胸を一ぱいにあらわして子供に乳 を飲ませて居る。子供は赤いちゃんちゃんを着て居る。その傍に並んで腰を掛けて居るのが五十位の女で、この女がしきりに何かをしゃべって居るらしい。
その隣は仮面をこしらえる家で、店の前の日向 に、狐 の面や、ひょっとこの面がいくつも干してある。四十余りのかみさんは店さきに横向に坐っていそがしそうに面を塗って居る。
突きあたって右へ行く。二階の屋根に一面に薺 の生えて居る家がある。
突きあたって左へ行く。左側に縄暖簾 の掛って居る家があって障子が四枚はまって居る。その障子の上の方に字が書いてある。最も右の端の障子には「にごり」と仮名で書いてある。その次のは「さけ」とあるらしいが縄暖簾の陰になって居て分らぬ。その次のには「なべ」と書いてあって、最も左の端の障子には蛤 の画が二つ書いてある。「蛤」「なべ」という順序であるべきのが「なべ」「蛤」と逆になって居るので不思議だとよくよく見るとどうも三枚の障子があちらこちらにたて違えてあるようであった。これが車上の観察の中で最も精密な観察であると独り誇って居る。
襤褸 商人の家の二階の格子窓 の前の屋根の上に反古籠 が置いてあって、それが格子窓にくくりつけてある。何のためか分らぬ。
はや鯉 や吹抜 を立てて居る内がある。五色の吹抜がへんぽんとひるがえって居るのはいさましい。
横町を見るとここにも鯉がひるがえって居る。まだ遅桜がきれいに咲いて居る。
何とかいう芝居小屋の前に来たら役者に贈った幟 が沢山立って居た。この幟の色について兼ねて疑 があったから注意して見ると、地の色は白、藍 、渋色などの類、であった。
陶器店の屋根の上に棚を造って大きな陶器をあげてある。その最も端に便器が落ちそうに立てかけてあるのが気になる。
厩橋 まで来た。橋の袂 に水菓子屋があって林檎 を横に長く並べてあった。
橋の上に来て左右を見わたすと、幅の広い水がだぶりだぶりと風にゆさぶられて居るのが、大きな壮快な感じがする。年が年中六畳の間に立て籠 って居る病人にはこれ位の広さでも実際壮大な感じがする。舟はいくつも上下して居るが、帆を張って遡 って行く舟が殊に多い。その帆は木綿帆でも筵帆 でも皆丈が非常に低い。海の舟の帆にくらべると丈が三分の一ばかりしかない。これは今まででもこうであったのであろうが今日始めて見たような心持がしてこの短い帆が甚だおかしくてたまらぬ。けれどもこれが橋の下を通る舟の特色であると思うとそのおかしい処に感じの善い処がある。
橋を渡った。もうくたびれてしもうて観察するのがいやになった。この後は何処を通って往たか知らぬ。
ついでにことわって置くが、体を車の右へ片寄せて乗って居るから観察は町の左側の方が多い。
本所停車場を過ぎてようよう左千夫の家に著いた。格堂 は出て来たが主人は出て来ない。主人は留守であるのだ。どうしようか、と暫 く躊躇 した。頭のつかえそうな低き冠木門 の右には若い柳が少し芽をふきかけて居る。左には無花果 がまだ裸で居る。その向うには牛小屋があるらしい。
遂に決断して亀戸 天神へ行く事にきめた。秀真 格堂の二人は歩行 いて往た。突きあたって左へ折れると平岡工場がある。こちらの草原にはげんげんが美しゅう咲いて居る。片隅の竹囲いの中には水溜 があって鶩 が飼うてある。
天神橋を渡ると道端に例の張子細工が何百となくぶら下って居る。大きな亀が盃 をくわえた首をふらふらと絶えず振って居る処は最も善く春に適した感じだ。
天神の裏門を境内に這入 ってそこの茶店に休んだ。折あしく池の泥を浚 えて居る処で、池は水の気もなく、掘りかけてある泥の深さが四、五尺もある。二、三十人の人夫は泥を掘る者もあるその掘った泥を運ぶ者もある。皆泥にまぶれて居る者ばかりだ。泥の臭いは紛々と鼻を衝 いて来る。満面皆泥のこのけしきを見て先ず心持が悪くなって来た。
少し休んで居る内背中がぞくぞくと寒くなって来ていよいよ不愉快だ。まぎらかしに歌でも作ろうと相談して三人がだまって考えこんだが誰も出来ぬ様子だ。池の泥を浚えるので鯉はどこに居るか知らん、と歌に詠もうとしたが出来ぬ。何か材料はないかと見廻したけれど藤はまだ五、六寸しか伸びて居らぬ、池のあちらに遅桜が少しばかり咲いてその下につつじがある。遅桜がさかりで藤はまだ短い、という事を歌にして見たが一向に面白くない。太鼓橋を人の渡る処を詠 もうと思うたが、やはり出来ぬ。それを用いて恋歌を詠んで見よかと思うたばかりで出来ぬ。一時間ばかりここに居たがいよいよ寒けがしてたまらぬから帰る事にして、車夫に負われて車に乗った。
土産に張子細工を一つほしいというたので秀真は四、五本抜いて持って来てくれた。一本選 り取って見たら、頬冠 した親爺が包を背負って竹皮包か何かを手に提げて居るのであった。
それから復 鶩 の飼うてある処を通って左千夫の家に立ちよったが主人はまだ帰らぬという事であった。いっそこのまま帰ろうかとも思うて門の内で三人相談して居たが、妻君の勧めもあるから、遂に坐敷に上りこんで待つ事にした。やがて車の音がして主人は息をきらして帰って来られた。これは妻君が方々へ使を出して主人の行先を尋ねられたためであった。
容斎 の芳野、暁斎 の鴉 、その外いろいろな絵を見せられた。それについて絵の論が始まった。
庭にはよろよろとした松が四、五本あって下に木賊 が植えてある。塵 一つ落ちて居ない。
夕飯もてなされて後、燈下の談柄 は歌の事で持ちきった。四つの額 は互に向きおうて居る。
段々発熱の気味を覚えるから、蒲団の上に横たわりながら『日本』募集の桜の歌について論じた。歌界の前途には光明が輝いで居る、と我も人もいう。
本をひろげて冕 の図や日蔭のかずらの編んである図などを見た。それについてまた簡単な趣味と複雑な趣味との議論が起った。
夜が更 けて熱がさめたので暇乞 して帰途に就いた。空には星が輝いて居る。
夜は見るものがないので途 が非常に遠いように思うた。根岸まで帰って来たのは丁度夜半であったろう。ある雑誌へ歌を送らねばならぬ約束があるので、それからまだ一時間ほど起きて居て歌の原稿を作った。
翌日も熱があったがくたびれ紛 れに寝てしもうた。
そのまた翌日即ち五月一日には熱が四十度に上った。
今年になって始めての外出だから嬉しくてたまらない。右左をきょろきょろ見まわして、見えるほどのものは一々見逃すまいという覚悟である。しかしそれがためにかえって何も彼も見るあとから忘れてしまう。
暗い丈夫そうな門に「質屋」と書いてある。これは昔からいやな感じがする処だ。
竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のような実が沢山なって居るのが車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。
仲道の庭桜はもし咲いて居るかも知れぬと期して居たが何処にもそんな花は見えぬ。かえってそのほとりの大木に栗の花のような花の咲いて居たのがはや夏めいて居た。車屋に沿うて曲って、美術床屋に沿うて曲ると、菓子屋、おもちゃ屋、八百屋、
やっちゃ場の跡が広い町になったのは見るたびに嬉しい。
坂本へ出るとここも道幅が広がりかかって居る。
二号の踏切まで行かずに左へ曲ると左側に古綿などちらかして居るきたない店がある。その店の前に腰掛けて居る三十余りのふっくりと肥えた愛嬌の女が胸を一ぱいにあらわして子供に
その隣は仮面をこしらえる家で、店の前の
突きあたって右へ行く。二階の屋根に一面に
突きあたって左へ行く。左側に
はや
横町を見るとここにも鯉がひるがえって居る。まだ遅桜がきれいに咲いて居る。
何とかいう芝居小屋の前に来たら役者に贈った
陶器店の屋根の上に棚を造って大きな陶器をあげてある。その最も端に便器が落ちそうに立てかけてあるのが気になる。
橋の上に来て左右を見わたすと、幅の広い水がだぶりだぶりと風にゆさぶられて居るのが、大きな壮快な感じがする。年が年中六畳の間に立て
橋を渡った。もうくたびれてしもうて観察するのがいやになった。この後は何処を通って往たか知らぬ。
ついでにことわって置くが、体を車の右へ片寄せて乗って居るから観察は町の左側の方が多い。
本所停車場を過ぎてようよう左千夫の家に著いた。
遂に決断して
天神橋を渡ると道端に例の張子細工が何百となくぶら下って居る。大きな亀が
天神の裏門を境内に
少し休んで居る内背中がぞくぞくと寒くなって来ていよいよ不愉快だ。まぎらかしに歌でも作ろうと相談して三人がだまって考えこんだが誰も出来ぬ様子だ。池の泥を浚えるので鯉はどこに居るか知らん、と歌に詠もうとしたが出来ぬ。何か材料はないかと見廻したけれど藤はまだ五、六寸しか伸びて居らぬ、池のあちらに遅桜が少しばかり咲いてその下につつじがある。遅桜がさかりで藤はまだ短い、という事を歌にして見たが一向に面白くない。太鼓橋を人の渡る処を
土産に張子細工を一つほしいというたので秀真は四、五本抜いて持って来てくれた。
それから
庭にはよろよろとした松が四、五本あって下に
夕飯もてなされて後、燈下の
段々発熱の気味を覚えるから、蒲団の上に横たわりながら『日本』募集の桜の歌について論じた。歌界の前途には光明が輝いで居る、と我も人もいう。
本をひろげて
夜が
夜は見るものがないので
翌日も熱があったがくたびれ
そのまた翌日即ち五月一日には熱が四十度に上った。
〔『ホトトギス』第三巻第十号 明治33・7・30〕
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